第13話 夜の泉でヤーフェに会う
◆◆
大神殿の地下で籠城生活は、居心地が良かった。
今まで、私の存在はあまり公にはなっていなかったけれど、それでも、ルカム王の命令で会わなきゃいけない人達もいたし、上級の身分の人と話しても恥ずかしくないような礼儀も学ばなければならなかったりして、毎日忙しかったのだ。
(今のところ、事態の収拾に陛下も追われているようだし、お莫迦な私が初恋をこじらせて、隣国の王太子に会いたいと駄々捏ねているように見えないのだったら、それこそ幸運なことだな)
狭い個室でも、蓄えていた水や食料があるので、毒を盛られる心配も、飢えることもない。
とても素晴らしい生活だけど、どうしても生理現象は我慢できなくなるし、たまに、水浴び程度はしないと、人として耐えられなかった。
(そこは、考えなしだったな)
とりあえず神職全員は信用できないので、よく気が利くシズルだけに外に出たい旨を話して、私が個室を出る時間を稼いでもらっている。
神聖な湧水が満ちた泉や手洗いは、大神殿の外にあるので、地下通路から一度外に出なければならない。
緊急時を想定して、幾つも用意されている外への抜け道。
多少、人は歩いているが、私の顔は割れていないようだった。
(お披露目の場では薄い紗の覆いを被っていたから、私の顔なんて分からないよね)
夜だからか、外界の空気は澄みきって乾燥していた。
神官や巫女が使用している泉で、軽く体を拭いて一息吐く。
夜空を仰ぐと、満月が皓々としていた。
(昔、メイヤちゃんと星空を眺めたことがあったな)
懐かしさと共に痛みを覚えて、私は冷めた気持ちを取り戻した。
再び地下に籠ろうと、踵を返す。
だけど……。
その時、私は完全に油断しきっていたらしい。
目の前に、真っ白な人がいた。
「……えっ?」
無言で、ぬっと伸びて来る両手。
(……まずい)
殺気を感じて、即座に身を捻ったが、背後は底の深い泉だ。
「あっ」
すべては一瞬だった。
叫声を轟かせる間もなく、私はどんと突き押されて、泉の中に落ちてしまった。
(うわあ、最悪……。神官服ってことは、絶対、神職の中の誰かの仕業でしょう?)
この泉が深いことを知っていて、神殿内で刃傷沙汰が御法度ということを弁えている人間。
別に犯人を特定する気もないけど、今死ぬのは困る。
(巫女服、重すぎ)
頭の中は冷静なのに、本能的に体が勝手に踠いてしまう。
(困ったな)
意識が朦朧としてきた。
気絶してしまいそうになって、頭上に手を伸ばした瞬間……。
「ミソラっ!?」
ばしゃばしゃと、激しい水音がした。
水中にいるのに、はっきり名前を呼ばれたような気がしたので不思議だった。
(嘘、まさか……?)
逞しい腕が私を己の方に手繰り寄せる。
息苦しさも忘れてしまうくらい、温かな感触。
……夢のような。
いや。
もしも、夢だったら、もっと甘えられたのに……。
夢現の感覚に浸っている間もなく、彼は首尾よく私を地上に引きあげてしまう。
「ミソラ、しっかりしろ!」
「な、何」
痛い、苦しい……。
意識を完全に取り戻すと、冷たい現実が待っていた。
「ごほっ、ごほっ」
咳をしながら、嫌々顔を上げる。
黒髪、黒服、月明かりがなければ、私は彼の姿を視認することすら出来なかっただろう。
そのくらい、彼は全身烏色だった。
純白を好む神職の正装とは真反対の格好。
(まるで、私たちの立場のような)
私は自嘲気味に笑ったのを隠すように、一層激しく咳き込んでみせた。
「おい、大丈夫か!?」
失敗だった。
彼の大きな手が、私の背中を摩る。
濡れた服越しに肌の感触が会って、どうしても意識してしまう。
こんな密着、望んでなんていないのに……。
「何で、君がこんな所にいるのかな? ヤーフェ君。おかしいでしょ」
「助けてやったのに、その態度かよ」
「せっかく私が時間稼ぎしたんだから。早く神都から出て行ってよ。一番、物騒なところに君が居てどうするの?」
「ああ、そうだな。お前がせっかく隙を作ってくれて、神都は絶賛「混乱中」だからな。おかげで、大神殿に忍び込むのは簡単だったよ。籠城中のお前にも、こうしてすぐに会えたからな」
「私がお手洗いに行く時を待っていたなんて、最低じゃないか?」
「いや、別に……俺はそれを狙ったわけじゃ……」
(変なところで素直なんだよな)
ヤーフェの変わっていないところが、懐かしくて、思わず吹き出しそうになっていしまった。
(いけない、いけない)
私は真顔を作って、水が滴り落ちている長髪を一つに括り直した。
「何も君がこんな危険なことをしなくても良いと思うんだけど? 怖いのはルカム王だけじゃない。マーヤ先生だって、君を許さないって息巻いていたんだよ」
「ルカム王はともかく、先生は何も出来やしないさ」
「随分な自信だね。もしや昔、先生から好かれていたとか?」
「くだらない尋問ばかりだな。俺が助けなきゃ、死んでいたくせに。礼の一つもないのか」
完璧に誤魔化されてしまった。
だけど、否定はしないということは、マーヤ先生と何かあったのか?
在学中、ヤーフェは明らかにマーヤ先生から格別に贔屓されていたのだ。
「あー。はいはい、分かってるよ。お礼だよね。助けくれて、ありがとう。大好きだったよ。ヤーフェ君」
「なんで過去形なんだ。舐めてるのか?」
ヤーフェは不機嫌そのままに、外套の裾を丸めて水を絞っていた。
「でも、君にとっては良かったでしょ? これでアーティマの王家に与する諸外国も減るだろうし」
「莫迦。そんなこと、お前に頼んじゃいない。大体、あの預言だって、計画的にやったんだろう? 挙句、大神殿の地下に籠城って……。考えているようで、行き当たりばったりのところが、実にお前らしいよな」
「それって誉められてる? 貶されているんだよね?」
「アーティマ王家の後ろ盾でもあるロリネルの王に動きがあった。お前は、あの滅茶苦茶な預言をすることで、ロリネルを揺さぶろうとしていたのか?」
「揺さぶり……ねえ。それこそ、そんな大層なものはないよ。……ていうか、逐一君に報告する義務もないのだけど」
「言えよ、全部。俺だったら、お前の命を護れるかもしれない。どうせ、神託者だなんて、嘘なんだろう?」
「……さあ、どうかな」
我ながら、回答が下手だったようだ。
暗がりの中で、ヤーフェはわざとらしく肩を落としている。
「お前のしている、その腕輪。マーヤ先生から神託者の証として与えられたんだろうけど、反応なんてしなかっただろう? さっき命を狙われても、お前は神託者が授かるべき能力を使うことをしなかった。……使えなかった。違うか?」
「ヤーフェ君。いくら私が神話嫌いの無神論者だからって、神託者でもないのに、フリをするなんて、罰当たりな真似できないって」
「大方、マーヤ先生に何か言われたんだろう。そのくらい察しがつく。お前の目的は分からないけど、何の能力もないのに、でしゃばった真似をすると、本当に命を落とすぞ」
「じゃあ、君の言う通り、私が神託者を騙っているとして」
「騙ってるんじゃないのか」
間髪入れず、突っ込まれるのが痛い。
私は笑いながら、意趣返しとばかりに、あえて厳しいことを口にした。
「護衛を依頼するにしても、君は敵を作りすぎている。今回のことはお礼を言うけれど、私は君のことを許したわけじゃないんだ。神都にいる誰もね。礼代わりに、今日は見逃すけど次はないと思うよ」
「次はない……と。本当に?」
「君に会う機会なんて、未来永劫ないからね」
「ふーん」
「もう行くから、そこどいてくれないかな」
進行方向にヤーフェがいるので、邪魔で仕方ない。
渋々、わずかに横にずれてくれた彼に軽く会釈して、私は重くなった衣裳をたくし上げながら立ち上がった。
靴がないのが気持ち悪かったけど、仕方がない。
急いで、物騒な森を抜けようと、歩きだした私だったけど……。
「何だよ。それ……。「初恋の人」に酷い仕打ちじゃないか?」
背中にぶつけられた衝撃的な一言。
(幻聴?)
初恋の人って?
常のヤーフェだったら死んでも言わないような台詞だった。
(何で、今更)
おかしなことを言って、私の足を止めようとるするのが、彼の策なのだろうか?
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