【#9】村田沙耶香『信仰』(文藝春秋)

■身近にある「信仰」

 奇しくも安部元首相の暗殺に端を発する「カルト宗教問題」が話題にのぼる中での刊行となった本作は、表題作「信仰」をはじめ八つの短編を収録。マルチ商法、野生化した人間、気候変動が加速した地球、異性間交流……などモチーフは多岐にわたるが、いずれも「既存の価値観を疑う」というテーマが見え隠れするあたり、著者の問題意識はいまだに根強いようだ。


 秀作なのはやはり表題作だろう。同窓会で再会した同級生・石毛から「カルト始めない?」と持ち掛けられたミキ。そこに、かつてマルチ商法に没頭していた斉川が加わり、石毛の計画は現実味を帯びることになる。石毛の計画に終始疑いのまなざしを向けながらも、純粋な「信仰」に関心を寄せ始めたミキは、やがて斉川が主宰する「セミナー」に参加する――。


 序盤はカルト宗教に乗り気な石毛と斉川と、彼らの計画をいぶかしげに聞くミキの対立を軸に進むため、いきおい読者はミキに共感しがちだが、視点人物にも括弧つきの「異常さ」をトッピングするのが村田流。物語が進むにつれて、かつてミキ自身も「現実」を盲信していた過去が判明する。口を開けば「原価いくら?もっと安いものにすれば幸せになれるよ」「化粧品が1万円?噓でしょ」と説いて回っていたのである。ときはブランドもののバッグ、またあるときには瀟洒なカフェのコーヒー、高級な化粧水……なりふり構わずコスパを指摘するミキに当然周囲は辟易する。


 ミキ自身も決して悪気があるわけではない。むしろ根幹にあるのは「正しさ」である。とはいえ、正しいと信じるものを押し付けるさまはカルト宗教の勧誘と変わりない(言うなれば「コスパ教」の布教活動だ)。ミキの行動は次第に先鋭化し、やがて身近な家族から絶縁されたところで目を覚ますのだが、石毛の計画によって「信仰」を再び呼び起こすことになる。


 これに拍車をかけたのが友人との「お茶会」である。会話のネタとして「カルト宗教計画」の一部始終を打ち明けるミキに、友人たちも口々に石毛の異常さ、うさんくささを指摘する。カルトやマルチ商法に傾倒する人間は「愚か」であり「馬鹿だ」とも……。その一方で、彼女らは耳なじみのないブランドものの食器や高級エステをありがたがる。「信仰という意味では、カルトもマルチもブランド品も高級エステも変わらない」。ミキはそう述懐する。


 かように信仰の対象は宗教に限らない。この世に存在するものすべてが対象になり得るのだ。とはいえ、新興宗教、カルト宗教はうさんくさく思われ、高級エステやブランド品は価値あるものと目される。同じ「信仰」という行為ながら、両者を隔てるものは何か。著者が投げかける疑問は「カルト宗教問題」がかまびすしい昨今だからこそ、議論の余地があるように思う。

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