トモエの居場所
トモエは冬夜とともに、林の中にある道を歩いていた。
鬼道家の敷地から出たのは始めてだ。
林を抜けるとすぐそこは田んぼと川らしく、本当に自然が豊かな場所なのだなとトモエは驚いた。
朝の爽やかな風が頬をくすぐる。
時々手が触れ合って、トモエはどきりとした。
「悪い。日傘が必要だったな」
「……帽子があるので大丈夫ですよ」
冬夜は首を横に振った。
体力がないものは熱中症になりやすい。
体調がよくても、できるだけ夏の日光には直接あたりすぎるなと注意される。
「鬼道家担当の外商が明日来る。女性ものの商品を頼んでいるから、持ってきてくれるはずだ」
「……あの、冬夜様。私のために色々用意していただいてありがとうございました」
「ああ、あれか。別にあれくらい、邸を建てた時の費用に比べれば、なんでもないさ」
美夜子の言った通り、冬夜は全く気にしていないようだった。
それでもトモエは、申し訳なかった。
「あの……とても私にはもったいなくて。私はもう十分ですから、どうか気を遣われずに」
遠回しに、もうこれ以上のものは必要ないと告げると、冬夜は眉を潜めた。
「気に入らなかったか?」
「い、いえ! どれも本当に素敵なものでした」
「だったら、別に遠慮なんかしなくていい。あんたは黙って受け取っておけばいいんだ」
「で、ですが……」
トモエが言い募ろうとすると、冬夜は深いため息をつく。
(ま、また機嫌をそこねてしまった……)
冬夜からの施しを断るのは、彼のプライドを傷つけてしまうことなのだと、トモエはだんだん理解してきた。
「私、何もできないし、迷惑をかけているだけなのに……」
思わずそう言うと、冬夜は驚いたようにトモエを見た。
「迷惑? あんた、そんなことを思っていたのか」
「だって、あの、妻としての役目も果たせておりませんし……病気がちで、いつも助けていただいて……」
オロオロしながらトモエがそう言うと、冬夜は立ち止まった。
それからトモエの手を引く。
「こっちにおいで」
大きな手が、トモエの小さな手を包み込んだ。
ゴツゴツとした指だったが、最初からトモエのためにあるかのように、ぴったりと合っている感じがした。
冬夜に手を引かれて歩くと、やがて林が途切れた。
冬夜の言った通り、目の前は田んぼ道だ。
すぐそばには、ちょうど木陰の下にベンチがあった。
冬夜はそこへトモエを誘う。
ミーンミンミンと、蝉がないている。
そばにはひまわりが咲いていた。
しばらく、蝉の声を聴きながら、二人は田んぼを眺めていた。
「……俺は、あんたが迷惑をかけているだなんて、一度も思ったことはない」
冬夜を見上げると、彼は真剣な表情で、トモエを見ていた。
「あんたが病気がちだと知っていて、あんたを娶ったんだ。けど、そんなことは関係ない。俺はあんたを大切に囲うだけの財産も、地位もある」
すがるような瞳だった。
(どうして、そんなに、私を大切にしてくれるの……)
冬夜の言葉に、トモエは動揺してしまう。
「俺なら、あんたの苦しみを取り除いてやれる。だから、ただここにいてくれ。あんたは俺の隣にいるだけでいいんだ」
「……!」
聞きたかった。
なぜそんなふうに言ってくれるのか。
なぜトモエを大切にしてくれるのか。
けれどトモエは、なぜ胸が苦しくて、聞けなかった。
(ああ、ただ桜狐の血が欲しいのだと。力があればいいのだと、この人にはっきりそう言われてしまったら……)
どうしてだろう。
いつの間にか、自分自身を見て欲しいと思っている、トモエがいた。
だからもし冬夜にそんなことを言われたら、ひどく落ち込んでしまう気がする。
聞けばよかったのに。
けれどやっぱり、勇気が出なかった。
「それは、本当ですか……?」
「ああ。当たり前だ。全部俺が望んだことだ」
たとえ冬夜がトモエ自身ではなく、桜狐の血を大切にしているのだとしても。
それでもどこか、喜んでいる自分がいる。
「あんたの居場所は、ここなんだよ、トモエ」
「!」
私の、居場所?
「……ここにいて、いいの?」
思わず子どものような声が出てしまった。
「何度も言っているだろ。ここにいてくれと」
優しく髪の毛をすかれた。
ただ純粋な喜びが、胸に溢れる。
(ここにいてもいいと、言ってもらえた……)
たとえどんな理由であったとしても、居場所を与えられた。
桜狐家にはなかったものだ。
自分の部屋があっても、心は休まらなかった。本当の居場所はなかったから。
けれど冬夜は、ここにいてもいいと。
知らないのだろう。
トモエの寿命がもうつきることは。
これは、嘘の上にある許可。
けれどトモエは、どうしても嬉しかった。
(もう少ししたら、本当のことを言いますから……)
だからあと少しだけ、あと少しだけでいい。
どうかこのまま、ここにいさせてくださいと、トモエは罪悪感の中でそう願った。
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