第13話 蓮の葛藤

 明日テストがある統計学の教科書を開きながら、蓮はため息をついた。

 今日の帰りがけ直人に一緒に勉強しようと誘ったが、「梅野さんと一緒に勉強するんだ」と鼻の下を伸ばしながら嬉しそうに話す姿をみて、「私も一緒に勉強していい?」とは言い出せなかった。


 この問題はカイ2乗検定だな。

 教科書とノートを見ながら試験範囲の演習問題に取り組んでいく。

 ノートの計算式を掻きながらも、頭には直人のことが浮かんできてしまう。

 直人に「この問題どうやって解くの?」と聞くと、「その問題は、カイ2乗検定だな。授業でやったろ」と答えている直人のしたり顔を想像してしまう。


 テンションが高く明るい、いわゆる陽キャラのノリがあまり好きじゃないと言っていた梅野さんと、大人しくまじめな直人は上手くいきそうと二人の恋を応援していたが、実際に予想通り上手くいきそうになると祝福する気持ちと一緒に、別の黒い気持ちも湧き上がってくる。


 取り残された喪失感、大事な人が奪われてしまう嫉妬、そんな負の感情を持ってはダメだとわかっていても、抑えきれない程わいてきてしまう。


 明日の統計学でテストも終わりだ。テストが終われば夏休みが始まる。夏休みになれば直人ともまた遊べるだろう、そう自分に言い聞かせてイマイチ集中できていない今の気分を切り替えるために、コーヒーを淹れようとキッチンへと向かった。


「お母さん、帰ってたの?」

「うん、ついさっきね。蓮が勉強しているから、邪魔しちゃいけないと思って声かけなかった」


 母はボクが作って冷蔵庫に入れていた夕ご飯の棒棒鶏をつまみに、ビールを飲んでいる。


「蓮、ちょっとこっちへ来て」


 淹れたコーヒーをもって自室に帰ろうとしているところを呼び止められた。

 母は僕のほほにそっと手を当て、優しく撫で始めた。

 冷えたビール缶を持っていた手の冷たさが伝わってくる。

 

「やっぱり肌が荒れてる。テスト中でも早く寝ないとだめよ。テストが終わったら、病院にきなさい。ピーリングしてあげる」

「ありがとう。じゃ、土曜日行くね」


 母はボクが女の子である限り優しい。

 ゲームや少年漫画など男の気配がするものは一斉与えられることはなかったが、母の経営する美容皮膚科でピーリングや髭やすね毛の永久脱毛をやってくれるし、服やメイク用品も母のブラックカードで好きに買わせてくれる。


 男であるボクを女の子として育てる母を毒親と呼ぶ人もいるが、ボクはそうとは感じない。

 病院を継げとは言わないし、進学先も自由に決めせてもらった。女の子になってみると楽しいし、母を憎んだことは一度もない。


 ◇ ◇ ◇


 土曜日の朝、目が覚めると10時を回っていた。

 2週間にわたるテストも終わり、日々の睡眠不足と疲れがたまっていたみたいだ。

 トイレを済ませながら、まだ眠気の残る頭で今日の予定を思い出す。

 お昼前に母のクリニックに行ってピーリングを受けて、午後からは梅野さんとお買い物。


 正直今日ぐらいはゆっくりしていたかったが、梅野さんからどうしても土曜日に買い物に行きたいと懇願されてしまった。

 直人に日曜日遊ぼと誘ったら断られたので、日曜日二人でデートなのかなと勘ぐってしまう。


 母のクリニックでピーリング施術を受けたあと、待ち合わせ場所に向かうと土日ということでかなりの混雑ぶりだった。

 人混みの雑踏の中、グレーのカットソーに黒のスカートという地味な服装の梅野さんを発見した。


「ごめん、先に来てたんだ。遅れてごめん」

「う、うん。今着いたところ。今日はごめんね。無理に頼んじゃって」

「いいよ。ちょうど私も夏物の服みたいなと思っていたところだったから」


 大学の夏休み突入、社会人のボーナス支給と買い物欲を刺激する季節でもあり、どこのお店も混雑していた。

 そんなことはお構いなしに梅野さんはお店を次々に見て回って服を選び始めた。


「梅野さん、ちなみに予算ってどれくらい?」


 あまり値札も見ずに、「あれもかわいい」「こっちの方がいいかな」と見て回る梅野さんを心配して聞いてみた。

 梅野さんは想定外の金額を口にした。


「子供のころから貯めていたお年玉全部もってきたんだ。借金したり、パパ活で稼いだりしてないから、安心して」

「そうなの、わかった」

「それで、こっちのチュールスカートと、こっちのレースのスカートどっちが、田島君好きだと思う?」


 梅野さんも初めてのデートに浮かれているようだ。


「梅野さんの普段のイメージと違う、レースのスカートでちょっと大人っぽくしてギャップを出してみたら」


 直人は単純だから女の子らしいフェミニンなチュールスカートの方が好みだと思うが、期待に胸弾ませている梅野さんを見て意地悪したくなってみた。


「次はメイク教えてもらってもいい?」


 スカートの会計を終えた梅野さんは嬉しさが隠しきれない笑顔をみせている。

 きっと頭の中で明日のデートを妄想しているのだろう。


 仲良しだった直人に幸せになって欲しいが、それと同時にボクから離れて行ってしまうのは悲しい。

 メイクを教えてほどかわいくなっていく梅野さんを見ながら、ボクは何やってるんだろうと考えてしまう。




 


 

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