第21話 ヤーフェの懊悩

◆◆


 ……三年前。


 ミソラが結婚するために神都を旅立つ日。

 ヤーフェは旅立って行く彼女の後ろ姿をこっそり見に行ったのだ。

 いつも忙しなく自分に駆け寄ってきたミソラが、ゆっくりと歩を進めている姿は、まるで囚人が刑の執行に臨む姿のようで……。

 言い訳で塗り固めた未練と、途方もない虚しさと申し訳なさが、心の中で渦巻いていた。

 ヤーフェは、自分がこれからすることが、いつか遠い未来に彼女の役に立てば良いと願った。

 そういう時が必ず訪れる……と。

 だけど、結果的にミソラの役に立つどころか、ヤーフェは彼女の人生を滅茶苦茶にしてしまったのだ。

 少しでも償いたいと思うけれど、約束の日に、ミソラは姿を見せることはなかった。

 覚悟はしていたけれど、ひりひりと心が痛い。

 おかげで、ヤーフェは明け方まで無様に待つ羽目になってしまった。

 木陰で潜んでいたから、夜露に全身濡れて、散々だった。


(来れないなら、来れないって、伝えられるだろ?)


 今まで素っ気なくされた復讐でもしているのか……。


(まさか、そんな幼稚な話でもない……だろうけど)


 彼女のように空笑いをしていたら、盛大なくしゃみに繋がってしまって、我ながら驚いた。


「あははっ。ずぶ濡れで徹夜だもんな。いくらお前が頑丈だって言っても、風邪引いたんじゃないの?」

「……うっさいな。そんなはずないだろう?」

「じゃあ、心が傷ついているのかな? ヤーフェ君、まるで、生気が感じられないよ」

「もう、黙れ」


 サイリスらしい下品な揶揄に、怒りを覚えつつ、安堵している自分が嫌だった。

 そして、自己嫌悪と共に、ミソラに八つ当たりしている自分も。


(あいつのせいだ)


 サイリスなんかに弱みを握られてしまったじゃないか……。

 

「ところでヤーフェ君。いつまでも、神都に潜んでいる訳にもいかないんだ。元々、今回の無理強いが許可されただけでも、幸運だったんだからな?」


 ルカム王が用意した寝所は恐ろしいので、使用していない。それでも、何度か襲撃を受けたが、ミソラの暴走のせいで本格的にヤーフェを殺す気力もないらしく、すべてが中途半端に終わっていた。

 ヤーフェとサイリスは、神都の外れの鄙びた宿を利用していたのだが、その宿も今回の騒動で閉めるという話だ。

 野宿なんてしている場合でないのなら、早々にここを去るべきなのに、ヤーフェはもたもたしている。


「神都は恐慌状態だ。こんな時に、お前がまだ潜伏しているなんて知れたら、群衆に取り囲まれるぞ。特に、あのマーヤという女、お前のこと凄い形相で睨んでいたじゃないか?」

「あの女なら、大丈夫だ」

「……はっ?」

「俺をどうにかしたいなら、とっくにルカム王と二人で脅しに来てるよ。あの女は俺がサーファス領の人間とは知らなかったから、混乱してるのさ」

「どういう意味だ?」

「マーヤという女のせいで、ややこしくなったってことだよ」

「ふーん。つまり、お前のアレを知ってるってことか。だったら、そのことをちゃんと大好きなミソラちゃんに話すのが一番だと、俺は思うけどな?」

「俺だって話せるものなら、そうしたい。けど、敵の総本山の大神殿だぞ。ミソラと会っていたって、誰の目があるかも分からないんだ。話せる内容だって限られてくる」

「そうかね。じゃあ、告白すれば良いのに。たった一言で事足りる」

「……俺なりに、頑張ったんだ」

「………へえ」


 サイリスが小馬鹿にした笑みを浮かべながら、偉そうに脚を組み直す。

 ぎいっと、椅子から奇怪な音がしたのは、壊れる危険を知らせているようだった。


「ともかく、ミソラのやらかしたことは、俺達にとっては幸運なことだった。今が好機とも言える。辺境に散り散りに配備している軍勢を電光石火で神都に集結させて、王城を急襲すれば、今度こそ、ルカム王をどうにかすることが出来る」

「神都の人間には酷かもしれないが、もう既に逃げ出している状況だしな。号令を出すかね? ともかく、ルカム王だけは何とかしないと、死んだ人間に申し訳が立たないからな」


 アーティマの王族さえどうにか出来たら、父と他領の合議制になる。

 サーファスは神都の住人から恨まれているので、今後は目立たないつもりだ。

 それはそれで厄介かもしれないが、今よりはマシになるはずだ。

 手筈は整っている。

 ミソラだって、早く実行しろと焚き付けたのだろう。

 ……だったら。


「滅ぶと預言したくせに、ミソラはどうしてそこに居残っているんだ?」


 自分に仕えている神官や巫女が処罰される……なんて。

 気にしているのは、そんなことじゃないくせに。


「おそらく、メイヤの死に、ロリネルの王太子が関わっていて、それが理由で動く気がないんだろうけど……」

「ああ、そのミソラという子のお友達?」

「ロリネルの王太子は一見、優しそうな男に見えるが、本性はとんだ性悪だと聞いた」

「俺も噂で聞いたことはあるぞ。ロリネルで見境なく高位の女を殺してしまって、国にいられなくなって、アーティマに留学という形で潜伏していたそうだな。俺は王族付きになってしまって、大神殿に顔を出す機会は減っていたので、直接会う機会はなかったけれど……」

「……ちょっと待て。俺はその話、知らないぞ。そこまで王太子は狂っているのか?」

「知らなかったのか? ああ、下世話な話だけど、女性を実験動物のように扱うんだとか……。確か、三年前の叛乱前には帰国していたはずだ。でも、メイヤという女の子は、その点で、王太子にどうにかされていたのかもしれないな」

「早くそれを言えよ! ミソラが危険じゃないか」

「はあっ? 俺、今、その話聞いたんだぜ」


 唖然としているサイリスを尻目に、ヤーフェは慌てて腰を浮かせた。

 こうしてはいられない。

 何を自分は暢気に構えていたのだろうか。


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