6.良い占い師と悪い占い師

 思い出した時にダラダラ書くこの創作論エッセイ。

 なぜ急に占い師の話を? というのは後で回収するとして。


 私は、占いを見る方だ。特に「しいたけ占い」。一週間の占いをノートアプリにメモして、それを現状と照らし合わせて一週間の活動指針を組み立てたりする。


 なぜ?

 お前ガチ理系って言ってなかった?

 そんな非科学的なものを信じてるの?


 という疑問は、まあ待って欲しい。


 バーナム効果という概念がある。

 誰にでも当てはまる特徴がある。

 内心には繊細な部分があり、人が気が付かないことに気が付くことがある、などと言われると、8割方の人間は自分に当てはまっていると感じるだろう。

 占いとはそれでいいものだ。

 人間には他者からのアドバイスが必要だが、本当に正しいアドバイスとは、自分にしか分からないものなのだ。

 並べられた言葉の中から、自分の心にしっくり来る概念を構築する。言わばアドバイスのワードパレットだ。

 それをあえて論理的なアドバイスではなく占いという神秘性で包むのは、単純に誰にでも当てはまるアドバイス以上の真実性、不合理な信念の支えとなる未来への保証が1%でも存在していて欲しいと考える非科学性があるからなのだが。

 しかし、占いはそれ以上の未来予知をするものであってはならないとも思う。

 例えば、お前には悪い霊が憑いている、魔除けを買わないと悪いことが起きる、などと言って脅すのは悪い占い師だ。

 古代ローマで、政治の行方を占いで決めていた時ですら、望ましくない占いの結果はそれを見ないことで効力を失うとされていたらしい。タロットのリーディング教本にすら、タロットが死を明確に暗示している時でもそれを告げるなと書いてある。

 それを聞く自分の心と相互作用して未来を作る助けとするのではなく、自身が望まない方向にその心を捻じ曲げようとする占いは悪い占いだ。


 そして私は、創作論にも同じことが言えると思っている。

 本当に書くべきものは、あなたの心の中にあり、あなたの心だけが知っているものだ。

 創作論が役に立つのは、それをどうやって引き出すかの助けとなる場合だけだ。

 これを書くなとか、こういうものを書けとか、こういうものを書きたい動機は良い動機だ、あるいは悪い動機だ、それを教え込もうとしてくる創作論は、悪い占い師と同じだ。自分にとって耳に痛い創作論でも、無意識の自分の疑問とシンクロして創作物をブラッシュアップさせる役に立つ可能性がないとは言えないが、自分の嗜好や動機を否定するものである場合には、創作活動自体を阻害される危険が非常に大きく、大作家でない限り信用しない方がいい。大作家でも100%心から信じ込むのは考えものだろう。


 なぜ創作論が、占いと同じなのか?

 創作とは、本質的にはケーススタディだ。反復可能性がないものだからだ。

 人間がいて、その人物が経験する出来事によってしか語れない概念だ。もしより一般化された概念によってより良く語ることができるものであれば、創作ではなくそちらの方法で語った方がいいだろう。だが人間は創作をする。あくまでも。

 だから創作には本質的に正解がない。初めから分かっている答えであれば、わざわざ書く必要はない、あるいは成功が確約されたどこぞの有名作家に任せて、自分はそれを読むだけにすればいいだろう。

 だから、創作論は占いと同じだ。

 まだ起きていないことを、それを見てきたかのように語るものだ。それが役に立つか役に立たないか、それを判断できるのは自分だけだ。


 じゃあ、悪い創作論を見てしまったら、どうすればいいのか?

 古代ローマ人のやった通りに、見なかったことにするのが正解だろう。

 それは、的外れな未来予知なのだから。

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