第9話 ヤーフェとミソラ 【神学校時代】

◆◇


 三日月型をしているアーティマ国。

 その最北の地。サーファス領。

 サーファスの領主であった父は、国民のことを顧みない政治を行い、自身の遊興ばかりに金を使い込むアーティマの王を討つ覚悟を決め、念入りに計画を立てていた。

 その手助けのために、ヤーフェは十歳の時に神都の神学校に送り込まれた。

 王城の奥に潜んで用心深く信頼できる人間しか傍に置かない王を暗殺するのは、難しいが、信仰心の厚い王族であれば、大神殿には通っているはずだろう……と。

 すぐには無理だとしても、時間をかけて確実に仕留めることが出来たらそれで良いと、ヤーフェは父から念押されていた。


(本当は父上だって、叛乱なんか起こしたくないんだ)


 だから、長期で推移を見守ろうともしている。

 平和的に事が進んだら、どんなに良いだろう。

 けど、一方で、父が叛乱を起こさざるを得ない事情はヤーフェにもよく分かっていた。

 サーファス領はかつて流刑地に使われていたほど、過酷な環境の土地だ。

 冬が長く、夏は暑い。

 雪もよく降るし、嵐も起こるので治水にも心を砕かなければならない。

 特に十年前、大地震が発生した後、状況は更に過酷となった。寒さに凍死する者、餓死する者が後を絶たず、国庫を開こうにも分配する蓄えすらない有様だった。

 父はあらゆる手を尽くして、領土を盛り立てようとしたが、少し豊かになれば、今度は他領の民が押し寄せて、再び治安が悪化し、貧しくなる。

 ……負の連鎖は終わることなく、父はどんどん追い込まれていた。


(王を廃して、アーティマに巣食う病巣を根こそぎ絶たなければ、国民は無駄死にするだけだ)


 むしろ、父よりも苛烈にヤーフェは国王暗殺を誓っていたかもしれない。


 ……父は正しくて、王は獣。


 ずっと、そう教育されてきた。

 

 ……でも。

 心の片隅で、もやもやした感情も燻っていた。


(それで? 王を殺したところで、その先に何がある?)


 叛乱を起こして、王を討って、新たな王朝を建てるのか?

 誰が?

 結局、勝ったとしても、負けたとしても、この国は変わらないのではないだろうか?

 それだけ評判の悪い王が政治を行っているのに、国が瓦解しないのには、相応の理由があるから……。


(それをどうにかしなければ意味なんてないんじゃないのか?)


 そもそも、潜入なんて演技力が要求される仕事、ヤーフェには向いていない。

 いくら、人前に出るのが嫌いで、サーファスの領民に、顔を知られていないからといっても……。

 むしろ、演技力に関しては遥かに自分より上手い奴を知っている。


 神学校で知り合った、ミソラ=エンファス。


 彼女はいつも、薄ら寒い満面の笑顔という仮面を張りつけ、本音を心の奥底に隠している少女だった。


「ヤーフェ君!」


 神学校に転入した頃のヤーフェは、複雑な年頃のせいもあって、彼女に呼ばれた瞬間、いつも鳥肌を立てていた。

 単純な好意であれば、受け流せば良い。

 けれど、ミソラの愛情表現は何処か違う。

 それが不気味で……。

 数年、名前を気安く呼ぶなとか、つきまとうな……とか、子供っぽい悪態を取ってきたものの、それでも、ヤーフェはなぜか彼女を完全に拒絶が出来なかった。

 その理由がようやく分かったのは、初めて会った時から二年ほど経った頃だった。

 毎日、それこそ歯の浮くような台詞を並べて、抱き着くような素振りまで見せて、周囲にヤーフェが好きだと主張しているくせして、ミソラは肝心な部分でヤーフェを追いかけて来ないことに気が付いた。

 女たちの声援が煩かった武術大会や、立候補すれば一緒にできる掃除当番など……。

 すべて、最初から見学にも来ないし、積極的に挙手もしないのだ。


「君の勇姿を見たいなあ。きっと、すごく格好良いんだろうねえ」

「ああ、立候補しておけば良かった。そうしたら、ヤーフェ君と一緒の時間を過ごせたのに……」


 そんなことを口にはしているけれど、本当はそうするつもりなんて微塵もないのだ。

 もちろん、ここは神学校。

 表向き恋愛は禁止だ。

 しかし、隠れて、そういう関係になっている者はいるし、神職に就いたら、それこそなかなか恋愛が出来ないからと、思い出作りと言わんばかりに、派手な交際関係をしている者もいる。

 好きだと言う割に、何処か余所余所しくて、肝心な時、ヤーフェを避けるのは、本当はヤーフェのことなど好きなどではなくて、そういうことにしておきたいだけなのではないだろうか?

 馬鹿馬鹿しい。


(そんなこと、どうだっていいことなのに……)


 自分はこの学校に、サーファス領のために転入したのだ。

 ここにいる仲間を皆、裏切る腹積もりでいるのだから、情を深めることは、自分の首を絞めることに繋がる。

 それでも、黙っていられなくて……。

 ヤーフェは、初めてミソラに自分から声を掛けていたのだ。


「……なあ」


 授業の後、橙色に染まる教室の端っこで、一人手こずりながら刺繍をしているミソラにそっと声を掛けた。

 不器用な奴。

 提出の期日に間に合いそうもなくて、補習しているらしい。


「何で、見に来なかったんだ? 武術大会」

「えっ?」

「見たいって騒いでいたくせに。最後の騎馬戦。負けちまったぞ」


 本当は悪目立ちしたくなくて、わざと転げて落ちて、負けたのだが……。


「あー……。そっか。残念だったな。明日提出のこれをさっさと仕上げて、見に行くつもりでいたんだけど」


 分かっている。

 それも、嘘だ。

 その証拠に、ミソラの目が頼りなげに泳いでいる。

 彼女は決して、ヤーフェと目を合わせようとしないのだ。


「どうせ、お前……最初から見に来るつもりなんてなかったんだろ? 去年も、一昨年も、そうだった」

「よく覚えているね。素晴らしい記憶力だ」

「あまり、人をからかわない方がいいぞ」

「からかってなんか……」

「そういう嘘吐いていると、自分が苦しくなるだろ?」

「……嘘」


 とっさに顔を上げたミソラは真っ白な……血の気のない顔をしていた。

 正直、胡散臭い笑顔をずっとしているより、素の表情の方が人目を惹くのだ。

 赤茶の少し癖のある髪が、窓から吹きこむ微風に頼りなく靡いていた。

 まるで、怯えているかのように……。

 琥珀色の大きな瞳が、ゆらゆらと揺らいでいる。


(もしかして、落ちこんでいるのか?)


 いつだって……。

 辛辣な言葉を吐いてしまったとヤーフェが反省しても、ミソラは次の日にはケロッとした顔で、挨拶のついでのように「好きだ」と言って、自分を追いかけてきた。


(俺が傷つけた?)


 心臓がどきどきして、ふと彼女の傍らにあった、汚れてぐちゃぐちゃになった布の残骸を視界に捉えてしまった時、ヤーフェは彼女の身の上に何が起こっていたのか、速やかに察してしまった。



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