ラズベリージャムサンドクッキー
旦開野
第1話 side girl
少女は生まれながらにして孤独だった。少女が自身の存在を認識した時、彼女は森にポツリと佇む、古い教会にいた。周りには両親はもちろん、彼女以外の人間はいなかった。
彼女は孤独ではあったがたくましかった。教会の近くには井戸があったし、全く人通りがないわけではなく、時々、旅人たちが通りかかり、教会に泊めてあげると、宿賃といって持っていた食料を分けてくれた。そのうち、少女は教会に残された本を使って、食べられる草や木の実などを集めてくるようになった。教会の植物図鑑には◯や×の記号が書かれていて、彼女はこれが食べられるもの、食べちゃダメなものの印であることを直感的に判断した。読み書きは旅人たちが時々教えてくれたが、そんなものがなくても、食料を集めてくることができたのだ。
ある時、教会に、大人と男の子の旅人がやってきた。
「私たちは親子なんだ」
と大人、父親は教えてくれた。その父親は男の子と同じくらい、少女に構ってくれた。大人がいること……父親がいるというのはこういうことなのだろうか、と少女は考えた。男の子とも仲良くなり、その晩はとても素敵な時間を過ごした。
「一緒に連れてってやりたいが、私たちも自分たちが生きるのにやっとなんだ」
翌朝、父親は男の子を連れて去っていった。それでも少女のことを心配して、できる限りの食料を置いていってくれた。
仕方のないことだというのは少女もわかっていた。それでも少女は男の子が羨ましいと思った。あれが親子、あれが家族……少女は「家族」というものに憧れを抱くようになった。
いつからだろう。教会に男が来るようになった。背の高い、目つきの鋭い男。目つきは鋭かったが、その瞳の奥にはどこか虚しさがあった。男は教会の祭壇に跪き、いつも熱心に何かを祈っていた。
少女はその様子を毎日影からこっそりと見つめていた。男に近づくのは……少し怖かった。それでも少女は男のことが気になって仕方がなかった。一体何者なのだろう。どうしてそんなに熱心に神様に祈っているのだろうと。男が少女に声をかけてくることはなかった。少女に気がついていないのか、それとも気がついていて無を視をしているのか……少女にはわからなかった。
少女はある日、大聖堂で倒れてしまった。しばらくまともな食べ物を食べることができていなかったのだ。この日も少女はチャーチベンチに隠れて男の様子を見ていたのだが、いつの間にか少女は気を失ってしまっていた。そして次に気がついた時には、少女はいつも寝ているベットの上で横になっていた。
「あ……えっと。大丈夫か? 」
少女の横には毎日熱心にお祈りをしている男の姿があった。急なことに、少女はびっくりした。
「あ、わりい。急にいたら驚くよな……」
男は申し訳なさそうに少女から目を逸らした。
「急に倒れたからびっくりして……その……放っておくのも違うかなと思って、とりあえずここに運んだんだ。俺、医者とかじゃないからよくわかんないけど……まだどこか具合悪いか? 」
男の質問に少女は首を横に振った。おそらく何も食べてないせいで気を失ってしまったのだろう。少女はそう思っていた。
「そうか……とりあえず、よかったのか? まあいいや。とりあえず水を汲んできた。あとはパンもある……食べられるか? 」
男はそういうと、一つのパンを少女に差し出した。少女はあまりにもお腹が空いていたので、男の手からパンを取ると早速かぶりついた。口いっぱいに広がる麦の香りに、少女は安心感を覚えた。
「それだけ食べられるなら問題なさそうだな」
男はパンにかぶりつく少女を優しい眼差しで見つめた。その日を境に男は教会に祈りにくるだけでなく、少女と共に過ごすようになった。
暑さが和らぎ、樹々の葉も赤く色づいてきたころ、少女と男は教会の近くでラズベリーの収穫をしていた。
「せっかく食べられるんだから、収穫しようよ」
男はそう言って少女を誘ってくれた。少女もその誘いが嬉しかったので、喜んで教会の外へと飛び出した。
「こんなものか。結構採れたな」
男の持っていたカゴはラズベリーでいっぱいになった。少女はとても嬉しそうにカゴの中身を見つめていた。
「なあ、半分俺にくれないか? 」
男は少し申し訳なさそうに言ったが、少女は男が半分持っていくものだとばかり思っていたので、すぐに首を縦に振った。
「そうか? ありがとう。じゃあ明日、楽しみにしててくれよ」
男はそういうと、少女に笑いかけた。少女はどうして男がそんなことを言うのか、よくわからなかった。
「おーい。いるか? 」
翌朝、男はいつもくる時間よりも少し遅れてやってきた。教会のお掃除をしていた少女だったが、掃除の手を止めて、男の声のする方へと飛び出した。男の手には昨日、ラズベリーでいっぱいにしたかごがあった。
「これ、お土産。よかったら一緒に食べないか? 」
カゴにかかっていた布を取ると、そこにはクッキーがたくさん入っていた。まるで赤い宝石のようにキラキラしたジャムがのぞく、花型の可愛らしいクッキー。少女は目を輝かせながら、このクッキーはどうしたのかと男に尋ねた。
「俺が作ったんだ。昨日もらったラズベリーをジャムにして。昨日ラズベリー採ってたら久しぶりに作りたくなってな」
男は得意げに話してくれた。
「確か、この間持ってきた紅茶がまだ残ってるよな?クッキーと一緒に休憩にしよう」
男は言い終わるか終わらないかくらいで、教会にあるキッチンの方へと歩き出した。少女も一緒に手伝うと、男の後をついて行った。
2人は教会の外にある、古いガーデンテーブルに紅茶とクッキーをのせ、ガーデンチェアに腰掛けた。外は心地のいい日差しが降り注ぎ、外でティータイムを楽しむにはうってつけの天気だった。
少女は早速ラズベリージャムサンドクッキーに手を伸ばした。こんなに手の込んだお菓子を手にするのは初めてだった。少しドキドキしながら少女は花の形のクッキーを口に運ぶ。甘くてホロホロと溶けそうなクッキー生地に、ラズベリージャムの甘酸っぱさが混ざり合う。少女が今まで食べてきた中でも一番美味しいものだった。
美味しい、と少女が笑顔で男に伝えると
「よかったよかった。ほら、たくさんあるから遠慮せずに食べろよ」
優しい微笑みで男は返してくれた。男は紅茶を口に含み、喉へ流し込むと、ラズベリージャムサンドクッキーを一枚手に取り、じっと見つめた。その顔は優しくもあり、どこか寂しげにも見えた。しばらくして、男は見つめていたクッキーを口に放り投げた。もぐもぐとした後の男の顔は満足げだ。
「久しぶりに作ったが……腕は落ちていないようだな」
男はまたカゴの中のクッキーに手を伸ばした。
少女は幸せを感じていた。こんなに美味しいものを、誰かと一緒に分かち合う。それがとても嬉しかった。まるで……本物の家族のようで。少女はそのことを思わず口にした。それを聞いた男が
「家族……か。そうだな。俺に娘がいたら、きっとこんな感じなんだろうな」
男はそう言って少女の頭を撫でてくれた。その優しい言葉と眼差しが少女の心を温かくした。
穏やかな時間はしばらく続いたが、長くはなかった。
寒さが少し緩やかになったある晴れた日、少女はいつものように男がくるのを待っていた。しかしその日は昼になっても、日が傾き出しても男は教会にはやってこなかった。
空が橙色になって来た頃、男は教会にやってきた……自身の血まみれの体を引きずって。少女はその姿に驚き、すぐに男の元へと駆け寄った。一体何があったのだろうか。
「俺がどうしようもなかったばかりに……本当にごめんな」
少女は弱りつつある男の姿を見て動揺した。どうにか彼を助けることができないのか。少女は一生懸命に考えた。男は動揺する少女の頭を両手で包み込み、彼女の目をまっすぐに見つめた。
「いいかい。君はこの森をまっすぐに抜けて街へ行くんだ。大丈夫。もう怖いものも、君を襲うものもいない。だから俺の言葉を信じて街へ行ってくれ。街に入ってすぐ、赤い屋根のお家がある。大きくはないが……それでもそこに行けば、君は面倒を見てもらえる。とても穏やかで優しい夫婦だから安心するといい。いいかい?必ず言う通りにするんだよ」
男は息を切らしながら少女に伝えた。
「家族だと思ってくれてたのにな……一緒にいられなくて本当にごめん。だけど、俺は空から君のことをずっと見守っている。だから……あまり……悲しまないでくれ……」
男はそれだけ言い残すと、息を引き取った。少女は男が目覚めるよう、男の体を摩っていた。男はもう戻ってこないということがわかると、少女は男の側で泣き続けた。
次の日、少女は男との約束通りに街に降りた。赤い屋根のお家へ行くと、優しそうな夫婦が少女を出迎えてくれた。
夫婦は男とは知り合いで、少し前から少女のことを引き取って欲しいとお願いに来ていたそうだ。子供がなかなかできなかった夫婦はその話をとても喜び、少女を迎え入れてくれたのだった。
少女は夫婦のもとですくすくと育った。3人はまるで本当の家族のようだった。しかし、少女は男のことを忘れることはなかった。少女は時々、男のことを思い出しながら、今でもラズベリージャムサンドクッキーを焼いている。
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