第18話 駆け落ちの誘い
「ともかく、お前の方こそここを出ろ。ルカム王は絶対お前を許さない。サーファスならお前を匿うことだって出来るはずだ。もし可能なら、今からでも……」
「私が逃げたら、私を自由にさせた人達が私の代わりに処罰を受けることになるね」
「じゃあ、そいつらも、まとめて逃げれば良いだろう」
「無茶なことを言う。だったら、三年前だって皆、逃げ切れたはずじゃない?」
ヤーフェが息を飲むのが伝わってきた。
我ながら、性格が悪い。
……でも。
(言い返してくれたら良いのに)
彼なりの言い分もあるだろうに、言い返さない。だんまりだ。
かえって、私の方が罪悪感を抱いてしまう。
「まだ……やることがあるんだよ。ヤーフェ君」
「ロリネルの王太子のことなら、俺が何とかしてやる」
「あのね。君が前に出てきたら、かえってややこしいことになるじゃないの?」
「じゃあ、どうすれば良いんだ? 俺だって、つい最近までお前が神託者になったなんて思ってもいなかったんだ。……こんなことなら、手放さなきゃ良かった」
揶揄するでもなく、照れるでもなく、真摯に彼は言う。
無意識に、頬が赤くなっていることに気づいて、私はヤーフェの重い外套を強く掴んでしまった。
今頃になって、彼はおかしなことを言う。
幼馴染みのメイヤを喪った私に同情したのだろうか?
……それとも。
(仮初の神託者でも、手中に置いておけば、サーファス領に得があるから?)
そういう人じゃない。
分かっているのに、私は彼を責める口実を探そうとしているのだ。
彼を責めるのなら、私だって同罪なのに……。
「あの時、私は……ヤーフェ君は大神殿にいて、火に巻かれて死んでしまったのんだって、マーヤ先生から聞いたんだ。目の前で沢山の人が逃げ惑っていて……。私は独りで……。おかしくなっていたのかもしれない。マーヤ先生に担がれてから、すぐに後悔したよ。私は神託者の器じゃないって」
「……ミソラ?」
「君が生きているだろうってことは、結構早い段階で分かっていたんだ。私は君を待っていたんだよ。ずっと……」
「待って……いた。俺を?」
「いつか、再会できるだろうって。思っていたから」
……ずっと。
私はヤーフェのことを待っていた。
すべてを終わりにするために……。
「だったら、それこそサーファス領に、俺と来れば良い。神託者なんて、偽りの身分、捨てちまえよ。ロリネルの王太子にお前がしようとしていることは、いつか俺が……今は無理でも必ず何とかするから。お前や神都の人が、俺を許せないってことは分かっている。それでも、俺はお前が断罪されるところなんて、見たくないんだ」
「ありがとう。そこまで気にしてくれて。てっきり嫌われてると思っていたから」
「嫌いな奴に、こんなことしない」
「えっ」
爪が白くなるくらい強く外套を握り締めている私の手の上に、背後からヤーフェの手が伸びてきて、ぎこちなく触れた。
「ちょっと、何して?」
咄嗟に目を剥いて、手を振り払おうとした私だったけど……。
彼の手の甲が赤くなっていることに気がついて、狼狽した。
「血、血が出てるよ! ヤーフェ君」
青くなって叫ぶが、ヤーフェは「……ああ」と傷に初めて気付いたらしく、平然としている。
「さっき、お前を泉に落とした神官を倒した時に出来たのかも」
「あの短時間に、君そんなことしてたの?」
「犯人はこっちでどうにかしておくから。安心しろ」
「そんなことしなくて良いって」
浅い傷だが、まだ出血しているようだ。
痛々しくて、見ていられない。
「ああ、もう」
見過ごせなくて、巫女服を破って止血しようとしたら、重なっていた彼の手に力が入った。
「いい。このままで」
「駄目だよ」
「もう少し、こうしてたい」
「変なこと言ってないで、早く手当しないと。死んじゃうよ」
「このくらいで、死ぬはずないだろ」
真剣に心配しているのに、彼はなぜ嬉しそうに笑っているのだろう?
(訳が分からないよ)
ヤーフェがうつむいたせいで、ぽたりと、彼の髪から落ちた雫が私の首筋に落ちてきた。息遣いが耳に伝わる。
捕えられ、屠られる寸前の獲物のように、私は身じろぎ一つ出来なくなってしまった。
(何なのかな? この展開)
これじゃあ、まるで、ヤーフェに愛されているみたいだ。
(もしかして、離れていた三年間で女性の扱い方を学んだとか?)
神学校時代の彼はこうではなかった。
隙あらば触れてやろうと、迫りまくっていた私の存在を煙たがっていた。
そっと髪に触れようとした私の手を、激しく払い除けたくらいだ。
「今は……無理。君と一緒には行けない。私がいなくなって探しに出ている人もいるだろうし、騒ぎになる」
震える声で私は言う。
「じゃあ、時間を設ければ良いんだな?」
「そういうわけじゃ……」
やっぱり……だ。
愚かな私。
やんわり断ったところで、ヤーフェ相手に通じるはずもないのに。
「そうだな。だったら、七日後の夜。またここで待っている。必ずここに来い。いいな。ミソラ?」
「えっ、ま、待ってよ。そんなこと言われても」
「待っているから」
彼は一方的に決めてしまうと、私から離れて、森の中に忽然と消えてしまった。
何でこうなってしまったのだろう?
逃げようとしていたのは私なのに、最終的に彼を呼び止める羽目になっている。
(ヤーフェ君。君って人は……)
草を踏みしめる足音が迫っていた。
煙のように、彼が私の前から姿を消したのは、私を捜しに来た誰かの気配に、感づいていたせいだろう。
「そこにいるんでしょう? シズルさん。出て来て良いよ」
「あっ、神託者さま。何かあったのですか?」
いつもの冷静さが抜け落ちているのは、彼女が演技をしている証拠だ。
丁度良い頃合いに、今まさに駆け付けて来たように、息を切らして走って来る最年長の巫女。
(いかにも……な)
「ああっ。びしょ濡れじゃないですか。その外套は何なんです? 一体、どうしたのですか?」
「ありがとう。シズルさん」
「えっ?」
「ここはもういいからさ」
「…………」
燭台の明かりで、私の表情を読んだ彼女は、すぐに顔つきを変えた。
マーヤ先生でないのなら、ヤーフェ側に私の情報を渡しているのは、十中八九、彼女だ。
私に近い立場の人間でなければ、私がロリネルの王太子に会いたがっているなんて情報、知ることすら出来ないのだから。
彼女が不審な振る舞いをしていたとしても、立場的に誰も気に留めない。
間諜として、申し分のない身分だ。
「ここだけの話、サーファスと繋がりがあるのなら、私のことはいいから、早く神都から逃げた方が良い」
「ま、待って下さい。貴方はどうするのですか?」
「勿論、私も逃げるつもりだよ。だから、シズルさんは先に自由になってね」
サーファス側の間者なら、この先も長生きできるだろう。
巻き込む人が減った分、肩の荷が少し下りた気がする。
――七日後。
私は、ヤーフェとの待ち合わせには行かなかった。
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