冬夜の帰還
戸惑いと申し訳なさで混乱していたトモエだったが、美夜子は全く気にしていないようだった。
冬夜は全くお金には困っていないからいいのだと言って、適当な帽子を選び始める。
大きなリボンのついた、つばの広い帽子が気に入ったらしく、美夜子はトモエに被せてくれた。
「ああ、肝心の日傘がありませんね。すっかり忘れていました」
「……帽子があれば十分です」
トモエは今まで日焼けなど全く気にしたことがなかったため、帽子でも十分するぎると思った。
基本的に外に出なかったため、肌は病的に白い。
鏡に写った自分は、やはり奇妙なほどに青白くて、肌を焼いたら健康になれるかもしれないとトモエは思った。
(……帽子をかぶると、顔が隠れてそれなりに見えるかも)
冬夜が用意してくれたという服は、皆可愛らしかった。
だからトモエは気後しれしまうのだ。自分には似合わないと。
けれど帽子をかぶって顔を隠せば、美慧ほどとはいかなくとも、平均的な女性には見える気がした。
(……これからは、私にあまりお金を使っていただかないようにしなくちゃ)
部屋いっぱいに用意された服を見て、トモエの胸には、なぜかじんわりと悲しみと切なさが広がった。
これを素直に喜べる女性だったら、どれほどよかったのだろう。
*
「わあ、いい天気……」
柔らかな芝生の庭に出る。
真っ青な空に、くっきりとした入道雲。
蝉の鳴き声を聞きながら、トモエは思わず深呼吸をした。
近くに小川が流れ、木々がところどころで影を作っているおかげか、汗をかくほどに暑くはない。
「美夜子も、この芝というものが大好きなんです。やわらかくって、いい匂いがしますし。肉球で踏むと、とっても気持ちいいんですよ!」
「に、肉球で……」
「あっ、ごめんなさい、奥様には肉球がないんでしたね」
照れたように言う美夜子を見て、トモエは悶々と考える。
(猫の姿になれるのかしら)
ぜひ見てみたい。
言ったら聞いてくれるだろうか。
(肉球、見たい……)
迷っていると、少し休憩しましょう、と近くにあった木陰のベンチに案内された。
(なんだか、嘘みたいに穏やかね)
ベンチに座って、トモエは目の前の景色をぼうっと眺めた。
庭から見てみると、鬼道邸の大きさに改めて驚いた。
広大な敷地には、和館と洋館、さらには離れまである。前庭は西洋風、裏庭は和風で池などもあり、裏庭の方には冬夜の鍛錬場もあるとのことだった。
敷地の中を回るだけで、トモエだったら丸一日はかかってしまいそうだ。
今日だって、洋館のメインの部分しか回っていないらしい。
「離れや道場へは近道があるので、また教えますね! 元気になってきたら、朝はお散歩でもして、体力をつけましょう!」
この先が思いやられる……と心配していたトモエを、美夜子がそう言って励ましてくれた。
(ん?)
しばらくぼんやりと庭を見ていると、ふわふわ、もこもこした小さな生きものがいることに気づいた。
「あっ……」
勿怪だ。
勿怪は基本的には小さな、力無き魔性だ。
動物や、虫、魚らしき形をしていたり、何とも形容できない形だったりと、さまざまな姿形をしている。
(なんて可愛らしい)
トモエはこの勿怪が大好きだった。
力がないので悪さはしないし、ただそこにいるだけなのだ。
奇怪な姿をしているが、それがまた見ていて面白くて、飽きない。
ちょろちょろ動き回っていた勿怪をよく見たくて、トモエは立ち上がった。
近づいてみると、勿怪の方もトモエをじっとみて、おそるおそる近づいてくる。
それは鞠のように丸い、ふわふわの毛玉だった。
黒いつぶらな瞳が可愛らしい。
撫でると気持ちよさそうに、ころころ転がる。
「かわいい……」
よく見れば、日陰や草陰に、ぽつぽつと勿怪らしきものたちがいた。
うさぎのように耳が長い真っ白なねずみらしきもの、耳としっぽに花が咲く豆たぬき、宝石のように輝く怪しい蝶々。
最近はどの家でもめっきり勿怪などは見なくなったが、この屋敷は郊外──それも自然豊かな場所にあるため、勿怪が集まりやすいのだろう。特に冬夜が追い出したりもしないので、自然と住み着いてしまったのかもしれない。
「ひゃっ!」
ぱしゃ、と冷たい何かが足に触れた。
よく見れば、わらび餅のように透明な何かが、もったりもったりと地面を這いずり回っていた。体が水でできた魔性のようだ。
「わあ、すごいですね」
触ってみると、ひんやりして気持ちがいい。
トモエがテンションを上げていると、背後であっと、美夜子が声を上げた。
「ハルカゼ! ここにいたんですね」
見れば、赤と金のフグのようなものが、空中をぷかぷかと泳いでいた。
美夜子はそれを手でキャッチする。
「この子、あたたかい風を口から吹くんです。髪を乾かすのにぴったりなので探してたんですよ」
今日の夜はこの子で髪を乾かしましょう! そうすると、髪がツヤッツヤになるんです! と美夜子は目を輝かせていた。
面白い勿怪がいるものだと、トモエは少しワクワクした。
*
(ここだったら、コムギもうまく暮らせたかしら)
美夜子がお茶を取りに行くと言うので、トモエは芝生に座り込み、勿怪たちと触れ合いながら、そんなことを考えていた。
勿怪に触れられるのは、トモエの唯一の特技だ。
皆気持ち悪がって勿怪を触らないし、そもそも勿怪も人に近づいてこないので、懐いたりすることもない。
ちなみに虫や動物もトモエは好きだった。
(こんなにいい天気の日に、素敵な庭で勿怪に触れ合えるなんて、天国みたい)
長く伸ばした髪が風に揺れる。
パサついていつも絡まっていた髪は、美夜子によって櫛づかれ、ずいぶん柔らかく、サラサラになった。
(髪の毛、邪魔ね……ちょっと切ろうかな)
地面にまで掠りそうになっている髪を気にしていると、さっと勿怪たちが離れていった。
なんだろうと思っていると、後ろに影がさす。
は、と振り返れば、いつの間に帰ってきたのか、すぐそばには冬夜が立っている。あの時と同じ、立派な軍装をして、頭には軍帽をかぶっていた。そしてなぜか、腕には大きな花束を抱えている。
「あっ……」
トモエは慌てて立ち上がった。
(今日帰ってくるなんて、知らなかった)
「お、おかえりなさいま、せ……」
しかし貧血がひどいのか、立ちくらみがして、トモエの体はふらりと傾いた。
そんなトモエを、冬夜はこともなげに抱きとめる。
頭がクラクラしてしまい、トモエはぎゅ、と目をつぶった。
「まったく、部屋を出るなと言わなかったか?」
怒ると言うよりは、諭すような声音で冬夜は言った。
「ごめんなさい……あの、屋敷の中を案内してもらっていたんです……」
トモエが謝罪すると、冬夜が首を横に振る気配がした。
「……体調がいいなら、別にかまわない。敷地の中にいてくれるのなら」
その声音は、あまりにも優しい。
目をあけると、視界いっぱいに花が咲いていた。
「あ、あの……これは?」
「……やる」
そう言って、冬夜は視線を彷徨わせた。
「その……結婚したというのに、何もしてやれなかったと思って」
冬夜の頬に、朱色が浮かんだ。
軍帽をまぶかにかぶって表情をごまかす姿に、トモエはどきりとした。
(え……? 冬夜様、照れてる……?)
ぽかんとするトモエを見て、冬夜は唇を尖らせる。
「い、いらないなら、放っておけばいい」
「! い、いえ……」
トモエは慌てて花束を抱きしめた。
「あ、ありがとう……本当に、嬉しいです」
芳しい花の香りを胸いっぱいに吸い込む。
トモエの顔には、自然と微笑みが浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます