第7話 蓮の過去

「蓮、お母さん、東京に行くけど一緒に来る?」


 小学校5年生の夏休み、母は唐突に僕に問いかけた。母の言う「東京に行く」、それは単なる旅行ではないことを意味することぐらい、小学生の僕でもわかっていた。


 母と父の夫婦仲が良くないことは子供の僕でもわかっていた。その原因が父の不倫であることを、東京行の飛行機の中で母から聞かされた。


「うん、一緒に行くよ」


 仲良しの直人と別れるのは悲しいが、それ以上に父と一緒に田舎そのものの佐賀に残る気はなかった。

 テレビの中でしか観たことのない東京は、少年の目に輝いて見えていた。


「じゃ、お母さんの言うこときいてくれる?」

「何でも聞くよ」


 これから父と離れて独り身となる母には迷惑をかけるわけにはいかないと思って答えたが、お母さんの言うことというのが何なのかは東京に行って初めて知ることになる。


 東京に引っ越してきて、荷物の片付けもある程度終えた後、母は段ボールから取り出したピンクのワンピースを、嬉しそうに僕に渡した。

 

「蓮、これに着替えて。その服、捨てるから脱いだらこの袋に入れてね」

「お母さん、これ女の子の服じゃないの?」

「そうだよ。蓮はこれから女の子になるの。なんでもお母さんの言うこときくって、言ったよね」


 女の子になる?どうして?そんな疑問がわいてきたが、僕の反論など許さないと言わんばかりの母の勢いに押されて着替えることにした。


「下着はこれにしてね」

「下着もなの?それにブラジャーも?」

「当たり前でしょ。小学5年生なんだから、ブラぐらいするよ」


 男の平坦な胸にブラは不要だと思ったが、それを言い出すこともできず母の言われるがままにブラを付けワンピースに着替えた。


 ワンピースは解放的でズボンの時より涼しくて心地よいけど、太ももが直に触れあって気持ち悪い。


「すぐに慣れるわよ。ほら、見てごらん。似合ってるから、恥ずかしがらなくていいよ」


 女の子の服を着て恥ずかしがっている僕を、母は背中を押して姿見の前に立たせた。

 母に言われるがままに男子にしては長め髪だったこともあり、違和感なくワンピースをまとった僕とそれを満足そうに見ている母の姿が鏡に映っていた。


「お母さん、女の子欲しかったんだ。でも、二人目が欲しいと思った頃には、あいつは浮気していたからね」


 父の浮気癖は昔からのようだった。

 母にギュッと抱きしめられながら、母のためにも女の子になろうと誓った。


 男子だったころの服は全部捨てられていたので、夏休み明けスカートを履いて転校先の小学校に登校した。


「佐賀からきました、相澤蓮です。よろしくお願いします。こんな格好しているけど、男子です」


 履いてきた真っ赤なスカートを指さしながら教室で自己紹介をすますと、一斉にクラスメイトが驚きの声を上げた。

 揶揄われたり、いじめられたりするかな思ったが杞憂だった。


「かわいい」

「男子に見えない」


 そんな声が教室のあちらこちらから聞こえてきた。「キモイ」とか「変態」と言われるかと思ったが、好意的な感じだ。

 都会の方がLGBTの教育が進んでいたこともあるが、他人に干渉しないという都会の暗黙のルールのおかげで、拍子抜けするほど簡単に受け入れてくれた。


 すぐにクラスのみんなとなじんだ僕は、クラスの女子をよく観察して女の子らしい振る舞い方、仕草を必死で覚えた。

 そうやって女の子らしくなればなるほど、母は喜んでくれた。


 女子なんだから料理も裁縫もできるようになった方がいいと、男子らしい発想で母から習った。

 もともと器用だったこともあって、料理も裁縫もすぐに上達した。僕の作った料理を美味しそうに食べる母の顔が見たくて、いつしか毎日夕ご飯を作るようになっていった。


 蓮は過去を話終えると、飲んでいたコーヒーをテーブルに置いた。


「ごめん、重たい話になったね。コーヒーお代わり淹れてくるね」


 コーヒーを入れるためキッチンへと向かった蓮を、僕は呆然としながら視線で追った。再会した蓮が女の子になっていた理由を知ることができたが、まだ心の整理が追い付かない。


「徹夜って、変なテンションになるね」


 コーヒーを入れて戻ってきた蓮は、無理に作っているのがわかる笑顔をみせていた。


「蓮は、どう思ってるんだ?母親のために、女の子になることについて」

「最初はお母さんのためって思っていたけど、慣れてくると女の子も楽しいね。服もかわいいし、みんな優しくしてくれるし」

「そうか、蓮が納得してるならいいんだけど。あと、ついでに聞きたいけど、沙紀さんと付き合っていたってことは、恋愛対象は女なの?」

「う~ん。それはわからない。高校の時に沙紀ちゃんに告白されて付き合ったけど、その前は男子を見てかっこいいなとか、手つなぎたいとか思ってたし」


 蓮はちょっと困ったという表情を浮かべている。


「ボク思うんだ。好きになるのに性別が必要なのかって。好きな人を好きでいいんじゃない。そのあとに、その人が男か女かついてくるんじゃない」

「まあ、そうかもな」


  いつの間にか蓮がにじり寄ってきていて、隣に座っている蓮と肩が触れ合う距離になっていた。伝わってくる蓮の体温が朝冷え込みの中、心地よく感じた。

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