血統勇者 グロッケン・シュ・ピール

 その日は朝から冷たい雨が降り続き、城内で働く人々を自然と憂鬱な気分にさせていた。

 執務室で働くフォルテも例外ではなく、鳴り止まない雨音とまとわりつく湿気がイライラを加速させていた。


「フォルテ様、そんなにうるさくしないで下さい。気が散ります」


「えっ?うるさくなんてしていませんよ?雨音じゃないんですか?」


 隣の席で仕事をするシンバがフォルテの出す物音を注意して告げる。


「先ほどから必要以上にキーボードを強く叩く音が気になるんですよ!」


「そんな、いつもと変わらないですよ!シンバさんが神経質になってるだけじゃないんですか?」


 実際のところ、フォルテの挙動はイライラが反映してかいつもよりキーボードを叩く力が強かった。一方シンバもいつもよりピリピリしていて、周囲の音を敏感に聞き分けていた。


「いえ、フォルテ様がいつも以上にカタカタカタカタとうるさいんです!!しかも、エンターキー押すときだって無駄に強くダーーンって押しますし!!」


 フォルテの何気ない行動がシンバの神経を逆なでする。


「そ、それなら言わせてもらいますけどね!シンバさんだって、体温調節で舌を出してハァハァ言ってるの、気が散るのにこっちは我慢してるんですからね!!」


「それは、我が誇り高き血統種を馬鹿にしているんですか!?いくら魔王様と言えど聞き捨てなりません!!」


 些細な言い合いは段々とヒートアップしていき、いつしか大声での口論となっていた。

 そんな騒ぎを聞きつけフォルテのいる執務室のドアが静かに空いた。


「いったい何の騒ぎですか?廊下まで怒鳴り声が聞こえてますよ」


 その場に表れたのはアコール・ディオン。魔王軍の将にして誰もが恐れる男であった。


「い、いや、これは、その」


 場の空気を一瞬で沈め、辺り一帯に緊張感を漂わせるアコール。そんな彼の登場にフォルテは口ごもる。


「聞いてくださいよアコール様。フォルテ様ったら酷いんですよ」


 そんな空気も意に介さず、シンバはアコールの下へすり寄っていく。


「さすが、血統種、犬としての人当たりのよさが段違いですね」


 誰にでもすり寄っていくシンバを見ながら、フォルテは改めてシンバの凄さを実感する。


「フォルテ様ったら、あろうことか種族差別的な発言をするんですよ!?」


「ほぉ、それは看過できませんねぇ」


 シンバの言葉に目を光らせたアコールが、フォルテを睨みつける。


「いやこれは、その、違うんです」


 あまりに鋭い視線に、フォルテが言い返すことも出来ずにいるとシンバが好機と捉えて畳みかける。


「自分のことは棚に上げて、人のことキャンキャンうるさいだの、夏場は毛が抜けてカーペットが汚れるだの、愛くるしい尻尾がうっとおしいだのと次から次へと罵詈雑言の嵐」


「シンバさん、そこまで言っていませ、」


「魔王様!!言い訳は見苦しいですぞ!」


 フォルテが訂正する機会も与えられずに、アコールの喝が飛ぶ。その勢いに抗議の声も止まり、身をすくめるフォルテ。


「仮にも全魔族の上に立たれるお方が、下の者の気持ちを分からずにどうしますか!まったく、先代様は厳格で誰にでも威厳と礼節をわきまえた立派な人格者でしたのに、その血を引く魔王様がそんなんでは先代様に顔向けできませんぞ」


 アコールの背後では、シンバが勝ち誇った様子で笑いをこらえている。その仕草を見てフォルテの怒りは再度燃え上がる。


「そうですよねぇアコール様。またったく私もその通りだと思います。それでいて仕事に身が入らず、早く切り上げるわ。勇者が来た翌日には病院行くから早退するだの、これでは一向に業務が進みません」


 シンバはこれでもかと日々の不満を訴え、この好機にフォルテの業務態度を改めさせようとあれこれ画策する。

 フォルテは言い返せないまま、恨めしい目でシンバを見ると、彼の姿は忽然と消えていた。


「そうでしたか、シンバさん。もう少し詳しくお話を、おや?シンバさん?」


 アコールも忽然と姿が消えたシンバを探し辺りを見渡す。


「先ほどまでシンバさんが言っていたのは嘘半分、お互いヒートアップしてあることないこと言い合いしてましたので。シンバさんも頭が冷えてきて、ここに居づらくなったんでしょう」


「ふむ、そうでしたか」


 フォルテはシンバがいなくなった本当の理由に気付いていたが、とりあえずは敵がいなくなったのでアコールの誤解を解くことに成功した。

 そんなフォルテのしたたかな笑いとともに、警報はけたたましく鳴り響いた。


「おや?魔王様、どうやら勇者が来たようですぞ」


「わぁ、本当だー。これは困ったなぁ」


 フォルテは先ほどまで浮かべていた笑みを慌てて消し、ぎこちない返事をアコールに返す。


「えぇ、本当に困りました。勇者を迎え撃とうにもボンゴさんは療養中ですし、コトさんは偵察任務中。これでは迎撃にあたる人員がいませんね、こんなところで魔王軍の思わぬ穴が露呈するとは」


 アコールは鳴り響く警報の中、魔王軍の人員不足について頭を悩ませる。


「アコールさん、そんな悠長なこと言ってないで今いる人で何とかしないと」


 緊急事態においても、いつもと変わらないアコールを見て焦りを募らせるフォルテ。そんなフォルテの様子を見てアコールが意を決したように目を見開いてた。


「そうですね、部下が頼りにできないのでしたら上司が何とかすべきでしょう。ここは不肖ながらわたくしめが先陣を切らせていただきます」


「えっ!?アコールさんが勇者と戦ってくれるんですか?」


 アコールの思ってもない提案にフォルテは満面の笑みを浮かべてすがりよった。

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