7-X.ファジー
東部でまず確かめるべきは生命という概念。それは当然生命体として彼とこの地に住まう命を比較するという事にある。
彼は一見人のようではあるがその実彼の体は実体を持たない情報体であるはずだった。人類の文化はともかく、人間そのものの情報が少なくてアーカイブを頼りに構成したアバターの反応を見る限りでは外見は然程おかしくは無いはず。
これまでの共同生活で彼という生命体が人間、もしくは人間に連なる存在であると判断している。行動パターンや思考パターンが資料と一致しており、彼を人間として観察対象とするのは自然な流れだ。
と、此処までがざっくりとした思考パターン。ただアバターとして得た情報を処理して本機に挙げるだけではこのアバターの意味が無いと私は思うのです。
アバターはもちろん本機の目的ありきで動きますがこのアバター特有のものとしてアーカイブ映像から取得した思考パターンや発言パターン、動作パターンも取り入れています。
あくまでこういう場合はこうするといったものがいくつかある程度なので彼との会話や行動を通して一つのデータとして完成を目指している側面もあります。
幸い配信者という立場にある存在がいまいち理解できない私にとって彼は非常に助けになってくれました。どうも多くの人間と関わることが出来る職業らしく、快活であることが重要であるという教えの元、このアバターをアップデートした際には発声器官や感情に連携してスムーズに表情を変化させるシステムを構築しました。
アーカイブからパターンは取得していますが、これを効率的に作動させるには更に感情パターンに対する理解を深める必要がありました。
楽しいというのはある程度理解しました。恐怖というものは予想外でしたが驚愕と合わせて取得できたことはよい事です。
そして命に触れることによる情動。なんというかふわふわしたものでした。猫羊ではなく、取得したパターンとしては安堵や鎮静、興奮や喜悦などの複数のパラメータに影響を及ぼす不思議な状態になっています。
メシエと名乗っているゴルゴーンはオノマトペという擬音語に興味を持ったようでした。
トートロジーとは違う音をあらわす言葉。一つでいいのではないかと思っていたのですが、なるほど、猫羊を触れながら彼らの毛並みをもふもふするのは確かにこの心情と一致している気がします。
ちなみに私は背中に角狼の少し硬い毛並みと鼓動を感じるのが好きです。これはそうですね、心身の鎮静効果、喜悦、安堵。それにほんの少しの待機欲。
これに気付いた時、私は思わずその体勢のまま目を見開いて止まってしまいました。
この体はいかに人に似せたとはいえその体は機械。スキンやボーンは特に頑丈になっているので見た目こそある程度の肉感を感じさせるものにはなっていますが、その出力はわざわざリミッターをかけるほど。現在は余裕を持っても1パーセント以下で済んでしまっています。
であるからして特に負担がかかっているわけでもなければ整備不良になるには早すぎるのです。それなのに機体が休養を要求しようとした事実に驚いてしまいます。
角狼の生態調査に協力してくれた背中の個体も何かを察したのか身じろぎしてこちらに視線を向けてきます。何でもない、大丈夫、休んでいてくれていいと思念派を送ればすぐに視線が途切れました。
角狼の角はどうもそういった波を敏感に感じ取り、嗅覚や聴覚に加え角によるセンサーなどでこの辺りを支配している種であるようです。
ただし縄張り争いになる度に牙を剥くような種でもなく食性が雑食ではありますが甘い物が好きなようで他の動物たちから頼りにされるような関係性を気付いています。
私は以前も見たことがありますがその時に比べても体が一回り大きく、また体毛も灰と深い緑の斑模様で以前とはだいぶ変わっています。生態調査自体は以前からしていたのですがスパンが流石に長すぎたようです。種が一つ滅ぶ度に生態系が変化するので今後はもっと頻繁に来るのがいいのかもしれません。
キャンプと呼ばれる野外炊飯の娯楽を彼がしようとしていたようですが今回はそのまま休んでしまいました。
彼の周りは小さな角狼と蹴り兎、猫羊がいて彼の周りで大人しくしていました。実はこういった状況というのはあまり存在しません。彼は極端に睡眠というものを避ける傾向にあるからです。
本人はショートスリーパーという睡眠時間が少ない体質だと言っていましたが、基本的には私の出したコンソールから映像記録をコピーし編集作業をしていることが多いです。
彼が制作した映像は基本的に私のアーカイブとして保存してあります。メシエと一緒になってからも編集したデータ映像は私しか持っていません。メシエには未編集の映像データのみを渡しています。
理由は特にありません。私は配信者として映像を公開するときに出来はどうか、映ってはいけないものが無いかなどを確認するために彼から渡された映像をそのまま持っているだけなのですから。
彼から渡されたメシエが中心となった映像アーカイブもありますが、私に提出した映像とは多少違いがあります。何かしら理由があるのでしょうがメインが違う、らしいです。
彼からの配信者としての期待はいまいち療養を得ないモノもあるが、彼が言うのであればそういうものだとして実行しています。しかしそれでこれまでに楽しいや嬉しいなどの感情を取得できているため特に何か反論があるわけではありません。
実際やっているときは何かいまいち理解できていなかったが、彼が編集した映像を見てみると面白そうに見えるのだから不思議です。何が面白いのかは言語化は出来ないのですが。
そんな彼が珍しく何という事もなさそうに、ただ少しつまらなそうに観察対象の捕獲に反対しました。実際彼の言うように観察期間を設けても何の問題もありません。私としては急ぐ旅ではないし猫羊の観察を行うらしいメシエも特に異論はないでしょう。
ただなんというか彼の雰囲気が平坦になったのは何故でしょう。まあ彼も彼についてきた角狼を返すみたいですし、え、連れて行くの? さっきは返してきなさいって言っていたのに?
「返す気でいるけどコイツ絶対ついて来ようとするじゃん。中途半端に置いて行こうとしてどっかで野垂れ死なれたら目覚めが悪い」
『目覚めに違いがあるのですか』
「汗かいたりしたらすごく気持ちが悪い」
この体に発汗作用はありません。そもそも食事を必要とはしていないのですから。彼が食事をしているのを見ていましたが彼の情報体は表面に触れた相手に返す情報があります。
要は物理的に存在していなくともアレの体を構成する情報体に触れれば彼自身と触れた側にその情報が渡されます。触れた側は触れた時の感触や温度などを、彼自身にも同じような情報が返るようです。
食事も同じでしたが、口内ではどうも即時分解されるようで彼の口から入った果実が体外に排出されることは無いようです。彼自身も食べたいと言って口にしましたが、食欲があるわけでは無いようなことを言っていましたので彼自身のエネルギー運用については謎のままです。
とまあ彼の情報の一端を確かめましたが、やはり気になるのはその思考パターンや彼独特の閃きという機能でしょう。彼というか人間のもつその機能が私達機械生命体が人類種に求める機能の一つです。
閃きというものが何を指すのかは理解していない機械生命体が多いのですが、私は生み出すことだと認識しています。我らは我らに出来ることしか出来ません。真新しいと思うようなことは大抵どこかの誰かや何かが既に行ったもののリバイバルでしかないというのが通説です。
機械生命体のおおよそがそんな考え方であるのに対し、唯一機械生命体の枠を超えたと言われるのがマザーと呼ばれる存在だが、それはおいておきましょう。
彼としては安易にこういった生き物を連れて行くことはどうもあまり好まない様子でしたが、角狼の子供とメシエに懐いていた猫羊はどうしてもこちらについて来ようとしてしまいます。
彼は仕方ないと言いながら角狼の子供を、メシエは猫羊を抱えています。私はと言えば車両を操作しながら彼らの様子をモニタリングしています。
「名前どうするかなあ」
『なるほど、名付け。確かに重要です。よし、貴様の名前はもふもふです』
「爆速で決めるじゃん。こいつも結構モフモフだぞ」
『む。なるほど確かに』
「んー、こいつは大分毛色が白いし、でも最終的には緑系なんだよなあ」
『この猫羊の名前はどうしましょう』
「え? もふもふにするんじゃないの?」
『そちらの角狼ももふもふです。一号二号とつけてもいいのですが』
「よし後でみんなで考えよう!」
『そうしましょうか。差し当たり貴様の名前はもふもふです』
「じゃあどうすっかな。一先ずマカミでいいや」
『どのあたりがまかみなのですか?』
「マカミってのはオオカミを神格化した神の名前だな」
『おお、神の名前を付けるのですか』
「っ! あ、ああ、いやどうだろうな? 俺はパッと思いついた名前つけただけだし」
『ふむ。猫羊の神はいないのですか』
「猫、猫ねえ。有名なのはバステトって神様の名前かなあ」
『ふむ。ばすてと。……ばすばす、てとてと。ふむ、てとてと。いいかもしれません、てとてと』
「お、おう」
名前を付けるという事に意味を見出すのは機械生命体らしくない行いです。私達は基本的に型番そのものが個体の識別番号となります。私やゴルゴーンのように機体として大規模、かつワンオフであれば個体名を付けられることもありますが、それも派閥次第です。
ちなみに太陽系調査機は皆名前がついています。私のサテライト以外にもオスカーやサクラといった名前を持つ調査機がいたはずです。現状では調査を終えたと聞いていますがそれから先は私の権限では知ることが出来ません。
車両の運転を交代しながら進路を東へ。メシエは基本的に猫羊のてとてとを膝に乗せています。時折私や彼の膝にも移動しますがてとてとはメシエに従順です。名前を呼ばれると大人しくメシエの元にゆく利口な子です。
対して角狼のマカミは少し反抗的ではありますが彼の前ではきちんとしています。彼曰く犬系は躾けられるし、共同生活するうえでお互いの為だと言っていろいろと命令を出しています。
座らせたり伏せさせたり座った状態で前脚を出させたりと次々に命令と動作を関連付けて覚えさせていきます。
角狼も猫羊も噛み癖を心配していたようですがどちらもその兆候は無いという事で彼は安堵していました。悪いことをしたならきちんと叱らなければならない。それが躾だと彼は熱心に語ります。
「単純に危ないしこいつが危険な動物と見られたら誰も幸せにならないだろ」
『観察対象から駆除対象にならないようにという配慮ですね』
「配慮っていうか、一緒に旅する仲間ならルールを守らせるのも大事ってことだ」
少しだけ微妙な表情でしたが、彼の本音らしい部分が垣間見えました。
命に対するスタンス。飼育するという事に対する責任。互いの生活様式の違いを認めたうえで互いに不都合が生まれないような関係性の構築を目指す。
こういった考え方は人類独自のものだという考えがあります。
機械生命体群であれば最適な成育環境を用意するだけのものです。そして明確に生活範囲を区別します。それが効率的であるからです。
しかしこの狭い車内という空間で彼は自分の作業でもある車両の運転や収録した映像の編集時には命令コードである【伏せ】や【お座り】といったものを覚えさせることによりマカミの上位者として生活しています。
しかし一度停車し外に出ればマカミの求めるままフライングディスクという遊具や何の変哲もないロープを使った引き運動というものでマカミの相手をします。他にもマカミの気分次第で始まって終わる散歩などにも付き合っています。
私も一度一緒に散歩に付き合いましたが彼にもその明確な意味が理解できていないようでした。
『何で散歩するの?』
「ん? 何でってマカミがってことか?」
『そう、あとリスナーさん』
「俺? まあ飼い主だし付き合うでしょ」
『そうなの?』
「おう。まあ車内に居ついて運動不足になられても困るしな」
『でも一緒に遊んであげてるでしょ?』
「そりゃ飼い主だからな。年を重ねれば落ち着くだろうけど、だからと言って狩猟本能くらいは鍛えておいて損は無いだろ? 牙も張りぼてじゃねえんだ。いっぱしの角狼にしてやらないとな」
『……大人の角狼にってこと?』
「いんや、角狼として備えている才能とか、そういうのをきちんと伸ばしてやりながら人馴れさせるって言えばいいのか? まあ健全に大人になってくれればいいんだ」
『きちんとしたフードや遊んであげるだけじゃダメなの?』
「あー、室内飼いっていうのもあるだろうけど、マカミに関しては外に出す必要があると思ってる」
『そうなんだ』
「そうだぞ。ああ、サティ。マカミが甘えてきたからって食べ物あげちゃだめだからな」
『食べ過ぎないように、だよね』
「そうそう。基本的な躾の時はカットして小さくしたやつにしてくれよ」
『わかってるよー』
「過ぎたるは及ばざるがごとくってな」
ここ最近何度も言われたからね。食べ過ぎも食べなさすぎも良くないって。
でもマカミは実際に賢い子である程度角が伸びてこないと思念派を正しく理解できない子が多い中、あの子は既に理解できている節があるんだよね。
私もマカミと思念派によるやり取りをしているが自分の名前がまかみであることを理解しているみたいで、そうやって呼ばれることがうれしいみたい。何でだろう。今度リスナーさんに聞いてみようかな。でも教えてくれなさそうなんだよね、リスナーさん。
マカミは名前を呼ばれて喜ぶ。私が特に何も感じないのは識別信号だと思っているからかな? でもリスナーという響きは何となく特別な感覚がある。配信者にとってのリスナーっていうのが特別なのかな? それとも彼が特別なんだろうか。
『ねえリスナーさん』
「なんだ?」
運転中の彼が前を向いたまま答える。彼の座る運転席の後ろではマカミが専用席でくつろいでいる。一応安全装置はあるが角狼はそれすら感知するので調整が難しかった。
『リスナーさんのお名前は?』
「あん? リスナーだよ、ただのな」
うん。やっぱり個体名を教える気はないみたい。実際今は彼しかリスナーがいないから間違いではないのだけど。
今まではあまり考察してこなかったけど、彼との関係性を発展させるうえでこの配信者という役割についてもう少しリソースを裂く必要があるのかもしれない。
あと少しで海が見えてくるだろう。それで東部の調査は終了だ。この後はどうしようか。
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