【#10】藤田直哉『攻殻機動隊論』(作品社)

■SFアニメーション作品の金字塔を読み解く

 私事だが、折に触れて見直すアニメーション作品がいくつかある。その一つが『攻殻機動隊』だ。内務省にある首相直属の対テロ・防諜機関である公安9課。その現場指揮官で全身義体の草薙素子を筆頭に、レンジャー出身で格闘戦を得意とするバトー、元刑事で生身の体を持つトグサ、彼女らを率いる荒巻課長などが中心となって、国を揺るがす巨悪に立ち向かっていく。そんな作品だ。


 持ち前の骨太なストーリー展開、そして洗練された映像美は多くのファンを魅了する一方、個々のエピソードはきわめて難解だ。それは、脳神経にデバイスを接続する電脳化技術が普及し、多くの人間が電脳を介してインターネットに直接アクセスできるという世界観もさることながら、シリーズを貫くテーマの広さが原因だろう。

 

 例えば、2004年に放送された『攻殻機動隊 SAC 2nd gig』一つとっても、サイバーテロ、要人暗殺、政治汚職、難民問題、核戦争……など、ストーリー内で提示されるトピックは数多い。かように、ディティールを細かく追うとかえって混乱しそうになる。


■情報社会への憧憬、希望、そして挫折

 本書 『攻殻機動隊論』はそんな難解なシリーズ作品を一本ずつ分析し、物語に込められたメッセージやテーマを読み解いている。言うなれば『攻殻機動隊』の"参考書"だ。


 本書は大きく分けて第一部「超越と身体」、第二部「叛逆と体制」、第三部「真実と正義」の三つから構成されており、まず第一部では士郎正宗の原作(1989年)、そして押井守による劇場版『GHOST IN THE SHELL』(95年)を「超越」「身体」という二つのキーワードを軸に読み解いている。ここで言うところの「超越」とは観念的な世界、すなわち「サイバー空間」のことで、情報社会への想像力が掻き立てられる描写が随所に散りばめられている。

 

 特に『GHOST IN THE SHELL』が公開された95年は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などの惨事が立て続けに起こった。と同時に、ウィンドウズ95が発売されるなどインターネットや情報社会への期待感が高まりつつあった時期でもある。未知のテクノロジーは新たなフロンティアを開くかもしれない――。そんな幻想にも似た希望が本作を貫いている。

 

 ストーリーのクライマックス、草薙素子が<人形使い>という「身体」を持たないハッカーと文字どおり「融合」し、ネットの海へと消えたように、人間もインターネットと融合し、新たな存在(作品の言葉を借りれば「上部構造」)にシフトしてネットの世界を自由自在に動き回れるのではないか――。原作そして『GHOST IN THE SHELL』はそんな未来をポジティブに夢想した作品と言えるだろう。


 続く第二部では押井の弟子にあたる神山健治による『SAC』シリーズ(『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』『攻殻機動隊SAC 2nd gig』『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society』)を解説している。このシリーズが描いているのはサイバー空間を起点に大衆へと連鎖する社会運動の可能性、そして挫折だ。

 

 例えば、『STAND ALONE COMPLEX』(2002年)では、ネットは官僚や大企業の不正を暴く正義の力として機能していた。それが『SAC 2nd gig』(04年)になると排斥、そして対立の温床としての役割が目立ち始める。そして『Solid State Society』(06年)では、大衆のみならず政府や官僚といった「体制」側もネットを使って社会をコントロールしようと試みるさまが描かれていた。

 

 インターネット黎明期には、人びとは理性的に対話をする「公共圏」がネット上に生まれるという論調もあったようだが、実際に起こったのは匿名掲示板を中心とする悪辣な書き込みや誹謗中傷だ。これはツイッターやヤフーコメント等に場所を移し、より先鋭化された形で今も繰り広げられている。SACシリーズが提起する問題意識は決して古びてはいない。


 そして第三部で扱われるのは10年代以降のシリーズ(『攻殻機動隊ARISE』『ゴースト・イン・ザ・シェル』『攻殻機動隊SAC_2045』)だ。これらの作品ではフェイクニュースや炎上、ナショナリズム、民主主義の問題といった昨今の事象をモチーフに組み立てられており、ポストトゥルース社会をサバイブするための想像力が刺激される仕上がりとなっている。


■「未来に対する備えを与え、未来を創り上げようとした作品」

 このようにさまざまなクリエーターたちが、『攻殻機動隊』という作品を通して情報社会の希望や期待、そして挫折を描いてきた。そしてそれは、より良い未来を築く上での「想像力」を提供することにつながったと著者はいう。


〈技術的に変化し、人間も、アイデンティティも、文化も大きく変わっていき、生と死の感覚も変化していく未来は確実に訪れている。価値観も感覚も、政治行動も変化するだろう。『攻殻機動隊』がコンピュータやインターネットの発展と随伴しながら切り拓いた地平は、今なお私たちを触発し、未来に起こることへの心理的な備えを形作っている。(略)エンターテインメントやドラマを通じて学び、感じ、考えることで、多くの人々に未来に対する備えを与え、未来を創り上げようとした作品。それが、『攻殻機動隊』である〉

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