不正と裏切り
エティエンヌは精力的に働いているものの、城下の状況は改善していない。むしろ悪化の一途をたどっていた。警察の監視は行き届かず、犯罪の取り締まりが追い付かない。街路や上下水道の復旧も進まず、居住区域の衛生状態は日を追って悪化している。ルネは調味料や調理道具の調達で、たびたび城下に出ることがあったが、状況が改善している兆しは市街のどこにも見えなかった。
その日ルネは、不足していた食材を仕入れに市場へ向かった。だがどこにも物がない。わずかばかりの食料品は、ルネがかつて王都にいた頃の四倍近くに高騰していた。それでも半ば奪い合いになっているようで、あちこちで店主と客、あるいは客同士の喧嘩を見かけた。
怒声の中に、気になる言葉があった。
「配給の食糧だけじゃ食えねえんだよ。俺たちを干上がらせる気か」
食糧配給は、ギヨームが必要な量を手配しているはずだ。そのために結構な額の予算も割いている。だのに行き届いていないのかと、ルネは
王城に戻ったルネは、幾人かの信頼できる官吏に命じ、帳簿と物品管理記録の調査を始めさせた。
◆
あがってきた調査結果に、ルネは絶句した。
どこからどう見ても真っ黒だった。正札が高額なのは仕方がない。だが高い値を払って仕入れた配給用の穀物や塩は、市民に届くまでにごっそりと目減りしていた。よくて二割、悪くすると半分近くが、最終的にいずこかへと消えている。帳簿は巧妙に書き換えられ、複数の記録を突き合せなければ不正が発覚しないように細工がされていた。
「横流しか……」
うめきつつ、ルネは考えを巡らした。首謀者は誰なのか。
真っ先に浮かんだのは、途中の行政官や役人たちだった。だが、配給業務に関わる行政官は複数人いる。横領と思しき形跡は、ほぼ全員の担当箇所で、同様の手口で確認されていた。全員が同じやり方で、同程度の量をくすねていたとは考えにくい。
最悪の想像が頭をちらつく。悪夢を払拭するため、ルネはいくつかの追加調査を命じた。
だが得られたのは、最も認めたくなかった結果だった。
◆
その日エティエンヌは、デュヴァル商会の最高責任者ギヨーム・デュヴァル氏を王城に召喚した。豪奢なソファの並ぶ応接室には、ルネとエティエンヌ、今回の調査に携わった何人かの官吏が詰め、氏の到着を待った。机の上には、調査報告の書類がうず高く積み上がっていた。
ギヨーム氏は、指定の時間ぴったりに現れた。満座の氷の視線を受けつつ、いつものように太い腹を揺らして悠然と笑う。
「新規のご発注ですかな。ですが、商談はそのようなしかめっ面で始めるものではございませんぞ」
「単刀直入に言う。ギヨーム・デュヴァル殿、あなたに不正取引の嫌疑がかかっている」
エティエンヌの言葉に、ギヨームはまったく動じない。皺に埋もれそうな目を細めて、くっくっと笑う。
「何者かが
「証拠は揃っている」
エティエンヌは山積みの書類から、一枚を取りギヨームに突きつけた。
「調査の結果、貴殿に依頼した発注数量と、実際に納入された数量との間に明らかな差異が確認された」
「役人か倉庫番かが横流ししておるのでしょう。内部の不正は、我が商会の関与するところではございませぬよ」
「末端の担当者が独断で行ったなら、帳簿や書類を確認すればすぐに発覚する。だが関連書類はすべて、異様に巧妙に書き換えられていた。複数の記録を注意深く突き合わせなければ、矛盾を発見できないように」
「では、犯人は行政官か会計担当者でしょうな。帳簿の知識があるのは、なにも商人に限りませぬよ」
「では貴殿は、すべての行政官が同様の手口を用いたと主張するのか? 不正は複数の部門にわたり、それでいて手法はあまりに共通していた。そして、そのすべてに関わることができた人物は一人しかいない」
満座の視線が、一斉にギヨームを射た。それでもこの小太りのおっさんは、怯んだ様子もなくにこにこと笑い続けている。いつも商談の席で見せていたのと、同じ笑いだった。
「我が商会は、先王ヴィクトール陛下の頃より、あなたがたヴァロワ王家への食料品調達を一手に担っております。先王陛下には絶大なる信任をいただき、我らとしても、いかなる困難な要求にもお答えしてまいりました。先代より続く信頼と友誼とを、あなたがたは棄て去るおつもりですかな」
「……不正は、いつから行っていた」
「不正とは人聞きが悪い。褒賞でございますよ。先王は懐深い方であられた。才持つ者とそうでない者を正しく見分け、才ある者に報いることをためらわなかった」
ルネは呆れた。この男、横領で私腹を肥やしていたことを、正当な褒賞と言い張りたいのか。
たまらず、ルネは口を挟んだ。
「褒賞が欲しいんなら、正規のやり方で申し出ればいいだろうが。市民に渡るべきものを横から盗み取る、それのどこが正当な利益だ」
ギヨームは、今度は高く声をあげて笑った。
「国を経営していくには、法や倫理だけでは足りぬのです。能力ある者をどれだけ集め、自由に才覚を発揮させるか。肝要なのはそこだと、先王陛下はよく理解しておられた。ゆえに各々が、力に応じた果実を受け取ることも妨げなかった。まこと賢君でございましたよ」
「つまり……父は、おまえの不正をあえて見逃していたと?」
その問いには答えず、ギヨームは真正面からエティエンヌを見据えた。表情から軽薄な愛想良さが消え、口の端にはいやらしい笑いが浮かんでいた。
「あらためてお伺いいたします、エティエンヌ殿下。大陸屈指の人脈と供給網を誇る、デュヴァル商会との取引継続はご希望なさいますかな。我らの有用性は、これまでの戦で十二分に立証済と考えております……我らが、劣勢のヴァロワ王家とあえて協力関係を維持し続けた意味、よくよくお考えくださいませ」
「おまえのすべての不法行為に目を瞑れと?」
「そのようなことは申しておりませんよ。すべては殿下のお考え次第」
察しろ、ということらしい。決して言質を取らせないところに、商人らしい卑怯さを感じる。
おそろしく難しい判断だった。ヴァロワ王家軍の食糧供給は、従来ギヨーム率いるデュヴァル商会が一手に担ってきた。関係が破綻すれば、兵站にも魔法食材の調達にも多大な影響が避けられない。
だが、だからといって、ヴィクトールの代から続く大規模不正を見逃せというのか。
エティエンヌも同じく悩んでいるようで、眉間に皺を寄せてギヨームをにらみつけている。それでもなお、この小憎らしい商人は、微塵も動揺を見せず薄く笑っていた。
「迷うことなど、何もないと思いますがねえ。清濁併せ呑んでこそ、王は王たりうるのですよ」
それは、真っ黒に濁った奴が自分で言う言葉じゃねえだろ――喉まで出かかった言葉を、ルネはかろうじて抑え込んだ。
と、不意に、ギヨームはルネを横目で見た。皺に埋もれそうな目が、ぎろりと光る。
「才ある者を用いる、その恩恵を受けたのはあなた様も変わりないでしょう。『王冠』ルネ・ブランシャール……いや、貧民街のルネ」
ぎょっとするルネの前で、ギヨームの目にあからさまな軽蔑が宿った。
「どんな者であれ、才があれば重用し報酬を与える。それが先王陛下のやり方でした。王宮にふさわしい言葉さえ使えぬ、出自もわからぬような孤児にさえ、『王冠』などと美名を与え側に置いた。普通に考えれば狂気の沙汰ですな」
背筋がすうっと冷えていくのを、ルネは感じた。ここまでのあからさまな侮蔑は、三十年くらい記憶にない。
だが王宮にいた頃、肌に刺さる冷たい視線は陰に陽に感じていた。ギヨームに内心そう思われていたのは多少衝撃だったが、たいして痛いことでもない。
いいから気にすんな――と言いかけて、ルネは息が止まりそうに驚いた。
エティエンヌの顔に、これまで見たこともないような憤怒があった。白い頬に朱が差し、耳がわずかに震えている。
気付いているのかいないのか、ギヨームは得意げに言葉を続けた。
「先王陛下は、最も卑しい人間にさえ身分と栄誉と報酬を与えた。それに比べれば、商人が多少の追加利益を得ることなど――」
ギヨームの言葉はそこで途切れた。
激しい音と共に、小太りの身体が床に倒れた。巻き込まれた椅子も、一脚ひっくり返った。
エティエンヌが、ギヨームを殴り飛ばしていた。息を荒げながら、真っ赤な顔で吐き捨てる。
「忘れたのか。王冠に対する侮辱は、王に対する侮辱と心得よ、との言葉」
憤怒の冷めやらぬ目で、エティエンヌはルネを見つめた。
「彼は我が高貴な友。市民の物資を盗み私腹を肥やす、卑しい罪人と一緒にするな!」
「……では」
したたか打った尻をさすりつつ、吐き捨てるようにギヨームは言った。
「当デュヴァル商会との取引停止の意思、確かに承りました。本決定は不可逆なもの……後悔なされても、もう遅いですぞ」
駆けつけた衛兵によってギヨームは捕らえられ、投獄された。だが裁判にかけられる前――というよりその日のうちに、ギヨームの姿は王都から消えた。多額の賄賂が動いていたであろうことは、想像に難くなかった。
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