【#8】ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン 陳腐さについての報告』(みすず書房)

■凡庸な悪を体現する「アイヒマン」

 第2次大戦中にナチス政権がユダヤ人に対して行った非人道的措置について、今更多くを語る必要はないだろう。「ホロコースト」と呼ばれる迫害・虐殺行為により、数百万から数千万ものユダヤ人が命を落とした。この一連の行為を計画し実行を命じた人物こそ、本書のタイトルにもあるアドルフ・アイヒマンだ。本書はユダヤ民族に対してアイヒマンが行った国家的犯罪をめぐる裁判(アイヒマン裁判)の記録である。


 ナチスの親衛隊(SS)幹部としてユダヤ人の強制移住政策を実行し、いわゆる「最終的解決」を推進したアイヒマン。多くの人命を奪ったこともあり、今で言うところの「サイコパス」「シリアルキラー」的気質を持つ人物として見られていた。しかし、実際に裁判所に入廷した彼の見た目、裁判中の態度から「異常」な振る舞いはまったく見られなかったという。


 アイヒマンは極端な反ユダヤ主義者でなければ、狂気の犯罪者でもない。SSの幹部として、党や総統であるヒトラーの指示に忠実に従ったにすぎなかったのである。彼の裁判中の証言や態度をつぶさに記録した著者は「個人の道徳観念は社会的状況や所属集団内の”空気”に大きく影響される」と分析。人間は外的要因次第で、倫理的な思考や判断を巡らせることなく、平気で悪事に手を染めるようになるとアーレントは指摘したのである。


■現代社会に反響するアーレントの警鐘

 とはいえ、アイヒマンの例は戦時下という極限状態での話である。現代日本を生きるわれわれが、非人道的行為に迫られるような状況に直面することは(おそらく)ない。それゆえに、現代人は常に倫理的かつ道徳的に意思決定できると見る向きもあるだろう……。本当にそうだろうか。


 例えばソーシャルメディアの「炎上」問題。個人の不適切な言動や行動、波紋を呼ぶ振る舞いに対し、不特定多数が「正しさ」のもとに非難の声を上げる。その声が急速に拡散されるなかで非道徳的な発言や攻撃的な行動が増幅し、火元である個人を傷つけてしまう。多数の人間が非難の声を上げることで「叩いてもよい」という集合的意識が形成されるのだろう。


 ある恋愛リアリティーショーの出演者が誹謗中傷のコメントに精神を病み、自ら命を絶った事件は記憶に新しい。


 この一連の行為は果たして倫理的・道徳的と言えるだろうか。言えないだろう。にもかかわらず、今も毎日のように誰かがネットで袋叩きにあっている。ソーシャルメディアの炎上問題は、集団心理や集団思考が個人の道徳観念に影響し、非道徳的な発言や攻撃的な行動に加担することを表す好例ではないだろうか。


 かように、アーレントの警告はアイヒマン裁判から半世紀以上たった今も強い説得力を帯びているといってよい。あらためて、人間は容易く「悪」に染まる生き物であることを、私たちは頭の片隅に留めておくべきだろう。

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