第2話 神学校 【神学校時代】

◆◇


 ヤーフェと私が初めて会ったのは、我がアーティマ王国の神殿に併設されている神学校の教室だった。


 ――神学校しんがっこう


 将来、神官や巫女など国の神事を司る部署で働くために、六歳から十四歳までの子供を教育する場所。

 けれど、アーティマは度重なる飢饉や内乱、流行り病などによって、孤児が急増していて、神殿は神職希望の子供以外に、身寄りのない子供の受け皿にもなっていた。

 私は神都近くで生まれ、両親を相次いで流行り病で亡くした為、大神殿直轄の養護施設に引き取られ、当たり前のように神学校に入学した。

 老朽化の進む学校の寮から、神殿内の綺麗な学校に通う毎日。

 神職を志す高貴な生まれの子には差別されたし、神学校の寮内では寮母による体罰もあって、痛い思いもしたけれど、別に耐えられなくはなかった。

 私には仲の良い賢い幼馴染みと、見ているだけで幸せになれる彼……ヤーフェがいたから……。


 ――五年前。


「私、勉強だけは苦手だよ。人生に意味ないものばかり覚えろって強制してくるんだから」


 もはや日々の合言葉となりつつある私の愚痴に


「いや、勉強以外にも諸々ね。ミソラちゃんは」


 的確な突っ込みを入れるのは、付かず離れず程よい関係でいてくれる孤児仲間のメイヤだった。


「逆に百点満点中、三点しか取れないって、ミソラちゃんって器用だと思うんだけど?」 


 優等生のメイヤは小柄で茶髪を三つ編みにして、分厚い眼鏡をかけている。

 学校内では目立たない子だったけど、私だけはちゃんと知っていた。眼鏡を取ると超絶美人なのだ。


(メイヤちゃんはお洒落をしたら、とっても可愛いのに、もったいない)


 私なんか、何をしても無駄な外見だ。

 この頃は背ばかり高くなってしまって、しかも猫背気味。

 ぼさぼさの髪を一つに括っていて、女の子らしい彼女の隣に並ぶのが申し訳ないくらい、性別不詳と化していた。


「頑張ったつもりでも三点だよ。追試に使う紙も貴重なんだって、またマーヤ先生に怒られちゃったよ」

「マーヤ先生って怖いもんね。でも、ミソラちゃんの大好きなヤーフェ君も、今回の試験は九十七点だったみたいだから、二人の点数を足したら百点になるよ」

「えっ? そうなの。嬉しいな。もはや運命じゃない」

「……やめてくれ」


 のっそりと前方から、やって来た黒い影。

 神殿特有の長い回廊は真っ白で、ヤーフェの黒髪、黒目はこの上なく目立っていた。


「ああ、奇遇だね。ヤーフェ君」


 まるで、私たちを見張っていたのではないかと言わんばかりの、丁度良い場面で登場するなんて……。


「今まさに君のことを噂していたんだよ。やっぱり、私たち運命だと思ったんだよ!」

「だから、や・め・ろ」


 慌てて、彼に突進しようとしたら、ひらりと躱されてしまった。

 まあ、想定内だけど……。


「ったく、朝から、煩い奴だな」


 いつもの無愛想に険悪さが増して、凶暴な顔つきになっている。

 でも、大丈夫。

 私のことを煙たいと感じているかもしれないけれど、本気で怒っているわけではないのだ。……多分。


(いいな。この感じ……)


 十歳の頃。収穫の月に、神学校にやって来た同い年の少年ヤーフェ。

 彼も孤児だと話していた。

 目つきは悪いけれど、笑うと目尻に皺が寄って、そこがまた可愛くて。

 適度に均整のとれた健康的な身体に、襟足まで伸びたさらさらの髪。

 以前、頭を撫でたいと話したら、睨まれた記憶がある。


(……それもまた、可愛いんだよな)

 

「ああ、堪らないね。ヤーフェ君。今日も格好良いな。思わず、見惚れてしまったよ」

「お前が傍にいると全身が痒くなる。とっとと、どっかに行ってくれ」

「痒い? そこまで体が反応してくれるなんて、私は幸せ者だね」


 かつかつと、早足で別室に移動している彼を、私は勉強道具を持ったまま、走って追いかけた。

 そうだった。

 男の子は一応、護身術の授業もあるんだった。

 最近、世の中も物騒だから、神官もそれなりに身を護る術を習っているようだ。

 私の方……女子は裁縫だったような?


「お前は今日も気色悪くて、楽しそうだな。追試の分際で」

「あー……でもね、これでも追試は「神学」だけなんだよ。何か神様とか、神話とかって苦手でさ。やたら長ったらしい名前が多いし、神様がいるかどうかなんて、そんなの知って、人生の役に立つのかなって、馬鹿馬鹿しいんだよ」

「神学校で学んでいる人間の言葉とは到底思えんな」

「じゃあ、ヤーフェ君。教えてくれないかな? 二人で愛を育みながら」

「断る」


 一刀両断。

 とりつく島もない。


(うん。断られることも、分かってはいるんだよ)


 そういう硬派なところが、彼の良さなんだから……。

 でも、私がヤーフェを好きなのは、そういう素直なところだけではなくて……。


「とりあえず経典に出てくる「神託者」については、押さえておけよな。それくらいは常識なんだから」


 突き放しても、最後にはちゃんと助言をくれるところ。

 『神託者』に関しては、試験に出やすいらしい。


「……神託者か」


 確か、そろそろ次の神託者が降臨するという話で、信心深いマーヤ先生なんかは、アーティマでの神託者の誕生を願って、八百年前の神託者が身に着けていた聖なる腕輪ホーリーサイクレットで、優秀な神官たちの中に、反応がある者がいないか試して回っているらしい。


(そんなものを嵌めて、何か反応するんだろうか?)


 単純な手段で、発見できるわけでもないだろうけど……。


(私には無縁の話だしな)


 そんなことより……。

 ズキンとお腹に痛みが響いて、私は前屈みになった。


「……つっ」


 昨夜機嫌の悪い寮母のおばさんに殴られ続けたところが、腫れ上がって熱を持ってしまったようだ。


(あのおばさん、服の下の見えないところばかり狙ってくるから)


 こんなんじゃ、成長しても傷が残りそうだ。

 

(……でも、頑丈な私が的になって良かったよね)


 華奢なメイヤがこんな仕打ちをされたせ、命とりになっただろう。


「ほーら、ミソラちゃん! 何してるの? 授業始まるよ!」

「うん。今、行く」


 神様なんてこの世にはいないのだから、当然、神託者なんてものは存在していないのだ。

 きっと、誰かが適当にでっちあげたのだろう。


(とりあえず、卒業だけはしておかないと、それなりのところで働くことすら出来ないものね)


 当時の私には、そんなおとぎ話より、目先の試験の方が重要で、ちゃんと神学校を卒業することの方が目標だったのだ。

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