第10話

輝が久米に売り上げの件を聞いていくと、地元人と観光客が半々の人数が訪れては商品を購入していったと話していた。そうすると輝もジャケットを脱ぎ専用のエプロンを腰回りにつけると店頭に立ち、通行人に声をかけていった。


「東京都内限定のフランス菓子プティナンといいます。名古屋でお買い上げいただけるのはここだけです。本日最終日です。試食もご用意しております。どうぞお立ち寄りください」


二十時になったところでショーケースの中を整理し、レジの精算をしていくと目標数よりかは下がっていたが、まずまずの売り上げだと久米を励ましていた。坪井とともにデパートの備蓄倉庫へケースなどを片付け着替えた後に挨拶をしてその場所を後にした。

輝は久米に食事をしようと言い出し、駅西口にあるビルの上階へ行き、創作居酒屋へと入っていった。個室へ案内されるとメニュー表を見ていくつか注文をし、先にドリンクが来ると久米は輝をじっと見つめだした。


「何?」

「お酒飲まないんですか?」

「この間人間ドックやったんだけど、肝数値が高かったんだ。妻にも酒控えろって言われたばかりだし」

「私だけ飲んで良いんですか?」

「うん。遠慮しなくていい」

「今日一日だけでは物足りない気がしましたね」

「大手の製菓店とは違ってあまり頻繁に出せるものではないから仕方がないんだ」

「今日来たお客さんの中にも機会があったら東京に行きたいって言っていましたし」

「まあそれでいいんだと思うよ。徐々に全国区で知られていけるようになればいいんだ」


「そろそろクリスマスも近いですよね。今年はご家族で過ごされるんですか?」

「一応ね。期間中は勤務もあるからそんなに時間が取れないけど、娘のために一緒に居てあげたいんだ」

「娘さんには何買ってあげるんですか?」

「うーん、おもちゃかな。洋服だどすぐに身長伸びるし、じっくり選んでいる時間もないしな」


「家族団らんか……いいなぁ」

「実家ってずっと札幌?」

「はい。弟がいて子どももいるんですが、この間電話したら、実家でみんなでクリスマス会するって言ってました。私はしばらく独りきりか……」

「十二月の二十三日の午後って空いている?」

「おそらくですが、その日は最後まで出勤になります」

「終わった後少しお茶でもしない?」

「お家大丈夫なんですか?」

「ああ。独りじゃ寂しいなら……少しの時間でも俺と一緒にいてほしい」

「そういうのって女性が言う台詞ですよ」

「そうだね。……どうだろう、時間空けれる?」

「わかりました。お茶しましょう」


「良かった」

「今日、優しい顔している。嬉しいことでもありました?」


その間に注文した牛の赤身肉の直火焼きや惣菜などがテーブルに並べられていった。


「久米さんとこれで二度目。二人きりでご飯を食べれるのが楽しみにしていたんだ」

「そ、そうですか。私もまたご一緒できているのが光栄です」

「光栄か、嬉しいよ。さあ食べよう」


家族でとる食事とこうして久米ととる食事がなぜこれほど違いがあるのか不思議な感じがした。土地勘や生きてきた環境の違いもあるせいか、輝にとっては澄み切った空間が目の前に写り込んでいて、瑞々しく清らかな流水を注がれている気分にもなっていた。久米のシャツから見えるデコルテに目が行くと、そのまま視線を落とし胸元を見つめ、前回の一夜の事を思い出しては瞬きが止まらずにいた。


「登坂さん?」


彼女に名前を呼ばれると、輝は神妙な表情で顔を見つめ箸を置き、ある事を告げた。


「最近、眠れない」

「娘さん、夜泣きがまだ続いているんですか?」

「それもあるけど……ずっと離れられないことがあるんだ」

「それって何ですか?」

「……久米さんの事。俺、この歳であやふやな思いが揺らいでいるのが気が散るなって思っていたんだけど、そうではなくて……つまり、君に恋心を抱いているみたいなんだ」

「私……に、ですか?」

「娘が産まれたばかりなのに、もっとしっかりしないといけない時期なのにさ、こんな風に他の人を好きになっているのが、自分がどうかしているのかって葛藤しているんだよ」


久米も箸を置いてグラスのサワーを一口飲み、おしぼりで口元を拭いていた。


「私も同じような感じです。眠れてはいますが、休憩中とか自宅にいる時とか、ふとした時に登坂さんの事が思い浮かんで、今どうしているんだろうかって考えます」

「あの日の夜の事……覚えている?」

「はい。身体からなかなか抜けないんです。たった数時間いただけなのに、どうしてこんなに温もりって残るのかなって」

「これまで付き合っている人との間に、他に好きな人ができて関係を持ったことは?」

「ないです。登坂さんが……初めてです」


そうして二人は同時に口に出した。


「あの……」


すかさず輝は久米の片手を取り、再び彼女を見つめていた。


「ああ、ごめん……動揺するにしてもし過ぎだよな。やっぱり酒追加しようかな……」

「私でいいのなら、付き合いますよ」

「え……?」

「家族が増えて、逆に気持ちが不安定になる男の人もいるって聞きます。そういう時に父親というものが何の存在であるのかわからなくなって悩む人もいる。……そうですよね?」

「実は……当たっていなくもない」

「そう……なんですか?」

「妻が妊娠した時、ようやくできた嬉しさもあったんだけど、その裏で本当にこのまま父親になっていいのか、どう相談していいのか先の事が見えずらくなっていったんだ」

「仕事も安定しているのに?」

「生活面は不安が無くても、俺個人がどうすればいいのかなって漠然と考えるようになっていったんだ」

「だからあの時、私と二人で消えたいって呟いたのも……そうだったんですか?」

「ああ……」

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