第8話 何も分かっていない

「ああ、失敬。サーファス領のクラート殿だったな」


 掠れ声だったので、一瞬、誰だか分からなかったが、目を凝らしてみれば、もはや滑稽となってしまった派手な衣装をまとったルカム王だった。

 一瞬でやつれ果ててしまったらしい。

 目も虚ろだ。


(こんな男に、叛乱軍も良いようにやられてしまったとは……)


 三年前、当時の王を弑逆して、勢いに乗った叛乱軍は神都の王城まであと一歩の勢いで迫った。

 しかし、「神託者」が現れたという情報によって、神都の民の団結力が高まった結果、攻め入ることを断念して、一時休戦という結果となってしまったのだ。

 そういうわけで、ルカム王とサーファス領の関係は複雑且つ、不可解なものとなっていて、今までサーファス領は、王から式典に招待されることもほとんどなく、招待されたとしても、危険を察知して行かない選択を取ることの方が多かった。


(でも、今回だけは俺が強引に行くことを決めた)

 

 「神託者」などという、道化をやらされているミソラをどうにかしたくて、仕事を放り投げて、身一つで飛んで来てしまった。


(こんな男に良いようにされているなんて、益々許せないな。……ミソラ)


 形式だけの挨拶は済ませていたものの、こうして至近距離で、ルカム王と相見えるのは初めてのことだった。

 満ち溢れている殺気を無理やり笑顔で封じているところがバレバレなのだが、ここまで分かりやすいと逆に対応しやすいので、気は楽だ。


「なかなか盛況のお披露目となったようですが。陛下の演出ですか?」


 奴に倣って作り笑いを浮かべてみせたら、あからさまに目を吊り上げられてしまった。


「さて、どうでしょう。むしろ、貴殿の方がお分かりなのでは?」


 歯ぎしりが聞こえてくるくらいに、忌々しげにルカム王は言う。


「私が……。なぜ?」


 わざとらしく首を傾げていると、いよいよ王が腰の剣に手を触れようとしたので、ヤーフェはサイリス共々一歩だけ退いた。


(何でも有りの世界になってきたな)


「陛下。神殿内では帯剣自体、禁忌と聞いていましたが?」

「そんなこと、私には関係ない」

「アーティマは、せっかく神託者を擁しているというのに、王が不信心では困ってしまいますね」

「……何……だと?」

「私を今ここで殺せば、神都の周辺に散らばって待機している私の手勢が再び攻めこんできますよ。それに、今は仲良くなさっている隣国……ロリネルも今回の預言で離れていくかもしれない。今、事を起こすのは愚の骨頂」


 話したことのすべてが真実ではないが、概ね正しい。

 ヤーフェや周辺諸国にとっては、神託者の預言があったことでアーティマを如何様にしても良いと言質を取ったようなものだ。

 攻めるのなら大義名分もある今……と判断されても、おかしくない。


「……くっ」


 結局、ルカム王は剣を抜く度胸もなく、溜息だけを吐いて肩を落とした。

 ……そして。


「貴殿のせいだろう?」


 今度は弱々しく、声を震わせながら問いかけて来た。


「三日前、貴殿と神託者が二人で話す機会があったと耳にした。一体、アレと何を話したのだ?」

「挨拶程度で、特別な話は何も……」

「嘘を吐け!」


 再び顔を真っ赤にして怒鳴りつけてきたので、サイリスがヤーフェを庇うように前に出た。


「成程。つまり、クラート様と神託者殿が結託していると、陛下は疑ってらっしゃるのですか?」

「やめろ、サイリス」


 無駄だ。

 分かりやすい挑発を見抜く力すら、ルカム王にはないのだ。

 案の定、王は馬鹿正直に自分の見解を話し始めた。


「それ以外有り得ないからな。神託者の言動は明らかにおかしかった。男っ気のない地味な娘だ。操ることなど容易いだろう。貴殿は神学校で神託者と近しい仲にあったのだと聞いた。大方、貴殿が……」

「そんな下衆なこと。クラート様がなさるはずがないだろう。陛下はクラート様を、侮辱しているのか?」

「いい加減にしろ。サイリス!」


 さすがに不味いと気づいて、ヤーフェは声を張り上げた。

 野次馬の視線が痛い。

 ……が、分かっている。

 サイリスはわざとルカム王を煽って、ヤーフェの怒りに冷や水をかけたのだ。


(俺が熱くなる前に……)


 はあ……と、ヤーフェは溜息を吐いた。

 おかげで目も覚めた。

  

「神託者って……。陛下は彼女の名前を知りもしないのですね? 一人の人間として見てもいないくせに、私のことをとやかく言う資格があるのですか?」

「何だと?」

「もしも、私が本気で神託者を操るつもりでいたら、こんな悪趣味なお披露目会を開かせる前に、とっくに彼女を攫っていますよ」


 ああ、そうだ。

 いっそ、攫ってしまえば良かったのだ。


(最低なのは、コイツだ……)


 想像がつく。

 普段、ルカムはミソラに対して、莫迦にした言動をしながら、下卑た笑みを浮かべて機嫌を取っているつもりでいたのだ。

 しょせん、孤児あがりの頭の悪い小娘だと……。


「私がどうこう出来る娘じゃないんですよ。アレは……。それを見抜けない方に問題があるのではないかと、私は思いますけどね」


 ミソラという一個人を見ることなく、国を顧みず、父親と同じように遊興に溺れている、アーティマの汚点。

 ――ルカム王。

 三年前、禍の種であった奴を仕留め損ねたことを、ヤーフェは後悔していた。

 この男がもう少ししっかりしていたら、このまま休戦を貫いて、違うやり方を模索することも出来ただろうに……。


(ミソラ……。お前一体、何をしようとしているんだ?)


 何としても、もう一度彼女に会わなければならないと、ヤーフェの頭はその手段で頭が一杯になっていた。

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