5.批判の躱し方の技術論と、ある罪の告白

 私は「酷評も評であろう」と思っている。

 人間には違和感を抱く権利がある。違和感を抱くことがなければ、文章力の向上もなければ迷信の打破も科学技術の発展もないだろう。

 しかし、そんな批判を当事者が聞くべきか、は別問題だ。役に立つ批判だけ聞いて、役に立たない批判はすっぱり切り捨てる。それが基本方針となる。


 さて、批判を受けた時、創作者はどうすべきか。


 これも、理系分野の考え方が援用できるように私は思っている。

 論文を書くと必ずレフェリーが付く。審査者は、論文の瑕疵を見つけ出し、それを批判しなければならない。これは、論文雑誌が掲載論文の質を担保するために必要なプロセスだ。

 レフェリーの批判は概ね2種類に分けられる。いやらしいポイントを付いてくる絶妙に答えづらい批判か、あるいは的外れで内容を誤解したための批判か、そのどちらかだ。論文の著者はその両方に答えなければならない。


 前者に対しては「これこれのポイントが不十分でしたので、新たにこれこれの検討を行い、これこれのように修正しました」のように答える。後者に対しては「これこれについては、レフェリーはこれこれに基づく誤解をしており、これこれの批判には当たらないと考えています」だ。だがここでは終わらない。「このような誤解を避けるため、改稿版ではこれこれの修正を施しました」と付け加える。

 これら両方の修正に関して、注意すべきことがある。最初の原稿に対する修正が最小限となること、主張の骨子は決して曲げず、そのままに保つことだ。

 さらには「これらの修正によって、論文はこのように良くなりました。ありがとうございます」とまで付け加える。ここまでできれば上出来だ。


 創作においても、対応すべき批判に対する戦略は同じではないかと思う。

 相手の文句に対して最大限誠意を見せる、という態度を示しつつも、修正自体は最小限に留める。小説の場合、突き詰めれば特定箇所の表現が分かりにくいという話に帰着する批判がほとんどであり、文章一つか二つの修正に留めたい。そうやって対処しつつも、相手には感謝してみせる。

 内心からの感謝は別に必要ない。

「チッ、ウルセーナ。修正シマース」

 で構わないということだ。

 最初はムカついても対処が済めば怒りは収まっていくし、対処できるはずと思うことで批判に対して精神的な余裕も湧いてくる。


 しかし、対応不可能な批判というものもある。

 論文ならば「レフェリーを変えてください」と編集者にお願いするような、そんな批判だ。

 また、紙本などで出した場合には、後から修正のしようがない。

 敵対的な批判者にとっては、批判に対応する柔軟な姿勢こそが主張自体の弱さであると捉えられても不思議はない。

 そういう場合には無視、あるいは一度だけ反論や弁明をして、それ以降は無視するのが妥当だろう。しかし後者の場合も、相手との感情的なやり取りは極力避けるべきだと個人的には考える。無理筋の批判をしてくる人間は攻撃されるといきりたちエスカレートするからだ。


 ここで、表題にあった、罪の告白というものをしたいと思う。


 旧ツイッター上である人にフォローされて、知らない人だったのだが、公募とウェブ小説を頑張っているとのことだった。その人が作品読み募集をしていたのだ。特に批判とかの文言はなく、知己を得る代わりに私は手を挙げた。

 そうすると、帰ってきたのが1話切りの批判レビューをページに残していく、という行為だったのだ。内容は


「これこれのテーマが面白いとは思えません。この先のページを読み進めたいとは思いません。これから頑張ってください」


ということだ。


 この対処には私は悩んだ。


 相手は本当にそう思ったのかもしれない。だが、具体性に欠けており、そう簡単に対処できるとは思えない。また、対処したからってこちらの返事を聞くわけではない気がする。

 また、自分の作品はこの人ではなく、自分と楽しんでくれる読者のために書いたもので、この人のために書いたものではない。その作品を最後まで読んで最大限楽しんでくれた読者は既に結構いたので、この人一人の意見が絶対的ということはない。そのレビューが1ページ目に残っていることで先入観を抱いた新規の読者が離れていく、ということもあるかもしれない。

 そこで、レビューを消し、誤動作で消えてしまって自分は見ていなかった振りをする、という行為に出た。

 また、相手は自分に興味があってフォローしたわけではなく、フォロワー増やしとこの手の自己アピールのためにフォローしてきただけなのだな、と思い、ブロ解(※)させてもらった。

 自分はそれ以上の非難をしたいとは思わない。嘘を吐いたのは自分の性格の悪さか、あるいは臆病さと言っていいし、批判レビューも勘違いの善意なのか悪意なのか、私に断言することはできない。相手は傷ついたかもしれないし、あるいは、批判を受け止める度胸のない書き手と、こちらを見下げたかもしれない。


 一つ言えるのは、創作者にとって批判を受け止める姿勢は、その有用性一点でいいのではないかということだ。

 その人の批判は私にとってほぼ無用であり、それに相応しい対処だったと私は結論しており、そのこと自体に後悔はないが、ごくごく僅かな一点でも有用性はあるのか、いまだに考えないことはない。


 また私から皆さんに言えることとしては、SNSの作品募集に軽々しく手を上げる前に、批判レビューが目的ではないかは一度確認すべきだろうということだ。


※ブロ解……ここでは、ブロックしてからブロック解除してフォロー・フォロワー関係を切ること。余談だが、新興SNSのBlueskyではシステムの違いからこのやり方でのブロ解はできないらしい。

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