畏怖された子

星多みん

もしも、私が

 ある日の合コンで目の前に座っていた男性がこう聞いて来た。


「お姉さんは嫌いな物とかある?」

「実家ですね」


 私がそう答えると、男性は少し唸ってから「田舎?」と聞いて来たので、私は口に含んだお酒を飲み込んで頷いた。


「確かに田舎って嫌よね~。娯楽もないし、虫とか多いいから女の子にとってはきついところあるかもね~」

「そうですか? 私は虫も好きですし、娯楽はないのはきついですけど、ここよりかは空気が澄んで好きですよ。だけど、風呂は絶対に次の日まで溜めるのは不思議でしたね、多分その残り湯を洗濯に使ってたんでしょうけど。そう言うところは田舎臭いですね」


 自己完結の回答は予想外の返しだのだろう。男性は面食らった表情で嫌いな理由を聞く。


「別に虐待とかないですし、人並み以上には大切に可愛がられてきましたからね。ただ何となく嫌いなんですよね。こっちに来たのも仕事の多さみたいなものですし」


 私はそう答え終えてから、思ったよりも酔いが回っていることに気がついて、男性にお金を渡してその場を後にした。




 目が覚めると、嫌いな田舎にスーツ姿で来ていた。辺りは真っ暗で頭の痛さは、ここまで来た経緯を簡単に予測させる。酩酊状態で電車に乗ったせいで、終点のここまで来てしまったのだろう。自分にある記憶を軽く整理しながら、一旦は駅を出ることにした。ここは無人駅で何事もなく出れたのは幸いなことだった。


 田舎の独特なきつい草の臭いで咳き込むと一先ずは実家に足を向ける。十年経った今でもなにも変化がない田畑を見て少しの懐かしさを感じたが、右側の耳に風が当たるとため息と一緒にそんな気持ちを吐き出した。


 二十分くらい歩いていると急に足が重くなり、何故だろうと下にある目線を上にあげる。どうやら実家の付近まで来ていたようだ。

 私は高校生の時と同じように家が見える直前の所で止まったが、何かに後ろを押されて覚悟をする前に一歩を踏み出してしまった。


 先祖の代から地主だったからか旅館ほどの外見。田畑やここまでの道は覚えていたが、これだけは忘れていたようで、テストの答え合わせをするように記憶を確認しながらじっくりと辺りを見回す。いつも漏れていた光は何処にもなく、誰も居ないようだ。私はそのことに気がつくと、安心して玄関の扉に手を掛ける。


 ガラガラと重い引き戸を引くと、デジャブのような薄暗い廊下があった。隣には下駄箱があり、その上には私の写真がいくつか置かれている。

 廊下を進んだ奥には確かトイレと階段があったが、なんとなく家族のそれぞれの部屋がある二階は怖くて、一階にある無駄に広いリビングに向かう。リビングにはちゃぶ台ともう使えないブラウン管テレビに、折りたたまれた長机の束があった。私はそれらすべてに良くも悪くも思い出があったので、数秒だけ見つめて直ぐにそっぽを向いた。


 暫くは一階のキッチンや洗面所を見て回っていた。それはこの家でまだマシと思える空間だったからだ。でも今も怯えているのも何かに違いと思い、私は階段の軋む音を立てた。


 階段を上がって一番手前にあるのは自室だった確か最後に見たのは十年前の三月くらいだっただろう。次に両親の部屋で、そこから最後の部屋までは客室が二つあった。

 その客室は勝手に住まれたら嫌だからと母が掃除する時と酔った親戚が泊まる以外には鍵が掛かっている。私は手始めに自室を見るのだが、特に何も変わって居ないようで両親の部屋に入ろうとした時、誰かの寝息が聞えたような気がして隠れるように自室に戻り、静かに扉を閉める。


 閉めた扉には八月のカレンダーが貼ってあった。さっきは気付かなかったもので、一日から二十日までバッテンで埋まっており、次の日には『誕生日』という文字が薄く書いていた。私はその文字に対して首を傾げながら凝視するが、どれだけ睨んでも過去のことが蜃気楼のような感じで誰の誕生日かを思い出すことが逆に罪な様な気がして、モヤモヤしたままベッドに座る。

 あれは何だったのだろうか。そう思いながら、どうしようもない事は忘れるに限ると思って枕に顔を沈めようとする。その時に「カシャ」と音がするのと共に、紙のようなものが枕の中にある感触がした。私はその記憶にないものが気になり、ベットカバーのチャックを開いて手を入れてみる。するとやはり紙が一枚あり、それを取り出す。


「逃げるな?」


 水をこぼしたのか所々はシミが付いて掠れていたが、私には確かにそう読めた。だが、どういう意味なのだろうか。そう一瞬は思ったが、何かの小説のように「なぜ私はここが嫌いなのか」と思い当たる疑問が思い浮かび、目の前の逃げるなという文字が、さっき思い浮かんだ疑問を解決するようにと促されているようだ。

 私はもう一度、何が嫌いなのかを探すために階段を下りた。ブラウン管テレビにちゃぶ台。冷蔵庫には買い出し前なのか食材は少なく父のお酒がいくつか、風呂場には残り湯が、トイレにはまっさらなカレンダー。玄関には私の写真と私がここまで来るのに使った靴。

 嫌な事がないはずなのに、そう考えて自室に戻るともう一度カレンダーが目に入る。そういえば一階のカレンダーには何も書かれてなかったような。私はその考えが合っているかを確かめるために、階段を降りてカレンダー全てを見て回った。するとトイレ以外にも玄関やリビングのカレンダーにも何も書かれておらず、私は最後に残った両親の部屋を開ける。


 最初に見えたのは少し奥にある二つの布団だった。私はそこに両親がいるかと思ったが、部屋に入ってからは寝息一つも聞こえず、近づくと膨らみはなく綺麗に整えられていた。きっと部屋に入る前に聞えた寝息は自分の息遣いを勘違いしたものだろう。そう思いながら電気を付けた私はクローゼットの扉にカレンダーを見た。私の考えはどうやら合っていたようだ。どこのカレンダーにも『誕生日』の表記はなかった。


 では何故、私のカレンダーにだけ?

 それを起点に思考を巡らせる。一般的には家族以外の人、例えば彼氏や親友などと思ったが、それだったら濃く書いているはずだ。薄く書くとなるとそれは誰かバレたくなかった?


 記憶がぼやけている私はどうも他人的な考えで、探偵が事件の動機を推理するような気分に徐々に面倒なことだと思い始めて両親の部屋を後にするのだが、その時に一番奥にある部屋に足を運ぶ。



 幼少期、ここは絶対に入ってはダメな場所だった。でも子供の好奇心はダメと言われると入りたくなるもので、6年生のある時理由をそれとなく父に尋ねた。父は少し悩みながら口角を上げて「恐ろしい鬼がいるから、詳しくはお母さんに聞くといいよ」と言った。


 私はその言葉を半ば信頼できずにキッチンにいる母の元に向かった。


「どうして2階の奥の部屋には入ったらいけないの?」

「それはね、あそこは汚くて子供が入ったら病気になるからだよ」


 私はここで父と母の意見が違ってる事を指摘しようと思ったが、背伸びした私は何も言えずに両親の隠し事をそのままにして、事実だけを確かめようとその日の晩は眠らずに本を読んでいた。


 私がいつもなら寝ている時間。目を擦りながら何も無かったと決めつけようとした時に、奥の物置が開く音がした。

まさか本当に鬼がいるのか。

 そう思った私は布団に潜り込み身を震わせて居たが、想像してた鬼より足音は軽くて、唸り声の代わりに女の子みたいな息遣い。私は恐怖心を忘れて扉をそっと開けました。


 一階から漏れる明かりが作り出した影は私と同じような背丈で、髪はボサボサの少女がお腹を抑えながら歩いており、グルルルとアニメみたいな腹減り音が聞えてくると私は可愛そうで我慢できずに部屋を飛び出した。


「どうしたの?」


 私はそう言って彼女は驚いた顔で私の傍を離れようとする細い腕を掴む。彼女は思ったよりも力がないらしく、逃げるのが無理と思ったら顔を隠して口を開いた。


「お腹すいた」


 その言葉を聞いて私は彼女と一階に降りて適当なお菓子を取ってあげると、彼女はそれを美味しそうに頬張るので、その様子を隣で見ながら私は抑えきれない質問を口に出した。


「君はどこの子?」

「この家、でも違うと思う」


 私はふんわりとした答えだなと思ったが、数年後の悩みを相談出来るようになった中学生の時にその意味を気付くことになる。でも遅かった。


 八月二十日。この日に彼女、いや私の双子の妹は死んだ。一番最初に見つけたのはその次の日の朝、風呂場に向かったはずの母が驚いた表情で二階の物置に向かったのがキッカケだった。

 私はその時は夏休みで自室で勉学に勤しんでいたのだが、その音がどうしても気になったので部屋を出てなぜか空いている奥の部屋に行くと、キッチンから盗んだであろうナイフで手首を深く切られた彼女が横になっていた。


 私はその姿を母の脇からチラッと見えると、目の前の障害を横に倒して彼女の体を触った。冷たかった。そう、葬式後の宴会場で大人たちが笑って飲んでいるビールのように冷たかった。そして生暖かい頬に流れる水は、今の部屋のように生ぬるかった。



 私にとって、ここはパンドラの箱だったのだろう。思い出さないように実家と似た田舎から逃げて、都会で未来じゃなくてやり直そうとしたんだ。


 私は大きく息を吸ってから一階に降りると、コンロを外してガス栓を開放した。もしも瓜二つの彼女なら、こんな時どうしたのだろうか、と考えながら。

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畏怖された子 星多みん @hositamin

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