第5話
「おぬしもなあ、暴れたりせねば三途の川の渡し守も手荒い真似などせなんだろうに」
「三途の川で暴れた」
相手の言葉をメルショルは疑問の声でくり返した。自分が物事の区別がつかなくなった老爺になったような心地がする。とたん、脳裏によみがえる声があった。
『地獄というだけでも得心がいかぬというのに、ましてや仏門の地獄になど行けるか』
と、気づいたら立っていた荒涼とした三途の川のほとりで列に並べとうながした鬼卒を相手にメルショルは乱闘に及んだのだ。その末、
「渡し守のもとには様々な者が来るゆえの、兵法の心得があったところでかなうものではない」
と鬼が告げたように昏倒させられた。あっけないものだ。
そして、次に目を覚ましたらここにいる。メルショルは半身を起こして周囲を見回した。大友宗麟入道の居館である臼杵に司祭(パードレ)の供として足を踏み入れたことがあるが、内装などはこの部屋のほうが格段に凝っていた。細かい装飾が天井などに施され、元は公家の子孫であるメルショルだがどことなく落ちつかなくなる部屋だ。
「ここは閻魔殿の一室だ」
「死んだ者はみな、このように遇されるのか」
褥の上に寝かされていたことを悟ってメルショルはたずねる。
「さにあらず。閻魔王がおぬしに特別な用があるゆえ、かような扱いを受けたのだ。本来であれば、暴れたことも罪に加えて最初の王の裁きを受けるために引きずられて裁きの場に送られておったところだ」
まったくよかったな災難をのがれられて、そんな顔で鬼は言葉をかさねた。
そもそも非業の死を遂げ地獄に落ちた者によかったもへったくれもないと思うのだが、メルショルはわざわざいうことでもないと口に出さなかった。それを実際に口に出す気力がわいてこない。
「目を覚ましたならすぐさま連れて行くように命じられている。ついて来い。こたびは暴れるなよ。閻魔王は恐ろしい鬼道の力をお持ちだ、人などどれほどのつわものとて一捻りだ」
鬼が茶目っ気のある顔で、ただし目には本気の色をやどして告げる。
メルショルはおとなしくうなずいた。なにしろここが閻魔殿のどこで、三途の川がどちらに向かえばあるかすら分からないのだ、冷静に考えて抵抗するのは愚かな所業だ。逃げ出す方法があると考えることで自分が地獄、それも日の本のそれに落ちたことへの懊悩を誤魔化した。
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