破滅の足音
最初の一区画の工事完了を目前に控えた日、その報せは入ってきた。
貴族連合の諸侯が、大街道沿いに兵力を結集させつつあるという。
「来たか。ついに」
伝令からの報告を受け、エティエンヌは眉間に皺を寄せた。
王都再生計画の開始からは二十日ほどが過ぎていた。この間、王家側も手をこまねいていたわけではない。貴族連合の動揺や内部分裂を誘う情報を流したり、長期戦に備えて食料の備蓄を確保したり、様々な方面での備えは行っている。時間も物資も人手も十分とは言えなかったが、状況は確実に前進していた。少なくともルネはそう感じていた。
軌道に乗り始めた復興事業が中断されてしまうのは悔しい。エティエンヌもルネも、市民たちも、その思いは同じだったろう。
だが、連日のように報告されてくる貴族連合の動向は、すべてを徐々に一色に塗りつぶしていった。
不安、あるいは恐怖。
奴らは、再生の前に王都のすべてを潰滅させるつもりだ――誰もが、そう考えずにいられないほどに。
◆
最初の報せから五日が過ぎた頃。
貴族連合盟主、ベルナール・ド・アンジューの元には、貴族連合のほぼすべての諸侯が結集しつつあった。少なくとも王都の民はそう噂していた。
通常は機密情報であるはずの、兵力・参集諸侯名・進軍予定経路などを、奴らは隠そうとしていなかった。むしろあえて誇示しているように見えた。貴族連合は、残存する全兵力をもって王都ブリアンティスの補給線を断ち、完全包囲するつもりだ――人々はそう囁き合った。背後には、あの小太りの商人の姿も見え隠れするように、ルネには思われた。
できれば陽動であってほしい。実態は、奴らが誇示するものより小規模であってほしい。
ルネはそう願っていた。が、各地の諜報員が寄越してくる情報は、淡い期待を丁寧に打ち砕いていった。喧伝される兵力は、実兵数とおそらく大きな開きはなく、王都の守備隊を大きく上回る数と装備を備えていた。
支配地域の兵力をすべて足せば、王家側が依然優位のはずではあった。だが全兵力が一点に集中するなら話は別だ。しかも王家側は、エティエンヌ直属の王都守備隊と同盟貴族の間で足並みが揃っていない。エティエンヌが傀儡に不適だと悟った同盟諸将が、どう動くかはまったく未知数だった。日和見か、最悪の場合は見殺しにされる可能性さえあった。
「どうする。打って出るか」
軽く笑いつつ、ルネはエティエンヌに尋ねた。相変わらず眉根を険しく寄せたままの王子を見ていると、やはりまだまだ青いな、との感慨が湧いてくる。為政者、すなわち大勢の命を預かる存在は、そうも素直に喜怒哀楽を表に出さない方がいいんだがな、とルネは思う。
「街道でぶつかって、勝ち目があるならそうもするが……魔法が手元にない今となっては、貴重な兵力をいたずらに消耗するだけだろう」
手元の紙束に視線を落としつつ、エティエンヌは嘆息した。
エティエンヌの頬から、また肉が落ちてきた気がする。父親の呪いから解き放たれて、一時は食べる量も増えていたが、最近はまた疲れの色が濃くなりはじめた。
「判断としては同意見だが……そうなれば、籠城戦になっちまうのか」
「私としても、それだけは避けたかった。が」
エティエンヌはふたたび黙り込み、手元の紙束から一枚をルネに示した。西海岸方面の領主からの返書だった。
ヴァロワ王家との同盟を、大筋で了承する内容だった。そのうえで、王家の旗を掲げる時期――すなわち貴族連合を裏切るのはいつがよいか、エティエンヌに回答を求めていた。
「我々としてはすぐにでも、と答えたいところだが、各諸侯がばらばらに動いては各個撃破されるだけだという先方の主張も理解できる。どう連携を組み立てるべきか、動くべき時はいつか、慎重に見極めねばならない」
「確かにな。西海岸からの一斉奇襲が背後から決まれば、形勢逆転もできそうだ」
「おそらく機会は一度きりだ。慎重にならねばならないが、慎重になりすぎて機を逸しては元も子もない」
エティエンヌは、別の書類を俺に示した。こちらはヴァロワ王家の味方――少なくとも名目上はエティエンヌに仕えているはずの、古参の諸将に宛てた手紙だった。彼らのうちには、王都奪還後に自領へ戻ってしまった者も多い。エティエンヌは彼らへ向けて、王都陥落が彼らの領土にどのような脅威となるかを説きつつ、多額の褒賞をちらつかせていた。
「開戦前に、どこまで私たちの力を結集できるか。今後の趨勢は、そこに懸かっているだろう」
同じ内容が書かれた何枚もの書状を並べつつ、エティエンヌは大きな溜息を吐いた。
「できれば、市民たちの犠牲は最小限に食い止めたい……包囲下の市民たちが飢えに苦しむ事態だけは、なんとしても避けねばならない」
青い双眸が、じろりとルネを見た。言わんとすることを察し、答える。
「食糧の調達は全力でがんばってる。動かせる資金を、全部食べ物に換えるくらいの気持ちでな」
「ありがとう。頼もしい」
「ちっとも頼もしくはねえよ。気持ちじゃあ取引は成り立たねえ」
ルネは軽く笑ってみせた。わかりやすい虚勢だった。
「つてのある食料品商は、どこももう穀物の在庫を持っていやがらねえ。買い占めの手が回ってる」
「貴族連合か……あるいはギヨームが奴らと結託し、裏から状況を動かしているか」
「どっちであれ現状、物がねえのは確かだ。大手の食料品商どもはぼろ儲けだな、笑いが止まらねえだろう」
エティエンヌが肩を落とす。うなだれる姿は、かつての陰鬱さを少しばかり纏っているようにも感じる。
ルネは高く笑いつつ、背中を強く何度も叩いた。
「あんまり考え込むな。今は、やれることをやるしかねえ」
とはいえ、すべてを解決できる魔法の杖は、エティエンヌもルネも持っていない。
味方の組織を引き締め、王都の環境を整備し、兵力を集め、同盟を強固にし、どうにか勝ちの光明を探すしかない。
光が見えた時、確実に掴み取れる備えを整えること。いま彼らにできるのは、それだけだった。
◆
古参の諸将たちを、麾下兵力と共に王都へ呼び寄せた。従う者従わない者、態度は分かれたものの、どうにか貴族連合公称兵力の六割ほどの兵数は確保できた。
市民たちに自警団を編成させた。食糧の配給体制も整えた。
残された時間で、再生計画第一区画の修繕を完了させた。第二区画の作業が始まった。
西海岸の諸侯とエティエンヌとの間では、驚くべき頻度で書簡が取り交わされていた。内容はもちろん極秘であったが、多くのことがらの調整が進んでいると、ルネはエティエンヌから聞かされていた。
ふたりは、できるかぎりの力を尽くした。勝利につながる決定打にはならずとも、可能な限りのほころびを直した。
だからこそ、その日――エティエンヌのもとに、貴族連合の盟主ベルナール・ド・アンジューからの書状が届けられた日、ルネは確かに感じた。
与えられた猶予は終わった。これまでのすべてに意味はあったのか、無駄だったのか、試される時が来たのだと。
エティエンヌは表面上平静だった。だが、書状を持つ手はいつもより白かった。強く握りしめた手から血色が抜けていた。
書状の内容は以下のようなものだった。
『僭主エティエンヌ・ド・ヴァロワへ
我は、神聖なる貴族連合の盟主として、貴殿に以下四か条の要求を行う。
一つ、ヴァロワ家に属するすべての兵士を、王都ブリアンティスより速やかに退去させること。
一つ、エティエンヌ・ド・ヴァロワ自身も王都より永久的に退去すること。
一つ、エティエンヌ・ド・ヴァロワが王権の僭称を停止し、貴族連合盟主によるフレリエール王権の継承に同意すること。
一つ、エティエンヌ・ド・ヴァロワが、前王ヴィクトール・ド・ヴァロワから不当に継承したすべての財産を貴族連合に譲渡すること。王城、各種宝物、「神の料理人」ことルネ・ブランシャールの身柄等を含むが、これに限定されない。
上記要求が実行されない場合、我ら貴族連合は神聖なる使命をもって、ヴァロワ家の僭主および同盟者へ宣戦を布告するものである。
ベルナール・ド・アンジュー記す』
来るべき時は、来てしまった。
ルネとエティエンヌは王城の最上階、物見の塔へ上がった。遠く広がるブリアンティス平原を、黒服の兵士たちが埋めていた。前後左右を見回してみれば、どの方角も蟻のような兵士で溢れていた。退路は、すでにない。
「書面を準備する」
エティエンヌが小さく呟いた。
「降伏拒否の文書だ。可能なかぎり、強く鋭い言葉で」
「いつも通りでいいんじゃねえのか? 無駄に相手を刺激する意味はねえだろ」
言えば、端正な横顔が鋭く笑った。
「おまえを『財産』呼ばわりする連中だからな。言葉の上でくらい一矢報いねば、私の気持ちがおさまらない」
その程度、気にする必要はないぜ。侮辱や軽蔑にも慣れてるしな――言いかけた言葉をルネは飲み込んだ。
代わりに無言で、エティエンヌに笑いを返した。ふたり、笑い合う形になった。
次にいつ笑えるのか、ルネにはわからなかった。おそらくは、エティエンヌにもわからないのだろうと思った。
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