第一章 里の生活

(一)明けの明星

「少爺、少爺――ぼっちゃん!」

 毎朝出会う元気な声が、小気味良く畑に響いた。

「今朝はずいぶんと早いんだねえ、亮少爺りょうぼっちゃん

「ええ。たまたま、早起きしたものですから」

 滅多に早起きをしない私は苦笑いして答えた。そんな私に毎朝太陽よりも早く目覚める隣人は笑って言った。

「どうだい、たまには早起きもいいものだろう? こうして毎朝おてんと様に顔を合わせれば、一日の仕事もはかどるってものさ。さあ、仕事を始めよう。今日もよろしくな」

「はい!」

 努めて元気に返事をし、朝露に濡れた野良道具を手にした。それから彼の横に並び作業を手伝い始めた。こうして私の里での一日は始まる。


 光和こうわ四年七月二十三日の宵(西暦一八一年八月十九日の夕暮れ時〔※1〕)。夏の盛りの太陽が陰を宿す季節、太白たいはく(金星)が西空で輝く時刻に私は生まれた。

 約四百年続いた大国、かんが傾き始めた時期とも重なる。

 幼い頃の記憶に残る漢は、高度な文化を持つきらびやかな国だった。建物も調度品も人々の衣服も、金をまぶした華やかな色で染め抜かれ眩いほどであった。その天上のごとき豪奢ごうしゃで進歩的な文化は、後世の人たちが思い浮かべる“未開の古代”という想像を覆すだろう。

 高祖こうそ(漢の初代皇帝。劉邦りゅうほうのこと)が敷いた明るく自由な気風によって、漢代の学問芸術は発展し人々の知性も押し上げられた。官学となった儒教じゅきょうは中心的な学問として学ばれていたが、当時の知識層は儒教以外の古今東西の書物も読み活発に言論を行った。

 派手好みの人々が多かったのも、贅沢を責める声が少なかった寛容な時代性ゆえだろう。私が生まれた頃は王朝の財政が傾き質素が叫ばれた時代だったが、派手好きな漢人の性質はすぐには改まらず豪族(貴族)たちの身の周りは眩しい金赤に溢れていた。私の生家は文官の家らしく質素なほうであったが、それでも相応の高価な家具に囲まれていたことを覚えている。

 しかしいっぽうで硬化した世襲制と、大金持ちだけが地位を得る売官の横行に、浮かばれない人々の不満は募っていった。桓帝かんてい霊帝れいていはそんな国の綻びを顧みることなく宦官かんがんの声だけを聴き、清流せいりゅう派の大粛清だいしゅくせいを許し、十常侍じゅうじょうじたちの専横を招いたのだった。

 傾国が顕わとなる黄巾こうきんの乱が起きたのは、たしか私が四歳の頃だ。

 黄色い布を身に着けた道教集団が掲げた標語、

蒼天そうてんすでに死す 黄天まさに立つべし」

 とは五行思想に基づく易姓革命を表していた。〔※2〕

 革命とは「天から受ける命をあらためる」の意味。つまり王朝の交代を意味する。漢王朝は火徳かとくの赤を象徴するので、彼らは五行の順で次に当たる土徳どとくの黄を自ら掲げ、「次に中華の支配者となるのは我々黄巾団だ」と宣言したのだった。

 なお前段の“蒼天”とは漢王朝の一つ前に天命を受けた木徳もくとく(青)の周を指す。その周から漢へ天命が移された時と同じように、「今こそ漢から我々へ天命が譲られるべき時だ」と暗示した。それが「黄天まさに立つべし」の意味だ。さらに「蒼天すでに死す」との強調で、土徳の黄を剋す蒼天(木徳)はすでに存在しない、このため我々の天命は止められないとも説いた。つまり暴力を正当化する意味を含んでいた。

 宦官の専横で傾いていく朝廷の足下、貧困にあえいでいた流民たちが黄巾賊に加わり暴徒化していったのは自然の成り行きだった。

 瞬く間に黄巾団は各地の盗賊も吸収して膨れ上がり、“革命”とは名ばかりの強盗と殺戮で中華全土を貪り喰った。こうして黄巾団は名実ともに黄巾“賊”となった。

 漢室は各地の豪族へ黄巾賊征伐こうきんぞくせいばつを号令。豪族たちの活躍で乱は収束したものの、今度はその豪族の力が強まったことでさらに漢は混乱することとなった。

 霊帝が崩御ほうぎょしたのは、私が九歳の頃(西暦一八九年。年齢は数え)。

 その後に起きた何進かしん袁紹えんしょうらによる宦官粛清、彼らが都へ招いた董卓とうたくの暴政、続く乱からの救済を求めた曹操による廷臣の大粛清および献帝けんていの傀儡化、朝廷の実権を奪った曹操の好き放題な虐殺行脚ぎゃくさつあんぎゃ……。

 幼かった私の頭上を数えきれない惨劇が通り過ぎ、煌びやかだった国は目の前で死屍累々の地獄と化していった。その地獄化を最も推し進めた蛮行であった曹操の民衆虐殺は、一時私の身近にも迫った。

 漢の朝廷は問題を解決しようとするたび自滅の道を選んでいるように見えた。悪を浄化するために獣を都に呼び込み、その獣を退治するためにさらなる凶悪な虐殺魔を地獄から召喚したのだ。

 この地獄化が止まらない国の片隅で、私はかろうじて平和が保たれていた荊州けいしゅうに逃れて生き延び、二十歳を迎えた。


「そう言えば、亮ぼっちゃんの冠礼(成人式)はいつだい」

 里の人々は親しみと敬意を込めて私を“ぼっちゃん”と呼んでいた。素性を明かさずに暮らしていたのだが、畑仕事以外の時間を書物ばかり読んで過ごしていたため書生扱いで敬意を払ってくれたのではと思う。

「いえ、僕は実の父も養父も亡くしていますし、親族とも離れて暮らしていますから礼式はできません。しなくてもいいのです……」

 うつむき加減で答えると老若男女で私を取り囲み、

「駄目だよ! 良家のぼっちゃんが冠礼を略すなんて」

「我々が父代わりとなって、式を執り行おう。立派な衣服は用意できないがご馳走をたんと作るよ」

 口々に言いながら迫って来る。その迫力に私は気圧されて小さくなりながら苦笑した。良家の人間だなどという話をしたことはないのだが、何故。軟弱な見た目でばれてしまっていたのか。

 ともかく世話好きな里の人々の厚意を退けることは不可能と分かっている。断っても祝いの席を用意してくれるだろうし、逃げても探し出されて主役の席に就かされるだろう。

「ありがとうございます。ではご厚意に甘えて、お祝いをしていただこうかな。でも本当に、ちゃんとした式でなくて結構ですからね。形式通りにされたら僕も窮屈です」

 こう言って受け入れると歓声が上がり、皆が笑顔になった。

 この押しつけがましいお節介が温かい。寂しい幼少期を過ごした私には新鮮でありがたかった。熱い人の心に氷の棺が解かされ救い出される想いがする。


 荊州の襄陽じょうよう城より二十から三十里(漢代の単位にて。十~十五キロメートル)ほど離れた所に隆中りゅうちゅうという山里があった。養父である伯父を亡くした後、私と均はその山里で小さな家を借り、畑仕事をして暮らしていた。

 何故襄陽から離れた地に住んでいたのかと言うと、親族と距離を置き静かな暮らしをしたかったからだ。

 襄陽には伯父の妻であった伯母たちと義理の姉妹たち――つまり伯父の娘、従姉妹たち――が住んでおり、さらにその夫の一族がいた。

 私はこの乱世で仕官するつもりはなく、一生を書物に沈潜ちんせんして過ごすつもりでいた。徐州の惨劇と伯父の末路を目の当たりにし、権力者に翻弄されて身を散らすのは無意味なことだと思えたからだ。せっかく救われた命を有用に使う、もっと意義深い道があるはずだ。たとえば永きにわたり、人を善き方向へ導き続ける思想を残す道などが。それは仕官して短い期間だけ役目を勤める人生より有意義と思えた。おそらく無名のまま終わるだろうが、死ぬ直前に思想の一つでも書物にまとめて残せたら幸福だ。そう考えていた。

 しかし襄陽の親族は決して私の志を認めなかった。

 諸葛しょかつは前漢の司隷校尉しれいこういを勤めたほうを始まりとして、代々役人を輩出してきた名家。そんな諸葛の名に恥じぬよう、早いうちに仕官し出世して高位から世を動かせと言われた。

「僕は仕官しない。隠棲し、思想家を目指す」

 と正直に志を告げると始め「変わり者の戯言」と笑われ、本気だと悟られてからは怒りを買った。

 親族は連日私のもとへ押しかけ、早く仕官しろ仕官しろとしつこく説教を続けた。

 若いながらも私は気付いていた、諸葛でもない姻族たちがあれほど“諸葛”の名にこだわるのは自分が地位の恩恵を受けたいからであると。親族のうち誰か一人でも高位を得たなら、姻族を含めた全員が恩恵に授かるのが華夏かか(中華のこと)の伝統だった。

 そのような欲得に基づく説教を浴びるのに疲れ果て、ある日、書物だけ背負って襄陽城を抜け出し里へ向かった。

 埃臭い道の途中、ふと後ろを振り向くときんがついて来ていた。

「何故、ついて来る? これから貧しい暮らしになるというのに」

 唖然として問うと、二歳下の弟は屈託のない笑顔を見せた。

「兄さんとは子供の頃からずっと同じ道を歩き続けたろ。これからも一緒だ」

 そうだった。屍の傍らを歩いたあの暗い道。荷馬車に隠れ命からがら襄陽へ逃れた道。いつも弟だけが一緒だった。

「我が同志よ」

 ふざけて言ったのだが均は本気で嬉しそうに笑い、私の少し後ろを歩いた。その足取りは軽い。かつての旅の道中、母が恋しいと泣いてばかりいた幼い弟の面影はもうなかった。


「それで。あざなは、どうするの? 里の長老に名付けてもらうのか」

 里の人々に冠礼代わりの宴席をもうけてもらうと話した時、均が心配げに言った。

 あざなとは成人したとき本名とは別に付ける名で、成人後にはこの別名で呼び合うことになる。通常、父親や親族が字を考え成人した息子へ贈るのだが、我々に父はなく親族との関わりも薄いため当てがなかった。

「いや。自分で考えている」

「えっ。何、何。どんな字」

 均は目を丸くして驚き、次の瞬間には興味津々で聞いてきた。めずらしいことだが後見人がない青年が自分で字を考えることもあった。ただ自分で考えた場合、少し主張が強くなり過ぎるきらいがある。だから私はなるべく簡素な字にしたいと考えていた。文字そのものも画数が少なく柔らかな印象を与えるものを選んだ。そのほうが軟弱な自分に似合っているように思えたからだ。体が細いのに、強い武将のような字を名乗るのは恥ずかしい。

孔明こうめい――という字で考えているが。どうだろう?」

 宙に指で文字を書いて見せる。

「ふうん。覚えやすくて、いいんじゃないか。あきらかという本名と意味を合わせたの?」

 正直それは考えていなかったので意味の一致に驚いた。

「いいや。本名を意識したものではない。孔明とは啓明けいめいのことだよ。そのままでは芸がないので、孔明とした」

「啓明……へえ、明けの明星か。宵の明星、太白と対になるわけだ。面白い」

「うん」

 頷き、ちょうど西の山頂に輝き始めた明星を窓越しに見上げた。

 私は宵の明星とともに生まれた。だからきっと夜を飛び、明けの明星を目指すことになる。夕暮れ時に飛び立ち暁を目指す梟のように。

「なあ、均。明星は、天蓋てんがいに針で開けた一点のあなに見えないか?」

 西空を指さし、呟いた。

「この世はきっと丸い天蓋を被せた箱庭だ。我々人間は、偽物の世界である箱庭に閉じ込められている。しかし天蓋の向こうには真実の世界が広がっているんだ。その真実を時折、天蓋に開いた針の孔を通して我々は垣間見ている……」

 独白のような私の呟きを均はぽかんと口を開けて聞いていたが、やがて笑い出した。

「また兄さんの空想癖が始まった。それは自分で創作した神話だろう? 他所で聞いたことがないよ」

「そうだったろうか。どこかで聴いたような気もするが。ええと、どこだったかな」

 思い出そうと首を傾げる私の肩を叩きながら、今度は均が訳知り顔で占いを始めた。

「しかし“孔明”とは、大変に明るいとも解釈できる。つまり最大級の光のことだね。兄さんはきっと啓明どころではなく、太陽のように眩しく輝いて真実とやらを伝えることになるんじゃない? まあせいぜい、がんばって」

「なんだその雑な占いは。そんなわけない。この地味な兄のどこにそんな素質がある。お前こそがんばれよ」

 怒る私に均はへらへらと揶揄からかう笑いを返した。また馬鹿にしている。時折、突飛な発言をするらしい私を幼い頃から家族は面白がっていた。故郷に残った兄もよく「お前は他の子と視点が違う」と面白がった。そんなに変なことを言っているのだろうか。

 でも真実の話は本気だ。

 多くは望まない。針のように小さな孔で良いから、暗い天蓋へ開けて真実の光を人々に見せたいと願う。あるいは、分厚く垂れ込めた雲から差し込む一筋の陽光でこの世を照らしたい。たとえこの世が地獄であって隈なく悲劇の雨が降り続けるのだとしても、向こう側には必ず真実があるのだと伝えたかった。



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注釈


※1 「西暦」とはこの小説執筆時(日本国、令和五年)における現行グレゴリオ暦のこと。諸葛亮の出生日、七月二十三日は伝承に基づく。出生時刻は著者推測。推測の詳細はこちらに掲載(ただし占星術の手法による)https://astrology.kslabo.work/2021/04/Zhgeliang.html


※2 五行革命で掲げられる色のシンボルは相克思想に基づく場合と、相生思想に基づく場合とがあり、黄巾乱は後者だった。なお周王朝(青)の次が漢王朝(赤)とされたのは、中華史において秦は正統な王朝とみなされず相生の順から省かれたため。

黄巾乱のスローガンについては、日本では“蒼天”を漢王朝のことだと誤った解説をしたり、「単に晴れた青空のこと」などとの曲解をする人が多い。これは現代日本において道教が浸透しておらず五行の基本知識を持つ人が少ないためであると考えられる。さらに近年ではイデオロギーによって、道教思想を過去から抹消する目的で「黄巾乱は五行革命とは全く関係なかった」との嘘を語る学者も増えた。組織的な歴史修正に注意を要する。詳細 https://shoku1800.tokyo/2020/10/be-water/


〔曹操の虐殺行脚について〕

現代では八頭身の美形で何でもできる大天才、人徳が高くて民想い・仁政を敷いた…等「完全無欠の正義のヒーロー」と絶賛されている曹操。しかしこれは近代、共産中国が文化革命で改変したイメージである。

史実の曹操は180度正反対の人物。民間人や捕虜を虐殺し、廷臣を大粛清して朝廷を専横した。曹操の虐殺行脚は現実にあったこと。このため曹操は『演義』創作の遥か以前、同時代から憎悪されてきた。むしろ『演義』などフィクションでは曹操を魅力的な敵役とするためか暴虐を控え目に描いている。

曹操の史実詳細:目次>解説>史実の曹操ってどんな人だった?

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