縁談

 ──翌日。

 人の気配がして、トモエは目が覚めた。

 粗末な布団で眠ったせいで、体のあちこちが痛む。

 気だるい体を起こす気にもなれず、音のした方を見た。

 今日はこの座敷牢でじっとしているように言われたはずだが、桜狐家に仕える女中の一人が、トモエに出るようにと声をかけた。


「旦那様がお呼びです」


 驚いて目を瞬かせていると、冷たい声でそう言われた。

 女中は着替えて居間に来るようにと言って、トモエの方を一度も見ずに去っていった。


     *


 座敷には、養父母と美慧が揃って待っていた。

 入室の挨拶をして、示された席に向かう。

 少し目眩がして倒れるように座り込むと、養母がため息をついた。

 

「も、申し訳ございません……」


 トモエが謝ると、養母は頭痛をこらえるように呟いた。


「学校にも行っていない、家でもろくに働かず寝てばかり……教養もマナーもなっていないのに、一体これからどうやって外で生きていくというのかしら」


(外で生きていく?)


 言われた言葉の意味が分からなくて、トモエは戸惑うように養父母を見た。

 それは美慧も同じようだった。

 

「お母様、トモエ姉様はこの家しか知らずに生きていくのだから、別にいいじゃない」


 どうせもうすぐ死ぬんだから。

 そんな悪意が、言葉の端々に透けて見えた。


「それがね、美慧、そうとも言えないのですよ」


 養母はため息をついた。


「ネネ、さっさと話してしまおう。今日は来客もあるから、時間がないんだ」


「そうね、清さん」


 養父は改まった様子で、トモエと美慧に向き合った。


「美慧、トモエ。今日はお前たちに大切な話がある。お前たちの今後についてだ」


 養父がそう言うと、美慧は目を輝かせた。

 反対に、トモエは何を言われるのかと恐ろしくなって、思わず拳をぎゅ、と握った。嫌な汗が浮かんでくる。


「昨日、正式に藤宮家との縁談がまとまった。伊織くんを婿に迎え、これからは美慧がこの家の当主となる」


 縁談の話をまとめるために、昨日藤宮家の当主はこの家を訪れていたのだろう。

 そしてそんな大切な日に、美慧は見事な能力を見せたのだ。


「美慧、これから大変なこともあるだろうが、その素晴らしい力を使って、しっかりとこの家を守っていくように」


「もちろんですわ、お父様! この力は、そのためにあるのですから」


 美慧は大輪の花が咲いたかのような、明るい笑顔を見せた。

 養父母とも、誇らしげな顔だった。

 

(だったら私は……ううん、きっと今までと変わらないはず、よね)


 陰鬱な表情でその光景を見守っていたトモエは、早くこの場から去りたくて、そわそわしてしまった。

 けれどこちらを向いた養父の口からは、思ってもいなかった言葉が出た。


「そして、トモエ。お前にも縁談がある」


「……え?」


 縁談?

 誰かと、結婚するということ?

 こんな不健康で、忘れ去られた存在の私が?


 トモエは一瞬、意味が分からなくて、ぽかんとしてしまった。

 しかし考えてみれば、それは決しておかしな話ではないのだ。

 誰がなんと言おうと、トモエは桜狐家の血を持つのだから。

 今は落ちぶれているとはいえ、歴とした名家の娘。

 その血統ほしさに縁談を申し込んできたのだろう。


 けれど、トモエは病弱なことで有名だった。

 そんなトモエを妻に欲しがるとは。

 あまりまともな縁は望めそうもない。


 美慧も同じように思ったのか、意地悪そうに笑った。


「あらあら、よかったわねぇ。こんな姉さんと結婚したいだなんて、物好きな殿方もいらっしゃるのね?」


 年老いた男の後妻? お妾さんかしら? それとも病人が好きなおかしな殿方?

 美慧が意地悪な言葉を、そっとトモエに耳打ちした。

 トモエはその言葉で青くなる。


(一体、どんな人が……)


 トモエが震えていると、養父はその様子を気にせずに淡々とした調子で言った。


「トモエには──鬼道家の次期当主、鬼道冬夜殿に嫁いでもらう」


 きどう、とうや。


 聞いたことのない名前だ。

 しかしトモエでも、なんとなく鬼道、という姓は聞いたことがあった。


(確か、鬼道家も、代々続く退魔の名門だとか……)


 ただし、桜狐家とは違って、今は帝国陸軍独立特務隊と呼ばれる、軍での活動に重きを置いている家柄だ。

 桜狐家は名家ではあるが、軍には属さず、民間に留まっている。

 多くの能力者の家系は、もともと公家の出であることが多く、泥臭い活動や、自ら命の危険が伴う軍人にはなろうとしなかった。


 能力者の出生数の減少に伴い、効率よく国内の魔性に対処するために設立された隊だとはいうが、やはり変わり者が多いとも聞く。

 一体どんな人なのか不安に思っていると、美慧が顔色を変えて養父の方を見た。


「……鬼道家ですって? あの、最近最年少で大尉になられたとかいう、鬼道冬夜様?」


「そうだ」


 養父は頷いた。

 美慧の機嫌が一気に悪くなる。


「なんで姉さんがそんな方に……」


「冬夜殿は、我々の高貴な血を求めているようだ。決して自身にはない、この血に価値を見出している」


 そこまで言われて、美慧は何かに気づいたようだった。


「……確か鬼道家は、嫡男の那由多様が能力が足りなかったと噂で聞いたことがある」


 美慧は何かを思い出したように目を輝かせた。


「……そう、そうだったわ。冬夜様は、確か女中に産ませた子どもだったとか。ご当主様に見つけてもらうまで山で暮らしていた野蛮な男性だって、聞いたことがあるわ!」


 そこまで言われて、トモエにもこの結婚の意味が少し理解できた。

 軍に所属する者は、妻にも一定以上の家柄が求められていた。

 婚姻には、調査の上、上層部の判断も必要になる。

 その中でトモエを選んだと言うことはつまり、女性たちが縁談を拒んだ、ということなのかもしれない。

 能力者の家系は、どこもプライドが高い。

 妾腹の冬夜に娘を嫁がせることを、嫌がったのかもしれない。


「かわいそうな姉さん。夜会でも、恐ろしく乱暴な男性だって、聞いたことがあるわ。体の弱い姉さんが、いつまで耐えられるのかしら」


 そう言ってくすくすと笑う。


「トモエ。鬼道家は、驚くほど多額の結納金を、桜狐家に納めるつもりだそうだ。この意味がわかるな?」


「……」


 トモエは冷たくなった指先に視線を落とした。


「この家に戻ることは許さない。急だが、明日、迎えが来るそうだ。すぐに準備をしなさい」


「祝言は挙げなくて結構だそうよ。もちろん受けるわよね?」


 書面だけのやりとりで、トモエの結婚は決まったと言う。

 名家の娘としては、あまりにもひどい状態だ。


 三人の黒い瞳が、じっとりとトモエを見つめていた。

 これまでと同じだ。

 流されるままに生きるだけ。

 たとえその先に、絶望があるとわかっていても。


「……承知、いたしました」


 トモエはすべての意味を理解した。


 要するにトモエは、金で、その血を買われたのだ。

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