第20話

数日後の金曜の夜。輝は結衣とつかまり立ちの練習をして、結衣が床についた手や頭が当たると泣き出しては抱えてあやしながら励ましていた。


「二人とも、支度ができたから席に着いて」

「はーい。結衣、おいで。テーブル行こう」


莉花が作ったその日の夕飯は煮込みハンバーグ。彼女と席の隣に結衣を座らせると、食事用のエプロンを首につけ皆で食事を取り囲んでいった。


「ほら、結衣。パパの方ばかりに見ていないでご飯食べて」


生後六ヶ月になった結衣はようやく離乳食を食べられるようになり、カメラを構える輝を見てはよそ見しながら手足を動かしていた。夕食が終わり後片付けをしている時に、彼は莉花に久米の件で話したいことがあると言ってきた。結衣がベッドの上でおもちゃで遊んでいる間、その様子を伺いながら二人はソファに座って会話をしていた。


「今日、部長からも久米さんの件で指摘されたんだ」

「え?どうして会社にもその話が伝わっているの?」

「莉花、心当たりないのか?」

「ええ。何かあったの?」

「それがさ、販売部宛てに写真の入った封書が送られてきて、俺と久米さんが写っていたんだ。どうやらどこかの探偵事務所の人間がやったらしいんだけど、その依頼ってお前が受けたことになっているんだ」


「私、そんなことしていないよ」

「本当に?」


「うん。探偵を雇ってまで二人を追いかけることなんてしたくないわよ。それに、今回の事はまず輝が久米さんに話すって言っていたでしょう?」

「そうなんだよ。それに俺、まだ久米さんに話していないのにどうして莉花がそういう事をしたのか疑問に思ったんだ」

「誰かの仕業?」

「わからない。だとしらた、内部の誰かが漏らしたってことになるよな」

「心当たりない?」

「ないよ……ああいうの、本当に不愉快だな」


「あのさ、久米さんとは会う約束したの?」

「それがまだなんだ」

「早くしてよ」

「今連絡して向こうから返事を待っているんだ。来たら莉花にも言うよ」

「あと、先に行っておきたいことがある」

「何?」


「私はあなたとは別れない。結衣があなたがいなくなったら辛い思いをさせるのが嫌。今からでも遅くない。不倫していたって輝はここには必ず戻ってくるでしょう?それは誰のため?結衣なんでしょう?それなら私も早いうちに見切りをつけれるのなら、今回は許す」


「許すって……」


「本当は許されないところだけれど、いくらでもやり直しが効く。輝を信じている。だから、久米さんとは別れるようにきちんと理由をつけて言って」

「みんなを裏切ってこそこそしているのに、そんなに簡単に許してもらえるのってどうだろう?」

「もっと自分に自信をもって。立ち直らせるのはあなた本人の努めなのよ。何もかもか駄目じゃないわ。懸命に生きていこうとしているなら、またみんなあなたの事を信頼してついていこうとする。私からも部長さんに話をするからさ」

「そこは自分の責務があるから連絡しなくてもいい。きちんと話し合いをして本社にいられるよう相談してみる」

「もしもいられなくなったら……そこまで考えたくないけど、次に何をやるかあなたもちゃんと考えてね」

「ああ」

「……あ、お母さんから電話だ。ちょっと隣入るね……」


輝は結衣のところに座り、彼女をしばらくぼんやり眺めながら口を開いた。


「結衣。パパさ、許されないことをしたのに、反省しても皆に詫びができるか不安なんだ」

「……」

「久米さんって人、悪い人じゃないんだ。きちんと働いて何をするにも一所懸命で、お店の人たちからも信頼されているし、ああいう人が他の店舗にもいてほしいなっていうくらい、いい人材なんだ」

「んむ……」

「もし、あの人が辞めてしまう事になったらパパにも責任が来る。そうなると、ママや結衣にも迷惑をかけてしまうよな。俺さ、結衣のパパでいていいのかな。俺は……みんなへの必要性って何だろうな……?」


すると結衣が何かを発してきたので彼は彼女に近寄った。


「パ……」

「何?」

「んあ……ぱ、ぱぁ……」

「結衣、もう一度言ってみて」

「うわああん……」

「……ちょっと、結衣泣いているじゃん。貸して」


電話を終えた莉花が結衣を抱き台所の隅まで連れていきあやしていた。その背中を見ながら輝は書斎に入り机の椅子に座り、一人考え事をしていた。

久米からの連絡が来ていないことにどんどん不安な気持ちに陥り、自分の存在価値というものを冷静にまとまらずにいられなくなった彼。

純愛だと感じていた思いも虚無と変化しつつあり、次第に魂が抜けていくみたいに身体の力が抜けていくようだ。いつの間にか莉花との間から貞操がなくなり、久米へと手を伸ばした自身の行動にこれまでしてきた道理が一気に崩壊した。

目頭が熱くなり顔を押さえて声を殺しながら泣いていた。


ドアの向こうから莉花が呼んでいたが、仕事の事で考えたいことがあると言い、項垂れて再び椅子に腰を掛けた。そうしているうちに、一通のメールが届きスマートフォンを取ると久米からメッセージが届いていた。

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