迷走勇者 ヴェノーバ その3

 老人は見知った顔に緊張しながらも、なんとか顔色を変えずに二人の前を通り過ぎる。


「魔王と智将か、冷や冷やさせおって。待っておれよ、お前らの首そのうち揃えて故郷へと持ち帰ってやるわい。しかし今は、為すべきことを成す時。お前の相手はその後じゃわい」


 老人は、今だ若々しい程の決意を宿す瞳でフォルテとアコールを一瞥しながら二人から離れていく。


「あぁ、あっちに新しい通路が出来てる!?まったく、また調べ直しだ」


 拙い足取りで廊下を進む老人、彼は手に持った羊皮紙に一生懸命城内の構図を描きながら進む。


「まったく描いても描いても終わらんわい。頻繁に壊れては作り直し、その度に城の構造が変わる、なんともマッピング泣かせな城だ」


 老人は城内図が描かれた紙の一部を破り捨てると、新たに廊下を描き加えていく。

 老人の名はヴェノーバ。かつては最年少で並みいる魔族を倒し、単身この魔王城まで足を踏み入れた屈強な勇者。

 そんな彼には一つのこだわりがあった。それがこのマッピング癖である、訪れた場所は隠し通路に至るまで徹底的に調べ上げないと気が済まない性格で、それ故に魔王城に到着してから今まで数十年間ずっと城内を彷徨っていた。

 彼が潜入した頃にはまだ対勇者の警報装置もなく、そのため彼の存在を知る者は一人もいなかった。


「後はあの開かずの間さえ開けば完成だというのに、あぁ口惜しい」


 今だ埋まらぬ別塔の構図と窓から見える件の塔を見比べながら忌々しくヴェノーバは呟く。そんな彼に開け放たれた塔の扉が目に飛び込んでくる。


「なんじゃ?なぜ塔の扉が開いておる?この時間あそこには誰もおらんはずじゃが?」


 今までになかった不可思議な光景に頭を悩ませるヴェノーバ、そんな彼の前を女性の職員がそそくさと通り過ぎる。ヴェノーバはふと気になってその職員を目で追うと、彼女は周りを気にしながら何もない壁の奥へと消えて行った。


「今度はなんじゃ!?あの壁、あそこには何もなかったはず!?」


 次々に訪れる異変にヴェノーバは困惑しながらも、目を見開いて女性が消えて行った壁へと急いで近づく。そして、その壁を入念に調べるがそこは周りと同じ何の変哲もない壁であった。


「おかしい、この魔王城を調べ五十年。壁という壁を調べ上げたのにこんな抜け道が存在するなんて!?」


 ヴェノーバは壁を叩いたり押したりと応戦するも、一向に開く気配も壊れる気配もみせなかった。


「な、なんて固い壁だ。明らかに他の造りとは違い過ぎるわい!」


 肩で息をしながら傷一つ付かない壁を睨みつけるヴェノーバ。その時、遠くからこちらに近寄ってくる足音に気が付く。

 ヴェノーバは素早く物陰に身を隠すと、現れた女性職員は例の壁の前へと歩みを進めた。


「これはチャンスじゃ。奴の後を追ってあの壁の向こうに滑り込むとしよう」


 ヴェノーバは長年培った身のこなしを駆使し、相手に気づかれないように彼女に続いて壁の奥へとその身を滑り込ませた。

 ついに秘密の通路へと足を踏み入れたヴェノーバは一旦身を隠し、辺りに人の気配がなくなるのをじっと待つ。


「くくく、胸が高鳴るわい」


 静かに歓喜するヴェノーバは頃合いを見計らって隠れていた物陰から姿を現す。


「さて、ここは何の場所なのか。通路はまっすぐ一本だけ、奥には扉が見える。これだけ厳重に隠されていたんじゃ、余程のお宝があるに違いない」


 長い廊下の先には扉が一つ、先ほどの女性もその扉の奥へと消えていった。ヴェノーバは物音に注意しながら慎重に扉へと近づいた。


「鍵は、かかっておらんな。まぁ、入り口の壁にあれだけ厳重な仕掛けを施したんじゃ、今更扉一つに注意は向かんか」


 鍵のかかっていない扉を引いて、素早く室内へと身を滑り込ませる。中はいくつもの棚が立ち並び、奥からは女性の話し声も聞こえる。ヴェノーバは慎重に奥の扉に近づいて室内の物音を探る。


「なんじゃ?この熱気は。いったいこの奥には何が隠されておるというのだ?」


 扉から伝わる熱気に疑問を浮かべていると突然その扉が開け放たれた。咄嗟の事で反応が遅れたヴェノーバは扉から現れた女性を真正面から見据える。


「あ、あれぇ?ここはどこじゃ?ちょっと道に迷ったようじゃのぉ」


 ヴェノーバは必死に演技しその場を取り繕うとするが、目の前の女性は裸のまま、何の言葉も受け付けない激昂の眼差しをこちらに向けている。


「ここは男子禁制、そもそもここに迷い込むことすら出来ないはずだけど?」


 女性は表情と同等の凄んだ雰囲気でヴェノーバに詰め寄る。騒ぎを聞きつけた他の女性たちも駆けつけ、辺りに悲鳴が上がる。


「きゃぁーーーー、も、モニカお姉さま!!覗きです!変態です!抹殺ですぅ!!!」


 裸のコトは何処から取り出したのか短刀を構え怒りの表情でヴェノーバに飛びかかろうとする。

 そう、彼が足を踏み入れたのは男子禁制の女性浴場。最悪にもそこには魔王軍最強と言われたモニカを含めた数人の女性が居合わせる場所たったのだ。


「さぁ、爺さん。冥府への迎えが早まったよ、死んで償いな」


 最初にヴェノーバと鉢合わせたモニカは、自分の格好すら気にしない様子で仁王立ちで凄んでいる。


「あ、ぁぁあ」


 こうしてまた不幸な勇者が一人、修羅となったモニカに連れ去られていった。


「おやおや、なんとも騒がしいわねぇ」


「うるさくしてすません、お婆さん。いま愚かな覗きに粛正を加えておりまして。もうすぐ処刑いたしますので」


 コトは新たに現れた腰の曲がったお婆さんに声をかける。


「相変わらず品のないお嬢ちゃんだねぇ」


「えっ?」


 コトは老婆の言葉に反応したが、彼女はすでに浴室へと姿を消していた。


「なんなの?あのお婆さん」


 不思議な老婆を気にしながらも、コトは叫びながら去って行くモニカを探し駆けだしていくのだった。

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