はじめてのデート

 翌日は冬夜に車を出してもらい、トモエの担当医がいる病院まで向かった。

 トモエの通っている大病院は、鬼道邸の真反対の郊外にあるため、少々時間を要した。


 病院は大まかにわけて通常の疾患と、霊障を見る科に別れている。トモエの担当医はどちらも見れる人だったが、彼でもトモエの病を治すことはできなかった。この通院は治療のためのというよりも、苦痛を取り除くため、という意味合いの方が強い。


 診察後に冬夜と一緒に結果を聞いた。

 終始ハラハラしていたが、担当医はトモエの発作の件について触れなかった。

 結果はいつも通り。

 なすすべなし。

 薬で抑えて、耐え凌ぐしかない。


(でも……今は、冬夜様がいる)


 苦痛だった毎日が、冬夜のおかげでずいぶん楽になった。

 このままいけば、もしかすると、発作も起こさずにすむのでは? もう化け物のような姿にならなくてすむのでは、とトモエはどこか淡い希望を抱いていたのだった。


 その後、冬夜は担当医と話したいことがあるから、とトモエを外に出した。


(何を話しているんだろう?)


 トモエは首を傾げながら、それが終わるのを待った。


     *


 西洋風の建物と和風の建物が入り混じった市街地は、人々の賑わいで満ちていた。石畳の道を市電が軋んだ音を立てて走り抜ける。道の両脇には、木造の商家と赤レンガ造りの洋館が肩を並べていた。新しく建てられたガラス窓の洋風カフェからは、香ばしい珈琲の匂いが漂い、隣には白壁に瓦屋根の呉服屋が暖簾を掲げている。


(なんでだろう。昔は何も思わなかったのに、今はなんだか、少し楽しい)


 トモエはキョロキョロとしながら、冬夜の横に並んで歩いていた。

 このように、ゆっくりと市街地を見て回ったのは何年ぶりだろうか。

 美慧の買い物に何度かついて行ったことがあるが、心がはずむことはなかった。


 昼下がり、女学生たちはセーラー服姿で笑い合いながら通りを歩き、華族の令嬢はレースの手袋に洋傘をかざしてモダンなブティックに姿を消す。男たちは山高帽にスーツ姿で新聞を小脇に抱え、株価の話に夢中になっていた。

 電柱には新しい広告ポスターが貼られ、活動写真やレビュー小屋の上映告知が人々の目を引く。時々飴細工を売る屋台や、焼き芋の香りが漂う屋台が並んでいた。


(いい匂い……)


 あまりにもキョロキョロするものだから、小石に蹴躓いてしまった。

 それを見た冬夜が、呆れたようにトモエの手を取る。


「その調子じゃ、迷子になりそうだ」


「す、すみません。あの、気をつけて歩きますから……」


 そう言っても、冬夜はトモエの手を離さない。

 周りに注目されているような気がして、トモエは身をすくめた。


(冬夜様、すごく見られてる……)


 気のせいかと思っていたが、やはり気のせいではない。


「ねえ見て、あの人」


「すっごくかっこいい人ね」


 通りすがる女性たちは、皆冬夜の顔を見て頬を染めていた。


     *


 少し休憩しようと冬夜に連れられて入ったカフェでも、やはり同じようなことが起こった。

 冬夜が近くを通ると、そばにいた女性たちが色めきたつ。


「うそ、誰あの人……!」


「信じられないくらいかっこいい!」


「あれ、陸軍の方じゃないの?」


 一方で、トモエに投げかけられる視線は、どこか敵意のあるものだった。

 まさかお前なぞがこの人の恋人じゃないだろうな、といったところだろうか。


(……やっぱり、釣り合わないのかな)


 トモエは居た堪れなくなった。

 幽霊のように不健康そうな女が隣に並ぶ様は、どう見えているのだろうか。

 ああいう綺麗な女性たちの中から伴侶を選ぶべきだったのでは、としょんぼりしてしまう。


「トモエ、おいで」


 それでも冬夜は、お構いなしにトモエを呼んだ。

 冬夜は他の誰も見ていない。

 まっすぐに、ただトモエだけを見ている。


 明らかに甘い感情を孕んだその声に、女性たちはがっかりしていた。

 どうしてお前なんかが、という視線もあるような気がする。


(みんなが思うようなものじゃない。私はただ血で選ばれただけって、言えたらいいのに)


 そう思うと、胸がズキン、と傷んだ。


(……? どうして私は、それが嫌なんだろう)

 

 それでも冬夜は、トモエを大切にしてくれる。

 それだけで十分なはずなのに。


(私……)


 自分の感情に混乱していると、もう一度名前を呼ばれ、思考が遮られた。

 ちくちくする視線を受けながらも、トモエは冬夜のもとへ急いだ。


 女給に案内された席は、少し喧騒とは離れた場所にある、一番端の席だった。ちょうど柱が影になって、二人は他の客からの視線を受けずに済んだ。

 大きなガラス窓から降り注ぐ午後の光が眩しい。

 

「うるさいのは好きじゃないが、ここの甘味は悪くない」

 

 冬夜はああ言う風に、女性から視線を向けられることに慣れていたらしい。

 しばらく悪態をついていたが、冬夜はすぐトモエに視線を戻した。

 相変わらずソワソワしているトモエを愛おしむように見つめると、何でも好きなものを頼め、と言ってメニューを開いた。


     *


 トモエはバターケーキと紅茶を、冬夜はコーヒーを頼んだ。

 銀の小皿に載ったバターケーキは、粉糖が雪のようにかかり、ぽってりとした生地からは、温かいバターの香りがふわりと立ち上る。

 一口食べてみると、しっとりとした生地がほろりと崩れ、バターの豊かな香りが口いっぱいに広がった。


「うまいか?」


「は、はい」


 甘すぎず、しつこくもなく、でも確かに存在感のある味。紅茶のほろ苦さと相まって、体の奥まで優しい幸福が染みわたるようだった。

 あまりの美味しさに絆されて、トモエは先ほどまでの劣等感など、すっかり忘れてしまった。

 

 冬夜にコーヒーともあう、と言われて、少し飲んでみたのだが、あまりの苦さにトモエは目を白黒させてしまった。

 そんなトモエを見て、冬夜は喉で笑う。

 

 ──ああ、時間がとまってしまえばいいのに。


 トモエは不意にそんなことを思った。


     *


 しばらく甘味を楽しんでいると、冬夜が慎重に切り出した。


「トモエ、もし嫌じゃなかったらでいいんだが……」


「?」


「病院を変えてみないか?」


「病院を?」


 トモエは首を傾げた。


「軍部に霊障に強い医者……のようなヤツがひとりいるんだ」


 冬夜によると、気に食わない性格をしているが、実力は確かなのだという。

 今まで、医者にこだわったことなどなかった。

 いや、こだわる余裕もなかったというべきだろうか。

 通院させてもらっているだけありがたいと思え、と美慧に言われており、その通りだと思っていた。


 それにトモエの病状は特殊だ。

 今の主治医も、他にトモエのような例をみたことがないと言う。

 主治医も決して悪いわけではない。実際、処方された薬をのんでいれば、幾分か、症状はマシにはなる。けれど発作を止めるまでには至らなかった。


(それで、この症状が治る可能性があるなら)


 そうしたら、少しは胸をはって、冬夜様のそばにいられる?

 

 トモエはそんなことを考えた。


「あの……もし、ご迷惑でなければ」


 こくんと頷けば、冬夜はほっとした顔をした。


「すぐ手配しよう。これであんたが少しでも楽になるといいんだが……」


 そう言われて、トモエは胸が切なくなった。


 冬夜は本気で、トモエの治療法を探してくれているのだ。

  

 ──満月まで、あと半月。


 トモエは自分の発作のことを打ち明けなければならないと、そう感じるようになっていた。




 








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