第8話 昔の男

「今さら何?」


 メガネをかけていて、真面目そうな風貌の男だった。少し痩せたようだ。


「おいおい、金は何で払ってくれない」


「私が負ったものではないもの」


 乱暴に木に押し付けられた。


「調子に乗るなよ。女だって思って優しくしていれば、図にのりやがって」


「ろくなプレゼントが無いのはアンタが貧乏だからだと思っていた。今はあそこに住んでいないけどね。掃除中に見つけた。ギャンブルの痕跡があったの。そうよね、アンタ自分の持ち物に無頓着だったの」


「まぁ、いい。もう一人は」


「他の大人が取り押さえていたわ」


「ハッタリか?」


「ちゃんと確かめていないけど、私の彼女って強いのよ」


「可哀想に男に捨てられて女しか好きになれないなんだな」


 この数年で初めてこの男の頬を叩いた。ざらつきの嫌な感触が手に残った。


「お前! 何で男に手を上げているんだよ。病気だからか? 病気だからか、俺が治してやるよ」


「人のことを殴ってから行為に及ぶ男に教えてもらうことは無いわよ」

 何かを押し付けられた。そんな感触があった。


 男の体にもたれ掛かるように地面に崩れ落ちた。押し付けられたところを触ると赤かった。寒い、アドレナリンが出ているから痛く無いのかな。


「お前もう処刑だから、そんな病気な女は死んだ方が社会の為。だから今からお前は死刑な」


 どこで間違えたのかな。学生時代から憧れた先輩、周りから祭り上げられて、付き合う方向に進んだ。同棲してから、許してくれない範囲が広がった。


 顔の傷を見て別れた方がいいとあんなに祭り上げたくせに忠告する友人、あの人は悪く無い私が悪い、私が悪いから、もういいの。


 時間は稼いだよ。せめて、ゆうだけでも逃げて、逃げてくれたら私の仕事は優良だよ。


 足で蹴られている。


「ごめんね。私はもうダメみたい」


「は? なんか言ったか。許してくださいって言え」


「アンタ、あの子に何かした?」


「俺がいくら殴っても反抗するから、犯してはいない。だから強姦にならないぞ。良かったな」


 顔に傷がついたかもしれない。

 こんな男に傷をつけられて可哀想。


 ぼやけた世界が見えた。誰か座っている。

「杏。杏!」

 天国か。ゆうも死んだのか。こんなに白い壁なんだ。

「杏、起きて! 目を覚まして杏」


「ゆうだ」


「笑ってないで、起きて!」

 ぼやけた世界に色がついた。

 お医者さんが来てもぼんやりしていた。あと数ミリでというありがちな事を言われた気がする。


「ゆうは何か嫌なことはされなかった?」


「私を捕まえた奴が変態だったから、何かをされた訳じゃ無い。それより杏が血だらけであのクソ男が私たちが来るまでお腹を何回も蹴って、捕まってからも錯乱。そんなので絶対許してやんない」


「いいよ」


「杏が良くても」


「そんな奴の為に脳の容量を使ってやることは無いよ」


「杏は私のこと好き?」

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