私は主人公になれない

室内主義者

【#1】私は主人公になれない

 しゅじん‐こう【主人公】

1 主人を敬っていう語。

2 事件または小説、戯曲、映画などの中心人物。ヒーローまたはヒロイン。

(『広辞苑』「主人公」の項より)


「自分の人生、自分が主人公」「あなたの人生の主役は、あなた自身です」――私はこうした言説に懐疑的である。なぜなら、これまで主人公らしい状況や展開に、一度たりとも直面していないからだ。


 学生時代を振り返ってみよう。自己主張が苦手だったこともあり、友達は少なかった。班決めではいつも余り物だった。「仲良いどうしでグループつくって」という言葉が嫌いだった。修学旅行では消灯時間にきちんと就寝していた。運動神経が悪く、体育の授業ではクラスメートの嘲笑の的だった。……と、嫌な記憶ばかりがよみがえってくる。


 あまり良い表現ではないが、要するに、スクールカースト最下層に棲息する日陰の生き物だったわけである。漫画やラノベでは、日陰者特有の感性を武器に活躍したり、自分の居場所を確保したりする物語も多く見受けられるが、あれはフィクションだからこそ成立すると私は思う。


 カーストの最下層から登り詰めるには、兎にも角にもカースト上位に認められなければならないが、下位と上位の間には『進撃の巨人』の巨人でも越えられないレベルの高い壁がある。下剋上は容易ではないし、そもそも現実的ではない。


 日陰者が調子に乗っていると、クラス中が変な空気になる。「あいつ何してんの?」「身の程をわきまえろ」と不穏な雰囲気が醸成されるのだ。だから、先生に当てられても変なボケはかまさないし、体育祭や文化祭などの行事ごとも張り切ることはない。ああいうのは「一軍」や「二軍」の専売特許だ。「三軍以下」が見よう見まねでやると痛い目に遭う。


 そう、学生時代に主人公らしい思いができるのはせいぜい「二軍」までなのだ。「三軍以下」の環境に身を置いた時点で、主人公になることはあきらめるしかない。


 では、今はどうか。実際、学生時代はとっくの昔に過ぎ去り、今では社会人としてのキャリアも長くなった。スクールカースト云々なんて気にすることはないのだが、長きにわたる「三軍以下」の生活で染みついた負のオーラは、そう簡単に払しょくできるものではない。


 社会人になった今、自分が主人公ではないことを実感するイベントが「(親戚・友人・知人等の)結婚式」である。それは、私自身が高砂席に座るイメージがつかないというのも理由の一つだが、個人的に辛いのが「お祝いムービー」だ。


 新郎新婦の友人が次々とスクリーンに姿を現し、祝福のコメントを述べる。もちろん内容そのものは素晴らしいのだが、どうしても「自分にはコメントしてくれる友人はいねえな……」と自分自身の境遇と比べてしまう。そして自己嫌悪に陥る。つらい気持ちになる(そもそも、高砂席に座れるような人間ならば、どこかのタイミングで主人公になっているはずだ)。主人公の周りには大勢の仲間がいる。言われてみれば当たり前の事実を、結婚式に列席するたびに再確認するのである。


 未来は未定だ。これから先にどんなイベントが待ち構えているかわからない。でも一つだけ確信しているのは、この先も私が主人公になることはない、ということだ。

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