【#17】帚木蓬生『閉鎖病棟』(新潮社)

■「作家」と「精神科医」の顔を持つ著者の持ち味が光る

 閉鎖病棟。それは精神的な疾患を持つ患者に向けて、安全かつ適切な治療を提供するために設けられた施設を言う。「閉鎖」という言葉が持つネガティブなイメージに、つい引っ張られてしまいそうになるが、実際は食堂や談話室といった設備も備えており、入院患者どうしがコミュニケーションを図る光景も見られるという。

 

 本書が描いているのもこうした入院患者間の交流、そして友情である。若いころに実母を含む数人を殺めてしまった梶木秀丸、幻聴が原因で精神疾患を発症した塚本中弥、義父からの暴力が原因で通院することとなった島崎由紀。さまざまな理由から家族や世間から疎まれ、入院や通院を強いられた患者たちが、病棟での生活を通してささやかな幸せを享受し始める。が、その矢先、病棟である患者が殺される事件が発生。この事件をきっかけに、堅固につながっていた彼らの関係性が引き裂かれることになる。


 精神病棟という一見するとセンシティブなテーマが中心に据えられているが、全体として重苦しい空気が終始漂っているわけではなく、どちらかというと患者どうしの軽妙で穏やかな交流や秀丸、中弥、由紀を中心とする「青春模様」など、人間ドラマの描写にウエイトが置かれている。かといって、患者に向けられる差別的な視線や負のレッテル張り、隔離の問題など、社会的な問題提起も忘れてはいない。


 これらの要素が絶妙なバランスで融合し、ストーリーを駆動する燃料となって物語が展開していく。作家と精神科医の二つの顔を持つ帚木蓬生の膂力が光る一作だ。


■凶行は避けられなかったのか

 既述のとおり、本作では精神病患者をめぐる世間の差別的な態度が色濃く描かれている。


 例えば、中弥の退院に際し、中弥の妹夫婦に対して主治医が病状を説明する場面。病状が快方に向かっていることから退院を希望する中弥とそれを後押しする主治医に対し、中弥と唯一の血縁者である妹とその夫の反応は芳しくない。


 特に義弟に関して言えば「精神病患者の面倒を見るのはごめんだ」と言わんばかりに退院を否定する。結局、妹夫婦は主治医にいなされ、中弥の退院が実現するわけだが、彼の病状や要望を一切理解しようとしない妹夫婦の姿勢には思わずため息が漏れてしまう。


 病棟で発生した殺人事件の原因と顛末もそうだ。殺されたのは他の患者に対して度重なる暴力を働いていた、元覚せい剤中毒の男・正宗。ただ、正宗が暴行事件を起こしても警察に逮捕されることはなく、行われるのも簡単な事情聴取だけ。精神疾患だから警察では手に負えないと具体的な対応を病棟に押し付けた結果、正宗の暴力に耐えかねた主要人物の一人が彼の命を奪ってしまう。


 もし警察が適切に対応していれば、この事件は未然に防げたかもしれない。ここにも、精神的な疾患を持つ患者を社会から隔離しておきたいという、いわゆる「健常者」な側の傲慢な目論見が垣間見える。


 本書の初版は1997年の5月に発売された。当時に比べて精神疾患に対する見方は大きく変わってきていると思うが、それでも、差別的なレッテルを張られる状況にはしばしば直面する。特に、世間を騒がせるような事件が起こった際に、容疑者の精神性を原因に見る向きはいまだに根強いと感じる。無論、中には正宗のように凶暴で暴力性をはらんだ患者もいるだろうが、それは警察官の中にも犯罪を働く人間がいるのと同じで、何も精神疾患に限る話ではない。


 病棟の内と外、患者と健常者を分かつ隔たりは大きくない。本書からは、著者が日々の診察業務を通じて抱いている問題意識がひしひしと伝わってくる。

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