第8話 国宝の魔導書が私に読めちゃったんですが……これって、もしかして非常にまずいのでは?

 昼頃になってから、私は目が覚めた。

 寝坊してしまったことに気がついて、大慌てで時計を探すが、この部屋には時計がなかった。


「なんでないのよ!」


 と、苛立ちの声を上げてから、ようやく私は気がついた。

 ここは日本にある私の家じゃなかった。

 今、私がいるのは遠い(?)異世界の地、カメリア。

 近侍きんじと呼ばれる、王族直属の護衛が使う部屋に、居候させてもらっている状態だ。


「そっか……。もう仕事のことなんか、関係ないのか」


 大して面白くもないユーチューブを見て笑い、寝起きに「疲れた」の言葉を発するのが、朝のルーティーンだったのに、それとももう無縁になってしまった。


 することがなくて、思わず自分の頬に手をあてた。

 昨日までは、荒れた肌に少しイラつきながら、ファンデを塗っていたというのに、そんな日常が何だか、とても懐かしいような気がした。もっとも、口紅は、コロナになってから、全然つけなくなってしまっていたのだが。


 気晴らしに推しに貢ぐことくらいしか、やることのなかった私だ。

 それさえも、こうしてスマホがなくなってしまったのだから、できなくなってしまった。

 要するに、とっても暇。


(仕事がなくなるんだから、元々、スマホゲーに課金してる場合じゃないんだけどね)


 勝手に外に出てもいいのかと迷っていると、この部屋の持ち主であるビビアンが、タイミングよく戻って来てくれた。


「お早うございます、カナミ様」

「お早う、ビビアン。……でも、カナミ様はやめてよ。王子のレオンならともかく、別に私は、あなたの護衛対象じゃないでしょう?」


「いえいえ。カナミ様はレオン様が、是非とも妃にと望んで見つけて来られた方。失礼な態度を取るわけにはいきません。それに、後々はレオン様と婚姻なされるのですから、今のうちにゴマをっておく必要があります。ぶっちゃけ、ただの保身ですよ」


「言い方……」


(それにまだ、王子と結婚するって決まったわけじゃ……)


 な~んて。

 そんなことを独り言ちてみたけれど、心はもうレオンとの結婚に決まっていた。

 盛大なプロポーズをされた割に、レオンとの間柄が何も進展していないことは、それなりに不安の種だったが、熱されていない二人の関係についても、いずれは解消されていくと信じたい。


 まるで私がイチャつきを求めているかのようで、この説明はちょっと癪だが。


(……ホントはイチャつき求めてるよ、悪いかよ!)


 ビビアンと話を続けていれば、やがてレオンも私に姿を見せた。レオンの背後には、死神と呼ばれていた、あのヴェスペリスの姿もあった。


「カナミ、お早う! 寝起きだというのに、今日もそなたは一段と美しいな」

「ど、どうも……」


 レオンのストレートな台詞に、私はまだ戸惑ってしまっていた。

 照れ臭さと、相応の嬉しさを感じこそするものの、まだ心のどこかで、からかわれているだけなんじゃないかっていう不安が、中々消えないのだ。


「ヴェスペリスのやつめ、こんな大事な時に、いったいどこをほっつき歩いているのだ」


 レオンの台詞に、私とビビアンは顔を見合わせてしまった。


(後ろにいるじゃない……あなたが連れて来たんじゃないの?)


「レオン様。ヴェスペリスさんなら、レオン様の後ろにおられますよ」


 ビビアンの指摘に、疑うように後ろを振り返ったレオンが、たちまち素っ頓狂な声を上げた。


「ぎょえええ! 驚かせるんじゃない、馬鹿者が! それより、ヴェスペリス。どこに行っていたかは聞かぬから、早く私を手伝ってくれ」


 言うやいなや、レオンはヴェスペリスの腕を取りながら、強引に室内へと入って来た。

 対する死神は、どこか不服そうな感じだ。


「手伝うっていうのは、魔導書の解明をか? あのなぁ、レオン。俺はお前に協力するが、何でもかんでもを俺に任せるのは違うだろう。俺はお前の協力者であって、お前の保護者じゃないんだぞ」


 そう言いながら、机に置かれていた本のうちの一冊を、ヴェスペリスが手に取った。


(あれ、日記じゃないんだ。てっきり、ビビアンの業務日誌か何かだと思ってた)


 文脈から考えて、今のが二人の会話に出て来た、国宝の魔導書だろう。

 迂闊に触らなくてよかったかもしれない。

 それにしても、死神の対応はすげないものだ。

 私が思っているより、レオンと死神の仲はよくないのだろうか?


「もっとも……俺に頼られたところで、こいつは俺にも読めんがな。書き手は誰だ? なぜ、こんなふざけた文字で書いてある?」


 ヴェスペリスの返答は、思いもよらぬものであったらしい。

 レオンが再び激しく驚いていた。


「お前でさえ知らぬということは、我がルイジアナの国宝が、何の価値もない偽物ということか!?」


「そこまでは言っていない。……だが、少なくとも、俺が生きていた頃のものじゃないな。それよりももっと古いものかもしれん。こんなもの、古代語の研究者でも連れて来ないと、解読なんざ夢のまた夢じゃないのか? お前たちにどうこうできる代物とは思えんぞ」


「……難しいことだということは、私も最初から分かっているさ。だが、今はそんな奇跡に頼らなければならぬほど、状況は逼迫ひっぱくしているのだ。手段を選べるような状況にはない。手伝う気がないなら、邪魔だから出ていってくれ」


「まあ、言われずとも俺にもすることがある」


 仲違いでもするかのように、死神が部屋から出ていってしまう。

 何ともまあ、嫌な場面に遭遇してしまった。

 どうしたものかと私が戸惑っていると、ビビアンが日常茶飯事だとでも言いたげに、苦笑いを浮かべていた。


「二人の仲が悪いのは、いつものことですよ。気になさらないでください」

「ああ、しまった。あいつにカナミを紹介するのを忘れていたな。すまない、カナミ。頭に血がのぼってしまっていた」


「いや、別に私はいいんだけど……」


 どちらかっていうと、死神と呼ばれる存在とは、あんまりお近づきになりたくないし。


「それじゃ、ビビアン。早速、作業に取りかかろう。カナミ、今しばらくこの部屋で辛抱してくれ。必ず、そなただけの部屋を用意してみせる」


「あ、ありがとう」


 私の返事もろくに聞かずに、レオンは机の上の本に向かい出した。

 レオンは私に、ゆっくりしていろという意味で言ったのだろう。

 それもいいのかもしれないと私は思った。

 仕事と、日々雑になっていくだけの家事が、延々と続いている毎日だった。

 せっかく、そんな無味乾燥した毎日から、こうして離れられたのだから、ゆっくりと体を休めることが、たぶん、きっと正しい選択なのだろう。


 ぼふり。

 勢いよくベッドに顔を埋めてみたが、必死になって作業する二人を無視して、何も考えずに眠りにつけるほど、さすがに私の神経も図太くはなかった。


(それに軟禁状態なのも、思ってたのとちょっと違う。異世界っていうんだから、何かこう……色んなところを見て回れるのかと思ってた。具体的にどこが見たいとかは、ないんだけどさ)


 今のままじゃ、気軽に外出することも難しいだろう。

 私がベッドから立ち上がると、ちょうどビビアンが話し始めていた。


「やはり、私たちだけでは難しいかもしれませんね。ヴェスペリスさんのご助力も得られない以上、ここは思い切って、リリアーナ様に助けを求めてみてはどうでしょう?」


「姉上か……」

「はい。第一王女のリリアーナ様であれば、レオン様の勢力争いとは無縁のお方。お力を貸していただける見込みも、十分にあるのではないかと」


「う~む、いや……しかし、よりにもよって相手はあの姉上か……」

「何かご心配な点でも?」

「姉上はかなりの気分屋だからな……。素直に手伝ってくれるかどうか……。よしんば、魔導書の解明を手伝ってくれたとしても、いったいどんな交換条件を突きつけて来るのか、分かったものじゃないぞ」


「しかし、リリアーナ様ではなく、我々の派閥の中から、古代語の学者の代理を選ぼうとしますと、もうほかに選択肢が……。それにレオン様は、魔導書の解明のためならば、何でもするという覚悟で、臨まれたのではありませんか?」


「ううむ……それを言われると、返す言葉がないな。よかろう。私は姉上と交渉して来る。ビビアンはこのまま作業を続けていてくれ」


「かしこまりました」


 そう言うと、レオンは私にきりっとした表情を見せながら、部屋から出ていった。


(カッコいいけど……私、全然蚊帳の外なのよね)


 このままでは、いくら何でもいたたまれない。魔導書の解明の作業を、私も手伝うしかないだろう。


「ビビアン、私も手伝うわ」

「いえいえ、クソガキのレオンはともかく、カナミ様にまで面倒をかけるわけにはいきません」


(レオン本人がいなくなった途端に、言いたい放題だな。この子は本当に、全く)


「いいのよ。ほかに私もすることがないんだし……。私が勝手にしたいだけだから」


 そう言って、強引にビビアンの隣に立てば、ビビアンも私を拒むのを諦めたようだった。


(もっとも、現地人でさえお手上げの古書を、私が読めるわけもないんだけど……)


 これは気を紛らわすための作業。

 私にとっては、ほんの軽い気持ちのつもりだったのだ。


(ええっと、なになに……)


 案の定、読めるはずもなかったが、無理やり日本語だと思って読もうとすれば、目の前に広がる怪奇な図形が、たちまち日本語に見えて来るのだから、習慣というのは実に恐ろしいものだ。


(このくねくねしたやつは「女」かな。……あっ、こっちの角ばってるやつは「室」っぽい。そのさらに右側の文字は、だいぶ端折られてるけど「注意点」って読めそう)


 あはは。

 まさか、そんなわけないじゃない!

 そう思ってはいるのだが、冗談で続けて読んでみると、それは「女子更衣室を覗く時の注意点」と読めた。


(はっ? ……何これ?)


 ふざけているのかと、慌てて本の題名を確認してみると、ものすっごく汚い字ではあったものの、「次の転生者のための魔法のマニュアル」と読むことができた。


 ああ、分かった。

 一発で分かってしまった。

 ドキドキ、ドクドク!

 なんだか、冷や汗が止まらない。


「ねっ、ねえ。ビビアンさん? これって本当に本当の魔導書なのよね?」

「そうですよ。偉大な魔法使いが書いたとされる、手書きの魔導書です。間違いなく、ルイジアナ国の国宝になります。注意してくださいね。破ったりしたら、たぶん普通に死罪です。もちろん、そうなった時はバレないようにしたり、レオンに罪を被せたりしますけどね」


 ビビアンの返事は、ほとんど私の耳に入っていなかった。

 やばい、どうしよう!

 私、その国宝、読めちゃうんですけど!?

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