第2話 後編
セレモニーは、終わった。祖父の演説はそれなりにうけいれられたようだ。
私は、ホテルの窓から海を見ている。
ライトアップされた低軌道ステーションは、それだけで荘厳な雰囲気を醸し出している。
これを見たら、静止軌道上にいるのは、神々だと言われてもしょうがない感じがする。
部屋の中は私たち家族だけだ。なぜかわからないが空気が重い。
不意に母が口火を切った。
「もしかして、tyuuny って中二病の中二じゃないよね?」
祖父が、イタズラを見つけられた子供のような顔をした。
「うそ、そうなの、どうするのかそんな変な名前つけて、また叩かれるわよ」
前の13号機の名前が叩かれた時、子供だった母は、世間から叩かれることがどう言うことか身に染みている。
「中二じゃない。tyuunyだ。」
「かっこよく発音したって、ダメよ。馬鹿じゃないの?」
「やかましい、頭の中まで無重力に浮かんでるような連中には、もったいない名前じゃ!」
祖父が言い放った。祖母はその横で、「まあしょうがない」 と言った顔してお茶を啜っている。語源は、100年以上も前に流行ったスラングらしい。
母によれば、祖父のつけた名前は、発表の瞬間aiにより認識されて、軌道エレベーターのあらゆるシステムに結びついたそうだ。
『全てのシステムを修正するのは並大抵の手間ではないはず。』
と母が呟いた。
手元のスマホの画面には、すでに、母が懸念した事態が起こり始めている。
日本に帰る朝を迎えた。ホテルをチェックアウトし、迎えのリムジンに乗り込む。
いきなり、若い男にマイクを向けられた。
「Tyuuny とは、中二病からとったという書き込みはほんとですか?」
祖父が、カッとなる。
「何から、とろうがわしの自由じゃ」
レポーターであろうその男はさらに詰め寄る。
「人類の新たな門出に不謹慎じゃないですか」続けて「恥ずかしくないのですか?」
もっともだ。語源を知った私もそう思う。
その時だ、その後何度も、tvに流れる『迷言』が、誕生した。
「黙れ青二才!!」「お空に浮かんでるだけの、こわっぱにどもに牛耳られて、ヘイこらしとるおまえさんらにガタガタ言われる筋合いはないわ。気に入らんならトット名前を変えれば良かろう」
来た時は、豪華客船からリムジンに乗ったはずである。電気の力で動くそれでの旅は、快適で楽しく、夢のような日々であった。夜、デッキから見える静止軌道ステーションの光りながら、夜空を漂う様は、壮観だった。13号機と14号機が並列して浮かぶ写真はこれが最後ということで、かなりの数のカメラ小僧が一晩中、カメラを夜空に向けていた。
今リムジンから降りた所に待ち受けていたのは、同じ船ではあるが、しょっぱいヨットだった。これだけの騒ぎだ、まさか帰りも豪華客船に乗せてもらえるとは考えてなかったが、この落差はひどい。母も祖母も、『まあこんなもんでしょ』てな顔をして乗り込んで行った。4人も乗り込めば沈むのではないかしら。日に焼けた若い男が近づいてきた。10は年上だろうか。誰かの顔がプリントされたtシャツを着ている。それを私に見せて、指差し何か言っている。英語じゃないな。何語だろう。よく見ると劇画風にデフォルメされているが、祖父の顔だ。ご丁寧に、吹き出しでセリフがはまっている。「黙れ青二才!!」。こんなものいつ作ったのだ!頭がくらくらした。
その何を言っているかわからない男と私が、恋をし結婚するのに10年かかった。
報道によれば、我が家でもあるの日本の定食店も、非難をする人たちにボコボコにされているらしい。石を投げつけられて、粉々になった窓ガラスが何度もTVに流れた。ヨットの居住性も最悪だ、寝る時はざこ寝だし、トイレは海へのポットンだ。最悪を通り越して最低な旅だ。
船は男の所有らしい、わたしたちを乗せるはずの客船の会社が、軌道ステーションの連中を恐れ、乗船拒否の態度をとる中、日本への航海をかってくれたようだ。母は、男の言葉を理解しているようだ、日に何時間も色々と難しい顔で話しをしている。私は、基本的に祖父の隣で、水平線を見ながらボーとしていることにしている。だんだんと私たちの言葉を覚えた男が、私が退屈しないようにしきりに話しかけてくる。正直鬱陶しい。
その男と間に、可愛らしい天使を授かるのは、それから15年が必要だった。
夜は満天の星だった。豪華客船での旅では見られなかったものだ。客船はエネルギーを静止軌道ステーションからのマイクロウェーブで補給しているから、一部が、途中のデブリにあたり拡散するため、何となく空が明るくなるのだそうだ。私の率直な疑問に男がそう答えた。星空を横切るtyuunyは、明かりをつけていないのか、ひどく小さく見えた。
船は、順調に北上する。時々、食料や水の補給に港に立ち寄る以外は、基本海の上だ。港によれば、男の知り合いだろうか、港ごとに違う女が迎えに来て、わたしたちを家に泊めてくれる。彼女らの誰もが祖父の顔のプリントされたtシャツを着ているのには呆れた。
そのtシャツのバージョンに母の顔が加わったのは、何度目の港だったろうか。そのころには、報道の対象は、AI技術者の母に移っていった。母は、tyuunyで使われるコンピューターシステムにも絡んでいたようだ。施設の名前は、その中心のコードと結びつく設計になったようで、名前を書き換えようとするあらゆる努力をブロックした。攻撃が加わるたびにそのAIは学習し、ますます強固な、セキュリティーソフトになっていった。そのシステムの開発者の1人が、今回の命名者の身内なのだ。疑われないわけがない。そんな中で、補給によった港街で、当座の資金の確保ややりかけの仕事を片付けて、カフェでまったりしていた母をレポーターが直撃した。
「うるさいわね!」
本人は、優しく諭したと言っていたが、TVに映ったそれは、祖父さながらの怒りに満ちた一枚だった。その晩は、母を除いた家族みんなで、TVにかぶりつきで笑った。
良い風が吹き始めると、港から離れる準備が始まる。決まって最後は、宿を提供した女とヨットの男の抱擁と別れのキッスで終わる。そして、ヨットは風を受けてスルスルと海に出ていく。
私が、浮気症の男を家から追い出し、離婚手続き済ませたのは、この旅から20年後のことだ。
日本の我が家にたどり着いた。このヨットに乗り込んでから2ヶ月経っていた。tvではボロボロにされていた我が家は、修繕されており、窓ガラスには鉄格子が嵌められていた。最初これを見た時は静止軌道ステーションの役人らは、わたしたちを監禁するつもりかと思ったものである。
実際は、ご近所の方々の親切によるものらしい。壊されないように補強してくださったのだ。繰り返し我が家を訪ねてきて、(定食屋なのだから、お客できてるだけともいえるが)「すっとした。」「よく言ってくれた」などと口々に祖父を持ち上げるものだから、祖母の機嫌がますます悪くなった。
ヨットの旅から一年後、風邪をこじらせた祖父が死んだ。それがまるで虐げられた英雄の英雄的な旅の末の死のように報道されたことで、また騒ぎになった。「実際は、ヨットのデッキでぼーと海を見ていただけなのに。」家族の誰もが思った。
葬儀の日、これまで沈黙を守っていた祖母がやらかした。葬儀の場に詰め寄るレポーターに手持ちのペットボトルの水をぶちまけ「帰りなさい!」とやってしまったのだ。祖母の物静かな怒りの顔は繰り返しTVに流れ、家族のtシャツのラインアップが増えた。
家から追い出され、私と娘の周りをうろうろしていた元夫が、諦めて実家に帰ったのは、ヨットの旅から25年後のことである。
家族の顔のtシャツは、どんどん作られた。仕事をなくした母が、その後政治運動に引っ張り出され様々なところで講演なりなんなりで引っ張りだこになるまでは、あまり時間がかからなかった。その旗印が、tシャツにプリントされた祖父の怒りの顔だ。「自分達のことは自分達で決める。軍事力で押さえ込まれたからといって、殿上人だけで全てを決めていいわけではない筈だ。」怒りをこめてそう訴えていった。活動の輪は大きく広がっていった。地表上の国々の代表を集めた評議会が立ち上げられ、宇宙議会の開催が決議された。祖父の葬儀から5年が経っていた。
紆余曲折を踏まえ、衛星軌道上で第一回の宇宙議会が開催され、宇宙憲章が定められたのは、ヨットでの旅から、30年が経っていた。母の活動を引き継ぎ、地上側の代表となった私と、軌道ステーション側の代表である元夫が握手したシーンは繰り返し報道されたが、tシャツにプリントされることはなかった。それは、「俺たちがヨリを戻せば、宥和ムードが最高に盛り上がると思うんだ。」と差し出された手を、最高の笑顔で握りつぶしてやったからだと思う。
14号機の名前は、結局そのままだった。
バベル yasunariosamu @yasunariosamu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます