閑話 桜狐家
弱まる力① 美慧
桜狐美慧は、終始上機嫌だった。
全身鏡に写った自分を見て、満足げに微笑む。
「綺麗ですわ、美慧様」
「本当によくお似合いです」
女中たちが、さすが美慧様、と誉め立てる。
美慧が生まれた頃からいる女中たちだ。
皆美慧のことを自分の娘のように可愛がっていた。
「ふふっ、ありがとう。このドレス、今日の夜会のために、伊織さんに買ってもらったのよ」
ストレートラインのイブニングドレスは、美慧のメリハリのあるボディラインを美しく際立たせていた。
黒い巻き髪に、真紅のドレスがよく映える。
(こんなの、トモエ姉さんじゃ着こなせないでしょうね)
いつも比較対象にしているトモエがいないのが少々残念だ。
みずほらしいトモエがいれば、余計に美慧の美しさが際立つから。
(でもまあ、あんな化け物、わずらしいんだから、いなくなって本当に正解よね)
ルビーのイヤリングを調整しながら、いつの間にか嫁いで消えていた姉について思いを馳せる。
美慧にとって、突然家族の輪に入り込んできたトモエは、本当に目障りな存在だった。
*
美慧のたった一人の従姉妹、トモエ。
母の姉、桜狐家の当主の一人娘。
幼い頃、一族は皆、美慧などには目もくれず、本家の一人娘であるトモエを蝶よ花よと可愛がっていた。実際、幼い頃のトモエは本当に愛らしかったし、その頃はまだ、トモエが一族の代表になると信じて疑われなかったからだ。
桜狐家には、絶対厳守の掟があった。
それは、本家の嫡子が、必ず正当後継者となり、家を継ぐこと。
何百年も、桜狐家はこのやり方で家を繋いできたのだと言う。
不思議なことに、桜狐家の嫡子は皆体が丈夫で、どんなことがあっても必ず子が生まれるまで生きると言われていた。
そして強い能力を持つとも。
だからトモエも、幼い頃は病気がちであったが、必ずよくなると信じられていたのだ。
美慧もトモエと一緒に遊んだことが何度もある。
けれどトモエが受ける特別対応を、子どもながらに美慧は敏感に感じ取っていた。
トモエだけが特別で、美慧は邪険されている。
そんな感覚だった。
実際はそんなことはなく──トモエが病弱だったため、特別気遣われていただけだ──ごく普通の子供に対する接し方だったのだが、敏感な美慧は、トモエだけが優遇されていると思っていたのだ
トモエ自身がそれに気づいていないのもまた、憎らしかった。
それでも美慧とトモエは別の家庭で育っていたから、不愉快な気分になるのは親戚付き合いだけだと、自分を納得させていた。
それが変わってしまったのは、本家の火事だ。
大火事だったらしい。
消し切れていなかった台所の火が、一気に古い木造の家に燃え移ったのだという。
桜狐の当主夫婦や祖父母はその夜亡くなってしまい、入院していたトモエだけが生き残った。そしてトモエを一人にするわけにもいかず、一番近い血縁である、美慧の母──トモエにとっては叔母、が引き取った。そして手続きを踏んで、美慧の母が桜狐の当主となったのである。とはいえ、父が実権を握り、桜狐を動かしていたのだが。
美慧にとってトモエは、家に突然入り込んできた異物だった。
病気がちなトモエは、よく熱を出して寝込む。
すると皆、そちらにかかりっきりになってしまう。
特に本家から元々いた女中はトモエにべったりで、何よりもトモエを優先していた。
それが幼い美慧には気に食わなかったのだ。
しかし父が美慧と同じく、トモエに好意的ではなかったのが幸いした。
「桜狐家の当主はネネ、お前だ。だから……美慧にも家を継ぐ権利が、十分にあるんだ」
父は利己的な人だった。
トモエよりも、自分の娘に当主を継がせたいと必死だった。
桜狐家の縁者たちは必死に直系の嫡子を跡取りにする決まりを説いたが、父はそれを信じなかった。
正直なところ、桜狐家での大火事も、喜んでいた節がある。
父は商家の次男坊で、自身には特別な能力がなかったから、古い能力者の家柄の実権を握れるなど、思ってもいなかった幸運だったのだろう。
そして運がいいことに、そのタイミングで、美慧の能力が開花した。
今までは何もできなかったのに、トモエが来てしばらくしたある日、治癒の技が使えるようになったのだ。
こういうことは珍しいことではないのだという。
言い伝えによると、桜狐家の血を継ぐもので能力の開花が最も遅かったものは、十四歳だったらしい。それ以上になると能力の発現はないものとみて間違いないとか。
「やはり本家の娘だから、能力が開花したんじゃないか」
父もそう言ってたいそう喜んでいた。
美慧も、トモエより優れているのだと思うと、幼い頃と立場が逆転したような気がして爽快だった。
その頃から父は本格的に美慧を当主に据える気になったらしく、元々トモエについていた女中たちは皆解雇し、美慧にのみ金と愛情を注ぐようになった。
「桜狐を継ぐのは、必ず直系の嫡子だと決まっております……!」
最後まで解雇された女中たちはそんなことを喚いていた。
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