第10話 目が離せない彼女 【神学校時代】
「お前、本当は提出物、出来ていたのに、誰かに、ずたずたにされたのか?」
「えーっと。これは不幸な事故で」
「嘘を言うなって言っただろう?」
「大変、お恥ずかしいところを」
ミソラは、申し訳なさそうに、原形を留めていないソレを鞄の中に押しこんだ。
わなわな震えているヤーフェの姿を目にして、ミソラはその怒りが自分に向かっているのだと、考えたらしい。空々しい言葉を重ねてきた。
「ごめんね。その……大丈夫だから。机に提出物を置きっぱなしで、目を離しちゃった私が悪いわけだし、一応、布と糸は確保できたから、明日までには間に合う予定なんだよ」
「俺はお前に怒っているわけじゃない。ただ、お前の世界は「歪」になっているような気がしただけだ」
「歪……か。そうかもしれないね。うん、そうかも」
「適当に相槌打って、逃げるんじゃねえよ」
今度こそ、彼女に腹が立った。
ミソラはいつも楽しそうで、何事も気にしないような、大らかな奴だと思っていた。
怒ることを、怖がっている姿なんて見たくなかった。
「どうせ、神職者の親族か何かの嫌がらせだろ。特権意識の高い奴が、孤児出身の奴を苛めている。これから神に仕えようという輩が酷い話だ」
「でも、同じ境遇のヤーフェ君はこういう目に遭っていないわけだし、私が悪いんだよ」
はははっ……といつもの空笑い。
その顔だ。
いつも、ミソラは笑っている。
けれど、本当は笑ってなどいなかったのだ。
彼女はすべてを諦めているのだ。
「ミソラ……」
更に一歩、ヤーフェがミソラに近づいた。
(白いっていうか、顔が真っ青だ)
更に一歩……と間合いを詰めようとしたところで、びくっと彼女が防御姿勢を取ったので、すぐにヤーフェには分かった。
そういう人間を、数多くサーファス領で見て来たのだ。
「お前、寮で暴力とか振るわれているんじゃないのか? わざと服で見えない部分とかを狙われて」
「そんなはず……」
「だったら、俺に見せてみろよ」
「変態な発言を、さらっと言わないでもらいたいな」
――愚かだった。
今まで、彼女は自分からヤーフェに近づいて来ていたのに、ちゃんと目を合わせて向き合おうともしなかった。
もう少しちゃんと観察していれば、すぐに気づくことも出来ただろうに……。
「平気だよ。何でもない」
「痛むんだろう?」
うつむくミソラを覗きこもうとしたら、そっぽを向かれてしまった。
きっと、これが彼女の本性だ。
助けてもらうことを諦めているから、誰も自分の心の内に入れようとしないのだ。
「ヤーフェ君はさ、寮じゃなくて、知り合いの家に住んでいるんだもんね。いいなあ。そういう知り合いが私にもいれば……。でも、卒業まであと少しだし。そうしたら自立の道が待っているからね。辛抱、辛抱」
「莫迦野郎。お前はもっと堂々と助けを求めろ。今言わないで、いつ言うんだよ。告発しろ。黙っていたって、誰も助けてはくれないんだから。誰か、話の分かる上の人間に……」
「声を上げたところで、どうにもならない。……そういうものなんだから」
空虚な言葉を吐いているくせに、ミソラは笑っている。
鼻歌でも出て来るんじゃないかってくらい、上機嫌に……。
「じゃあ、俺が言って……」
「いいから! そういうの、迷惑なの」
「どういう意味だよ?」
「私のことは放っておいて。君は何もしなくて良い。私は君を見ていられるだけで幸せなんだから」
つまり……それは。
彼女が求めているのは、自分のことを絶対に好きにならない「ヤーフェ」ということではないか?
「私ね、幸せなんだよ。毎日三食、食事が出来て、狭いけど、眠る場所があって、友達もいて……。好きな人もいる。これ以上、望むものなんてないもの」
――幸せ。
この有様が、幸福だと言うのか?
どうせ、そう自分に言い聞かせているだけだろう。
「なあ、ミソラ。ここまで貧富の差が激しくなくて、まともな国だったら、お前が言う「幸せ」の基準は違っていたはずなんだ。もっと……」
「頭いいよね。ヤーフェ君は」
強引にミソラがヤーフェの言葉を切った。
「そんな難しい話、私には分からないけど、でも、君が神官になったあかつきには、小間使い的な感じで私を雇ってくれると嬉しいな。絶対、仕事の邪魔はしないように努めるし、君に恋人が出来たら、ちゃんと応援もするから」
「お前って」
ヤーフェは、泥のような溜息を吐いた。
きっと永遠に、彼女には伝わらないのだ。
ヤーフェの感じている、じれったさは……。
「恋人志望じゃなくて、子間使い希望なのな」
「……へっ」
「無理だよ。俺が神官になって、お前を雇うなんて」
「そっか。そうだよね。フラれちゃったな」
まるで、その答えを想定していたかの安心した笑顔。
違うのに……。
――そうじゃない。
ヤーフェは、彼女の望むような「神官」になることが出来ないから……。
敵になってしまうかもしれないから……。
そう返事したのに……。
ミソラは深追いしようともしないのだ。
そういう彼女のことが、ヤーフェは最高に腹が立って、歯痒くて、むかついて……。
――ずっと、目が離せなかった。
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