【#18】帚木蓬生『白い夏の墓標』(新潮社)

■“二刀流”の著者が繰り広げる医療ミステリー

 細菌学者の佐伯教授は、パリで開かれた肝炎ウイルス国際会議での研究発表後、米国陸軍微生物研究所の博士を名乗る老紳士から、ある研究者の死の真相を打ち明けられる。その研究者とは、佐伯が若手だったころに苦楽をともにした、同じ細菌学者の黒田武彦だった。「黒田はフランスのピレネーで自から命を絶った」。老紳士が語る真相は、「米国で事故死した」と聞かされていた佐伯を驚愕させる。


 フランスで夭折したはずの黒田が、なぜ米国で事故死したことになっていたのか。なぜ黒田は自ら命を絶ったのか――。佐伯はパリからピレネーの地に赴き、亡き友人の足跡をたどっていく。


 本作は作家で精神科医の帚木蓬生が1979年に発表した医療ミステリーノベルである。物語の大筋は、若き研究者の死の真相を、かつて同じ机を並べた佐伯教授が探るというもの。


 ウイルスの研究で顕著な成果を残し、米国陸軍微生物研究所にスカウトされた黒田が異国の地で見たものとは――。本作は医学研究の光と影、そして人間の業が如実に描かれている。


■医学研究の光と影、人間の業

 本作の根幹にあるテーマは「職業倫理」である。「生命倫理」と言い換えてもよいだろう。


 医学の目的は人々の健康を維持し、疾病の予防・診断・治療に役立てるところにある。特に、本作のテーマである細菌研究で言えば、細菌の性質や機能、感染の仕組みなどを解き明かし、疾病の予防や制御、ワクチンの開発など、感染症の予測や予防、制御策の立案に役立てることが目的だ。もちろん、その果てにあるのは生命の維持と健康の増進である。


 黒田の信念もここにある。皮肉屋だが細菌研究に情熱を注ぐ黒田は、心血を注いで成し遂げた研究成果が認められ、米国陸軍微生物研究所に移籍する。日本とは比べ物にならないほど充実した施設で、四六時中細菌研究に没頭できる。


 黒田にとってこれほど恵まれた環境はない。しかし、作中で登場する黒田の手記からは、どこか不穏な境遇を読み取ることができる。


〈ぼくたちがやっていることは確かに、逆立ちした科学だ。だが、もっとも恐ろしいのは、まっとうだと思いこみ、また人からもそう信じられ、その実、逆立ちした科学ではないのか〉


 本作の核心に迫るため、この先の展開を仔細に書くことは憚られる。ただ、一つだけ言えるのは、「逆立ちした科学」は何も医学だけに限らないということだ。電子工学、原子物理学、最近で言えばAI研究もそう。念頭に置くべきは「どの学問もありとあらゆる生命にとって倫理的であるべき」という信念ではないだろうか。

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