閑話 桜狐家
姉へ送る招待状① 美慧
桜狐美慧は苛立っていた。
(どうして力が使えないの……)
あの夜会以降、美慧が得意としていた治癒の神通力は、ほとんどと言っていいほど使用できなくなっている。
父と母は、環境が変わって、少し疲れているのではないか、とそこまで深くは気にしていないようだった。
しかし美慧には焦る理由があった。
トモエがそばにいると能力が安定する。
自分でそのことを実感していたからだ。
この事実を知っているのは美慧だけだった。
美慧のプライドが、その事実を両親に告げずにいたのだ。
(一度、確かめた方がいいのかもしれない)
トモエが近くにいないと、能力が使用できないのかどうかを。
けれど肝心のトモエは、嫁にいってしまって、近くにはいない。
鬼道冬夜は本邸ではなく、郊外に建てた別邸に住んでいると聞いていた。ここからだと少し遠い。
(私が鬼道の家を尋ねる? それとも、家に呼び戻せばいいのかしら)
どちらもできなくはないのだが、美慧の行動は不自然といえば不自然だ。
(まあ、ちょっと手紙を書いて、鬼道様に本当のことをバラすといえば、姉さんなら従うでしょうけど)
鬼道冬夜にトモエの事情をバラすことは、父によって禁じられている。
不良品をよこした、と言われて結納金を減額されることを父は恐れているのだろう。
実際にバラすことはできないが、しかし脅しくらいには使えるだろう。どちらにせよ、あの意志の弱い人形のような姉が、美慧に逆らえるとは思えない。
(面倒だけど、やるしかなさそうね)
美慧は最近、いじめる相手がいなくて、苛立つことが多くなっていた。
いなくなってせいせいしたのは事実だが、当たり散らす先や比較対象がいなくなってしまい、少々機嫌は落ち気味だ。
桜狐家は、能力者の家門の中では下の上、と言ったところだった。ここから美慧が当主になり、なんとかして元の栄光を取り戻したいという野望が父にはあった。そういう両親からのプレッシャーも、美慧の力を不安定にさせているのかもしれない。
「──……さん」
(まったく、いなくなっても目障りなんて、さすが姉さんだわ)
「美慧さん!」
強く名前を呼ばれて、美慧ははっと顔をあげた。
「さっきからどうしたの、ぼうっとして」
目の前にはおっとりとした顔立ちをした女性が、心配そうに美慧を見ていた。
美慧は西洋風の邸宅のサンルームで、女性と向かい合ってお茶を楽しんでいた。しかし考え事にふけって、すっかり話を聞いていなかったのだった。
目の前には自宅で焼いたというマドレーヌが綺麗に並べられている。
手をつけずにいたレモンティーは冷めていた。
「ごめんなさい、ぼうっとしてしまって。でも、薫子様とは、やはり住む世界が違うのだなと」
しおらしくそう言ってみれば、薫子と呼ばれた女性は、困ったように首を傾げた。
「何を言っているの。私にはちっとも能力なんかないのだから、あなたの方が特別よ」
薫子は、伊織の長兄──つまり、藤宮家の長男の嫁だ。
伊織が婿に入ったことで、美慧と薫子は親戚関係になった。
薫子は魔性に対抗する力はないが、公爵家の出で、身分が高く、社交会でも顔が広かった。
「私にできることは、能力者たちの交流のお手伝いをすることくらい。でもね、それだって結構大変なのよ。なのに旦那様と来たら、急な日程での開催を提案したりして……」
薫子は先ほどから、自分が主催する夜会についての愚痴を美慧にこぼしていた。
「本当、旦那様ったら、夜会を開く方の身にもなってほしいわ。招待客や食事内容を考えるのだって、全て私だというのに」
色っぽい仕草でため息をつく。
薫子の愚痴を聞いていた美慧は、ふと思いつく。
(夜会……)
──トモエは鬼道家の次期当主の妻だ。
そういうものに、参加しなくてもよいのだろうか。
(……いいことを思いついた)
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