第23話 本音 【神学校時代】

◆◇


 了承の返事をしたら、あっという間に結婚までの流れが出来てしまった。

 とりあえず、形だけでも……。

 気が進まないからこそ、私は卒業式を待たずに旅立つつもりでいた。

 最後に、ヤーフェの姿を目に焼き付けたい……なんて、そんなことも皆に話して笑い話にしてたけど。


(縁談が決まった後のヤーフェの反応なんて、酷いものだったよな)


「ああ、良かったな。おめでとう」


 一言。

 せめて、いつものように小馬鹿にしてくれた方がマシだった。

 しかも、ヤーフェは私を見ることすらなかったのだ。

 

(つれないね。今回ばかりは、私も頑張ったのに)


 これが最後だからと、彼と目が合うよう、瞬きするのを堪えたのに、ヤーフェは背中しか見せてくれなかった。

 

(冷たいのは、分かりきっていたことだけど……さ)


 私が在学中、ヤーフェにしていたことは支離滅裂だった。

 彼にとって、私は訳の分からない変な奴で、今は付き纏い常習犯から解放されて清々しているはずだ。

 だから、私は早々に出て行くのだ。

 少ない荷物を素早く纏めて、旅立つ準備を終えて……。

 あとは、メイヤに挨拶するだけとなった。 

 この頃は、彼女とは話すどころか、顔を合わせる機会すら少なくなってしまったけれど、寮では同室だ。

 お別れくらいは、しっかりしておかなければと、メイヤの手が空くのを待って、私は彼女に明日旅立つことを話した。

 ……が。

 メイヤは無反応だった。


(どうしたの?)

 

 最初、睡魔にでも襲われているのかと思った。

 でも、違っていた。

 久々に間近で見たメイヤの容姿。

 燭台の灯に照らされた彼女の幽霊みたいな横顔に、私は目を疑った。


(どうして、こんな……?)


 一カ月くらい前までは、元気そうだったのに……。

 血色も良く、肌も髪も艶々していたメイヤは、何処にもいなかった。


「メイヤちゃん?」


 本当に、同一人物なのか?

 すっかり別人だ。

 痩せ細り、衰弱しきった身体。

 しかも、彼女は苛立ちのままに、自身の爪を噛んでいた。


「あ、あのさ。メイヤ……ちゃん?」


 意を決して、もう一度声を掛けると、掠れ声が返ってきた。


「絶対、上手くいかないと思う」

「はっ?」

「結婚する気なんてないくせに」


 ゆるゆると振り返った彼女の目は、赤く充実していた。

 重々しい溜息の後……。


「逃げるんだね? いつもみたいに」


 核心を突く、手酷い一言。

 多分、彼女は私と喧嘩をしたいのだ。

 抱えている憤懣を、私にぶつけたいのだろう。

 そういう気持ちが分かっているからこそ、私はあえて乗らない。

 常のように躱して、笑ってごまかすのだ。


「どうしたの? メイヤちゃん。変だよ。好きな人と何かあったの?」

「……お節介」

「事実じゃないの?」

「…………」


 淡々と突き放すと、彼女は長い沈黙と共に肩を落として、急に大人しくなった。


「そう……。そう……かもしれないね」


 瞳に光彩が戻って……。

 いつものメイヤがそこにいた。


「そうだよね。ちゃんとあの方と話し合わなきゃ。偉そうなこと言ってごめんね。私、自分が上手くいってないからって、ミソラちゃんに八つ当たりしちゃったの」


 そうして、その細い身体からは想像できないほど強い力で私の手を握りしめてきた。


「結婚おめでとう。幸せになってね」

「う……うん」


 私は控えめに頷く。

 ……ちらりと袖の隙間からメイヤの白い腕が見えた。

 赤い発疹のようなものが、広がっていた。


(病気? いや……)


「元気でね。ミソラちゃん」

「メイヤちゃんも……ね」


 元気になってもらいたかった。

 進む道は別れても、家族のように生活を共にしてきた子なのだから……。


(ちゃんと話すって言っていたし、平気だよね?)


 私は悶々とした気持ちで一夜を明かし、頼んでいた通り、馬車の荷台に乗った。

 メイヤは大神殿で仕事があるのだと言って、ほとんど寝ないで朝方、出て行ってしまった。


(これで……良いんだよね?)


 何度も脳内で念押しする。

 それでも、心がもやもやしてしまって、晴れない。

 どうしたら良いのか分からなくて、御者に「ゆっくり進んで欲しい」と、お願いしてしまった。


 ――結婚なんてする気もないくせに……。


 メイヤの声が繰り返し響いている。


(そうだよ。それしか、私の生きる道なんてないじゃない?)


 ――逃げるの?


(逃げ続けて何が悪いの? 正直に生きるのは怖いことばかりじゃない)

 

 怖くて怖くて、ヤーフェを振り向かすことも出来なかった。

 おどけて、自虐して、それで満足だと思い込んでいた。


 ――お前の世界は歪だ。


 以前、ヤーフェに指摘されたこと。

 私は吹く風に逆らうように、背後を振り返った。

 

 ……刹那。


 通り過ぎて行く景色の中に、ヤーフェの漆黒の髪を見たような気がした。


「ヤーフェ君?」


 彼がこんなところにいるはずはない。

 私なんかの為に、動くはずもないのに……。



「……私」


 駄目だ。

 まだ未練がある。

 納得しているけれど、気持ちが伴っていない。

 メイヤのこと、ヤーフェのこと。


(……メイヤちゃんの相手のこと、ちゃんと聞いて、おかしな相手だったら、離れるように話さないと)


 このままじゃ行けない。

 ヤーフェにだって、せめてもう一言。

 何年も好きだと言って、一方的に彼を追いかけ続けてきた。

 この感情の出どころが、私にもよく分からないけれど……。

 嫌われていたって、鬱陶しがられていたって……。

 

(せめて、礼の一言くらい……)


 後ろ姿ではなく、面と向かって、伝えるべきことがあるはずだ。


「すいません! 止めて下さい!」


 慌てた私は馬車が止まり切る前に、転がりそうになりながら、地面に下りた。


(確か、ヤーフェ君も今日から王様に従って大神殿に来るはず。メイヤちゃんも、ヤーフェ君も二人共大神殿にいるんだ)


 ハアハア息を切らして、私は人ごみの中を、走って、走って……。

 小高い丘を駆けあがって、辿り着いた大神殿は、しかし、火に包まれ炎上していた。

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