夕暮百物語・第16話 泣神様

佳澄さんが母と食卓を囲んでいると、時折、山から泣き声が聞こえてきた。それは悲痛な泣き声で、中性的でなんとも不思議な声だった。母親に「あの声は誰の声?」と尋ねると、「あれは山に住む、泣神様の声よ」と答えた。村人の悲しみを背負い、肩代わりしてくれる。その悲しみが大きいほど、声を上げて泣く。ただ、悲しみを背負ってもらった人間は皆、不幸になると佳澄さんの母は話した。


「何故不幸になるのだろう」悲しみが無くなれば、辛く苦しむこともない。むしろ幸せではないか。彼女は母の話を聞き、そう疑問に思った。それからすぐ、佳澄さんの母は亡くなった。父を早くに亡くし、彼女にとって何より大切な存在だった。毎日悲しみに明け暮れ、頭に浮かぶのは母の姿だ。その日も、胸にポッカリと穴が空いた感覚に苦しみ、布団の中で涙を流していた。すると山の方から泣き声が聞こえてきた。「泣神様だ」佳澄さんはすぐさま布団から飛び出し、家の外に出た。


恐怖よりも、この深い悲しみを肩代わりして欲しい。そんな気持ちだった。

泣き声だけを頼りに、山の奥へと進んだ。すると小さな洞穴が見えた。中に入ると、黒い人型の影が、何かを背負っているように地面に這いつくばっていた。それを見て、泣神様だと佳澄さんは感じた。その瞬間、その影は大きな泣き声を洞穴中に反響させ、彼女の身体を震わせた。すると不思議なことに、胸にポッカリと空いた穴のような感覚が消え、その場には佳澄さん一人しかいなかった。


山を降り、家に着いた佳澄さんは清々しさを感じたそうだ。何故ならあんなに苦しんだ母の死に対し、一切の悲しみが浮かばなかったからだ。

それからは順風満帆な人生を送った。失恋なども経験したが、特に何も感じなかった。そして良い人に巡り会い、結婚し、子供も授かった。

しかし、順風満帆な生活も束の間、大切な我が子を失う出来事があった。

夫を含め、周囲は深く悲しんだ。ただ佳澄さんには、我が子を失った悲しみという感情が湧くことはなかった。「涙一つ流さないのか」平然とする佳澄さんに対し、夫は軽蔑した目で話した。彼女はそれさえ何も感じなかった。


現在、佳澄さんは夫と別れ、故郷へ戻っている。他の住人はこの地を離れ、今は彼女しか住んでいない。山からも泣き声が聞こえることはない。泣神様はこの地の悲しみを全て肩代わりしたのだろう。孤独の悲しみさえ感じぬ表情で、佳澄さんは語った。

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