第2話 side man
男は殺しを生業としていた。いつからそれを仕事にしていたのか、もう思い出すことができない。男は人を殺すことでその日の生活を繋いでいた。人を殺めるというのは彼にとっては生きることと同等だった。男はとても優秀だった。優秀だったから仕事もたくさんあったし、その分たくさんの人の恨みを買った。男は常に人の命を狙っていたし、人から狙われてもいた。男はあまりそのことは気にしていなかった。1人の女と出会うまでは。
女との出会いは仕事で泊まったある宿屋だった。彼女は宿屋の看板娘だった。女は男の仕事のことを知らないせいもあったが、とても気さくに話しかけてくれた。客の少ない宿屋だったため、夕飯を共にしたりもした。彼女と交わしたなんでもない会話が、男の心を癒した。女と話をするたびに男は、全てを投げ出して彼女と一緒に穏やかに暮らしたいと願うようになった。
依頼が終わり、宿を去る日に、男は女に告白された。私はこのままあなたと離れるのはとても辛いと。男も同じ気持ちだったが、嘘を突き通す自信がなかったため、男は全てを女に話した。女ははじめは驚いていたが「それでも構わない」と言った。そんなのはあなたと離れる理由にならないと。女は強かった。女の言葉を聞き、男は女を抱きしめた。そして男も女と同様に覚悟を決めた。彼女と一緒に幸せに暮らすためにこの仕事から手を引こうと。
男は女を連れて、しばらく森の奥でひっそりと暮らしていた。ただ、男はすぐに殺しの仕事を辞められるわけではなかった。残りの依頼をこなしながら、男はなんとか今までとは別に、収入を得る方法を探した。課題は残るものの、男と女は幸せに暮らしていた。
女は料理とお菓子作りが得意で、家にいる間はよくお菓子を作った。特に彼女の大好物であるジャムサンドクッキーはよく食卓に並んだ。男もそれが大好きで、女にレシピを習ったりもした。
穏やかに暮らしていたある日、悲劇は起きた。男が帰ると、家の中が荒らされていた。そしてそこには、血だらけで倒れている女がいた。女は男を恨んでいた人間に殺されてしまったのだ。
男は悲しみに暮れた。今までの人生。早くに仕事から手を引かなかったこと。女を守り切ることができなかったこと……全ての後悔が男を飲み込んだ。
男はしばらくの間、生きる気力さえ持てずに彷徨った。そしてある時、森の奥で古い教会を見つけた。男にはその教会がとても神々しいものに見えた。男はこの後悔する気持ちに、せめて折り合いをつけたかった。男は誰もいないであろう教会に入り、祭壇に向かい今までの罪を告白した。男は毎日毎日それを繰り返した。
教会には誰もいないと思っていたが、そうではなかった。男が祭壇に向かっていると、チャーチベンチのあたりから視線を感じた。そこにいるのはどうも幼い少女のようだった。
男は祭壇に向かう前後で少女の様子を観察した。どうも少女は、この教会で1人で暮らしているようだった。痩せ細った少女のことは気になるが、男にはどうすることもできなかった。男は自分が関わってしまったら、少女のことも危険に晒してしまうかもしれないと恐れていたからだ。男は少女のことを見ないふりをするしかできなかった。
男がいつものように祭壇に罪を告白していると突然後ろでぱたり、と音がした。音のする方を振り返ると、あの少女が倒れていた。男は驚いて少女に駆け寄った。どうするべきか……男は迷った。少女を自分の人生に巻き込みたくない。しかし、このままでは彼女は死んでしまうかもしれない……しばらく悩んだ挙句男は少女を抱き抱えた。少女はもう危険な状態だし、もし、彼女を自分のせいで危険な目に合わせてしまうのであれば、その危険から命をかけて守ってあげればいい。同じ失敗をしなければいい話だ。それが神様が俺に与えた試練なんだ。男はそんなことを考えた。
少女を教会にあったベットに寝かせて、男はしばらく様子を見た。息はしているようだが、男には医学の知識があるわけではないので、どうしたらいいのかがわからない。とりあえず、男は外にある井戸へ水を汲みに行った。
帰ってからしばらくすると少女は目を覚ました。すぐ横に男がいたので少女は驚いているようだった。とりあえずなんともなさそうだったので水とパンを差し出すと、少女はそのパンを美味しそうに頬張った。どうやらろくに食べ物を食べていなかったらしい。その日から男は少女の面倒を見ることにした。
男は毎日教会に通った。いつものように祭壇に向き合った後、少女に食べるものを持ってきた。他にも少女に読み書きや、料理や、掃除など、生きるために必要なことを教えた。少女は一生懸命に男の話を聞いて、教えたことをどんどん吸収していった。
秋になり、教会のすぐ近くにあったラズベリーの木にはたくさんのラズベリーが実っていた。男はそれを見て、女がかつて作ってくれたジャムサンドクッキーを思い出した。まだ辛い思い出ではあるが……それでもなぜか、久しぶりにジャムサンドクッキーを作ってみたい、と思った。男は少女に一緒にラズベリーを収穫しようと誘った。少女はそれをとても喜んで、早々に教会から出ていってしまった。その様子を男は微笑ましく見守った。
収穫を終え、男はラズベリーを半分譲ってくれないかと少女にお願いした。ただでさえ食べ物が少ないのに、そんなことをお願いするのは申し訳ないと思いながら……
「もちろん」
少女は当然とでも言うかのようにすぐに首を縦に振った。男はそんな少女を優しいなと思った。彼女のために美味しいラズベリージャムサンドクッキーを作ってやろうとも。
市場でクッキーに必要な材料を買った後、男は街にある宿に帰り、キッチンに立った。自身が食べるためにキッチンには立つが、お菓子作りのためのキッチンに立つのはとても久しぶりのことだった。上手く作れるか不安だったが、男は記憶を辿りながら手を動かし始めた。
「これ、すごく美味しい! 」
翌日、男はカゴいっぱいに作ったラズベリージャムサンドクッキーを教会へ持っていった。少女は初めて見るジャムサンドクッキーに目を輝かせていた。その顔を見て、男はああ、作ってきてよかったなと思った。
「こうして過ごしていると……本当の家族みたいだね、私たち」
少女の言葉に男は少し驚いた。家族……いつのまにか、少女はそんな風に思っていてくれたのか。もし、自分に娘がいたらこんな気持ちなのだろうか……男は少女の頭を撫でながらそんなことを呟いた。少女はとても嬉しそうにしていた。
ある日、男は街で知り合った人々を訪ねて回っていた。少女を引き取ってくれる家を探していたのだ。
少女が男のことを家族のように思ってくれているのは嬉しかった。嬉しかったが、男は自分がいつまでも少女の側にいてあげられないことを知っていた。罪を重ねてきた男。仮に神が許してくれても、男は人々の恨みを買いすぎていた。もう……2度と同じ過ちは犯さない。男は少女を救ったあの日に誓ったのだ。
ある夫婦が、少女のことを見てあげても良いと申し出てくれた。いつも食材を買いに行く市場の夫婦だった。男はこの街に来てから彼らと仲良くなっていた。この夫婦なら安心して少女を任せられる。男は夫婦に深く頭を下げた。
男は夫婦のことを少女に伝えるために教会へ向かった。
森の一本道。男は視線……殺気を感じた。元
同業だと思う。しかもかなりのやり手だ。男に恨みを持つ誰かが依頼したのだろう。殺気はだんだんと近づいてくる。男は身構えた。自分の命はどうなっても構わない……ただ、あの少女だけは守らなければならない。そんなことを考えていた。
殺気の主が仕掛けてきた。さっと移動すると、男の背中に剣を振りかざす。男は背中に隠してあった短剣でそれを受け止めた。殺気の主は後退りした後、体勢を整えてもう一度男にきりかかる。男は身体を右に倒し、剣筋を避ける。背後に周り、背中をとったかと思ったが、相手は素早く振り返り、男の短剣を受け止めた。
グサッ
男は相手のもう片方に握られた短剣で刺された。痛みが全身を駆け巡る。しかし、ここでやられるだけではいけない。この男はもしかしたら少女の元にも行くかもしれない。たとえ命に替えてもこの男にとどめを刺さなくては……
男は決死の覚悟で、短剣で止めていた相手の刃を左手で握り、右手の短剣を相手の心臓に突き刺した。相手は血を吐き、その場に倒れた。おそらく即死であろう。ただ、男も致命傷を負った。もう彼に残された時間は少ない。しかし、男はまだ倒れるわけにはいかなかった。少女に街で家族になってくれる人が待っていることを伝えなくては……それに、男は最期少女に会いたかった。男は痛みで気を失いそうになりながらも森の中を歩いた。
血だらけになった男を見て少女は驚いた。涙も流していた。男は少女にまっすぐに街に降りること、そこで新しい家族が待っていてくれていること、そして少女と一緒に生きられなかったことを謝った。
「ありがとう。私、あなたのこと忘れない」
少女のその言葉を聞き、男は満足した。意識がどんどんと遠のいていく。男が最期に聞いたのは少女のその優しい言葉と、啜り泣く声だった。
ラズベリージャムサンドクッキー 旦開野 @asaakeno73
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