トモエ専用の衣装部屋?

 そんなことを悶々と考えていると、凍蝶が微笑んで言った。


「奥様からは、とても心地よい気がします」


「え?」


「なんて清々しい……人の身でありながら、このように神々しい気を醸すことがいるのですね」


 美夜子もうんうんと頷いた。


「清々しい……そうですね、奥様にはそんな言葉がぴったりです! お会いした時から、本当に美しい気で満ち溢れていらっしゃいました」


「皆、奥様の気が心地よくて、さっきから骨抜きになっているのですよ。ほら、まるで視線が離せないみたいに、こちらを見ているでしょう?」


 そう言われて周りを見回せば、凍蝶が言ったように、魔性たちはトモエを食い入るように見つめていた。

 けれど凍蝶の言葉で、さっと視線を外して、慌てて持ち場に戻っていく。


「奥様にはもしかすると、調伏の才能があるのかもしれませんね」


「ちょ、調伏?」


「人と魔性は、相性がすべてなのです。一目見て、魔性はその者を好きか嫌いか判断します。私もそう」


 微笑んでくれた、ということは、凍蝶はトモエを認めた、ということなのだろうか。


(私、好かれるようなことは何もしてないけど……)


 もし凍蝶の言うことが本当なら、桜狐家とは真逆だ。

 桜狐家では、何をしていなくても嫌われていたのだから。


「主もそう。彼はよく魔性に好かれるの」


「冬夜様も?」


「ええ。だからこの家にいる魔性は、彼と契約を結んだのです。口が悪いものもおりますが、ここにいる魔性は皆、奥様に危害を加えたりはいたしません。なので、どうぞ緊張せず、ありのままの奥様でいらっしゃってくださいね」


 そう言って凍蝶は微笑んだ。


     *


 最初にトラブルはあったものの、その後はスムーズに屋敷の中を見学することができた。

 この屋敷は、冬夜自身が数年前に建てた新築の洋館なのだという。

 洋館といっても和洋折衷の建物で、和室などもあるようだ。

 二階建ての洋館は広大な土地を誇っており、桜狐家の数倍の規模はあるだろう。

 敷地内に道場を併設しているらしく、訓練場を兼ねたいから、と言う理由で、かなりの土地を買い上げたらしい。


 煌びやかなシャンデリアの吊るされた玄関ホールに始まり、この家はどこもかしこも豪華な仕様となっていた。それでいて下品さがないのは、置かれているものの機能性などにこだわり、不必要なものは置いていないからだろう。


  特に応接室、食堂、リビングやサロンは小物から窓ガラスまでこだわられていた。大きな窓ガラスには装飾が施されており、開けると美しい庭から明るい光がさんさんと降り注ぐ。


 冬夜が仕事部屋にしている書斎は、思ったより多くの本が並べてあった。

 芸術的な本よりも、実用的な本が多いとのこと。

 冬夜はてんで芸術には弱いのだと。この家も、知り合いのデザイナーに頼んで、いつも整えさせているのだという。 

 

 客用は片手で収まらないほどにあり、各階には洋式のお手洗いもあった。何気にトモエが一番嬉しかったことだ。


 以前美夜子が言っていた通り、檜風呂の大浴室もあった。

 数多くの使用人部屋に、暖炉室、食品や酒を管理する地下室、さらには茶室まで。

 部屋の数を数え上げればキリがない。

 豪邸というのは、こういうことをいうのだろう。


 それも、この家は冬夜自身が稼いだ資産で建てた家らしい。

 それが一番の驚きだった。


「ご主人様、運がいいんですよ。みんながお金を無くした時に、逆にいっぱい入ってきたんですって!」


「……?」


「よくわからないですけど、空売りだとかなんだとか」


 美夜子もよくわかっていないようだったが、どうやら冬夜には、大金を得る何らかの機会があったらしい。

 トモエも美夜子も、よくわからないがひとまず冬夜はすごい人なのだ、というところで落ち着いたのだった。


     *


「あの……勝手に触ってもいいんでしょうか」


「え? 当たり前ですよ。だってこれ全部、奥様のものなんですから」


「え、ええ?」


 衣装部屋の中で、トモエは驚愕に目を見開いていた。

 庭に出てみたい、とトモエが言うと、帽子が必要だから衣装部屋に取りに行きましょうと、美夜子は衣装部屋へ連れてきてくれた。


 トモエの寝室には箪笥などがなく、いつも衣装部屋から、美夜子がその日着るものを持ってきてくれていた。

 今日トモエが着ている白いワンピースもそうだ。とても軽くて、洋装とはこのように楽なものだったのかとトモエは驚いていた。足元がすうすうするのが心許ないが、それよりも、とにかく軽くて動きやすいことの方が優っている。


 衣装を置くためだけの部屋があるのか……と思っていたが、あるどころの騒ぎではなかった。

 衣装箪笥やクローゼットに保管されていた女性ものの衣装は、全てトモエのものだというのである。


「こ、これ全部、ですか!?」


「? はい、そうですよ!」


 当たり前のように頷く美夜子に、トモエは気絶しそうになった。 


「全ておろしたてのものです。ご主人様が、奥様にはいつも最高品質のものを身につけられるようにと」


 どこの名家の令嬢が、このように大きな部屋一室を自分だけの衣装で満たすというのか。

 ここまで来ると、冬夜はトモエを、どこかの国の王族と勘違いしているのではないかと、トモエは恐ろしくなってしまった。

 

「わ、私、こんなに必要、ありません……」


「へ? なんでですか?」


「だ、だって、どこへも行かないし、絶対似合わないし……」


 おろおろしながらそう言うと、美夜子は首を傾げた。


「お散歩だってするでしょうし、病院だっていくじゃないですか。ついでに街に寄って冬夜様とデートしたりするんじゃないですか?」


 だから絶対絶対必要です! 美夜子は譲らない。


「それに、奥様はとっても綺麗ですよ。大丈夫です、どんなお召し物もお似合いになられますよ」


 全身鏡に写ったトモエは、とてもじゃないが、美しいとは言えなかった。

 青白くて陰気くさい顔をした幽霊のような女が、鏡の中でビクビクと怯えていた。


(……私、なんてことをしてしまったの)


 こんなにたくさんの洋服や着物、きっと袖を通す前に、トモエはいなくなっているはずだ。それなのに、多額の金銭をかけさせてしまった。


(どうして冬夜様は、こんなにたくさんの衣装を……)


 混乱して、泣きそうになっているトモエを見て、ようやく美夜子は何かおかしなことが起こっていると気づいたらしい。


「い、今からでも、戻してもらうことは……」


「売ることはできると思いますけど……ご主人様、すごく楽しそうに選んでいましたよ」


「……え?」


「だからみゃーこも、奥様が来るのをとても楽しみにしていたんです。ご主人様があんなに優しい顔をしているところを、始めて見たのですから」


(冬夜様が、選んだ?)


 トモエの身につけるものを?


(そんなことを、するの? ただ血筋で選んだだけの女に……)


 ──これではまるで、本当に、大切にされているみたいではないか。






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