第3話 尚香に不倫の正体を教授する
男性は愛しているからこそ、そっけなく接し、厳しいことを言うこともある。
反対に愛していないからこそ、甘い言葉でささやいたあと、用済みになると女性から離れて行くケースが多い。
ちなみに僕は、前者の方かな。
元アウトローとはいえ、牧師の息子だから、甘言で女性に近づこうなどとは思わないが、ときどき誘惑されることもある。
握手のとき、濃い化粧をした女優志願の若い女性から、長く手を握って放さなかったりーもしかして演技のレッスンも兼ねているのだろうか。
しかし、僕は現在は家庭は順境であり、なにより神に愛されているという自覚があるから、淋しさから異性を求めることはない。
話を元に戻そう。
中学時代の同級生尚香は、バイト先の飲食店の二十五歳くらいの雇われ店長に誘われたが、結局は断ったという。
僕は思わず拍手をした。
「パチパチパチ うん、それがいいよ。一度でも応じると、相手は妻子持ちだろう。女の扱いには慣れているから、独身のうぶな女性などイチコロだよ。
そこから不倫の悲劇道まっしぐらなんだよ。すぐ離れられるなんて思うのは、素人の浅はかさ。十年以上継続するケースもある。
ところで、その雇われ店長は金を貸してくれなんて言ってこなかったか?」
尚香は少しすねたような顔をした。
「それはなかったわよ。だって、私の服装を見ても、お金があるようには見えないでしょう」
僕はすかさず答えた。
「まあトレーナーにダボンとしたギャザースカート、ローヒールのスニーカー。
典型的な平凡な若い女性のファッションだね。
でも、本当のワル男はそういった平凡な女性の人生を狂わせることをするんだよ」
尚香は再び目を丸くした。僕は尚香に世の中の裏側を、教授する必要があると思った。これも神を伝道するクリスチャンの使命である。
僕は尚香を人間として愛するからこそ、心を鬼にして厳しいことを言う必要があると思った。
「最初から金目当て近づいてくる男は、まず受け答えがうまいね。
たとえば女性が「さっき、雨が降って来た」と言うだろう。そこから話題を広げていくんだ。
その前に女性の鼻の上をじっと見つめ、ときおり相槌をうち、そしてオウム返しに「えっ、雨が降って来たばかりなの?」と質問をし、相手に応える余裕を与える。 このことで、相手との距離が縮まり、次の会話の準備体制ができる」
尚香が感心したように頷いた。
「なるほどね。明石家さん〇のようなプロの技ね。まあ、さん〇はその前にタレントの服装や仕事をさり気なく褒めていい気分にさせるけどね」
僕は話を続けた。
「雨が降って来た。いつから降ってきたのか、五分前からなのか。それとも一分前から小雨が降り出してきたのか。それとも急にゲリラ豪雨に見舞われたのか?
相手の知っていることを、相手に答えさせることによって、相手をまるで博識のようないい気分にさせる。
そして、大変だったねえと同情の声を寄せたあと、僕が傘を差しかけにいったらよかった、相合傘だねなどと、冗談交じりに笑いをとる。さあ、これで疑似恋人の関係を結ぶことができる」
尚香は真に頷いた。
「恋人といても、あくまで疑似でしかない幻の恋人でしかないけど、女性はなぜかその甘言にすがりつきたくなるのよね。目先のものしか見えないおバカさんなのかな? つらい性の生き物ね」
僕は思わず
「まあ、男性もそういう部分があるよ。女性は共感され、同情されたい。
しかし、男性は認められ、褒められたいという欲望がある。
だから、水商売にいくのは褒め殺しにあうのが目的なんだね。
でも、女性もこの頃は男性化している今、やはり男性に褒められたいという欲望がわくのかな。
ファッションにしても昔は身体にぴったりと貼りついたスカートで、フリルやレースのついたブラウスで、ローヒールだったのに、今はダボンとしたトレーナーにこれまたダボンとしたギャザースカート、ヒールのないスニーカーだものね」
そのときだ。店に頭の後頭部に包帯を巻いた二十五歳くらいの男性が飛び込んできた。
まるでうわごとのように
「ああ、先輩ホストにアイスピックで刺された」と言っている。
尚香はびっくりして言った。
「あっ、竹本店長じゃない。こんなところで会うとは奇遇ですね」
僕は尚香が店長に魅かれたのは納得がいった。
確かに少し男前である。
男性は尚香に気付いて、話しかけてきた。
「僕は店の契約期間が終了した後、ホストクラブに勤めたんだよ。
そのとき、先輩の客が僕を指名してくれたおかげで、僕は初めて指名がとれたんだけどね、その先輩が僕を待ち伏せして、アイスピックで僕の後頭部を刺したんだ」
先輩の客をとったというわけか。
ホスト同志の指名替えはご法度である。
まあ、客を取られた先輩ホストも金ヅルである商売道具を失くしたのだから、必死の抵抗と仕返しであろう。
元雇われ店長、元ホストの竹本は、やはり女性をというより尚香を不倫の穴に陥れようとした罰があたったに違いない。
僕と尚香は「早くケガを治して下さいね」としか言いようがなかった。
するといきなり、竹本はホスト時代の自慢話を始めた。
「僕を指名してくれた人はね、のちに直木賞作家になった銀座のバーの山口ママをうまく騙して客を吸い取った、祇園出身のクラブママなんだよ。
なかなかのすご腕だろう」
僕と尚香は目をまん丸くして聞いていたが、騙しの手口を知りたくなり、二人同時に質問した。
「で、どんな手をつかって、騙しに成功したのかな?」
「その祇園出身のママは、まず銀座のママの店を訪れ、いきなり土下座を始めたんだ。「あなたのことは、銀座で最年少十九歳のママだと聞いてます。
ところでうちはなにも知りませんのえ。いろいろ教えてもらわんと」と下手に出て、抱えきれないくらいの京都みやげをプレゼントしたんだ。
「うちは、ずっと京都出身で京都で舞妓をしていたけど、銀座は初めてです。
銀座にはいろいろ高名なお客様が来店なさるんでしょう。
どんなお客様がいるか、教えて頂きたいんです。もちろん、そのお客様をとったりはしないという前提で、お願いします。あっ、このこと二人だけのお約束ですよ」
銀座の山口ママは、二人だけのお約束という言葉をすっかり信用し、客の名簿を見せたのだった。
騙されたということに気付いたのは、数日後だった。
いつもの常連客が、まったく姿を見せない。
どういうことだと、開店したばかりの祇園のバーに電話をすると、まるであざ笑ったような物言いで
「お宅何を言ってますの? 生き馬の目を抜く銀座の夜のど真ん中で。
お約束の件ですか。じゃあ、私とあなたとがお約束したとして、うちの店長はそんなお約束などしてませんで。これでよろしおまっしゃろ」
受話器の向こうの祇園ママの乾いた笑い声を聞いたとき、銀座ママは銀座の灯火がひとつ消えていくのを感じたという。
銀座のママ曰く
「騙される方と騙す方と、どちらが孤独か? それは騙す方である。
まるで母親を慕う子供のように、自分を無条件に信用してくれる人を騙してしまった。これでもう二度と信用は戻らないであろう。
詐欺師というレッテルを貼られ、孤独の檻のなかに入るしかなくなってしまう」
竹本は頷きながら、僕もその意見、わかる気がするよとため息をついた。
「そののち、祇園ママはホストクラブにはまり、シャンパンタワーを注文させられ、何百万と消費したそうだよ。
案外、人を騙した人ほど、ホストの甘言にのめり込み、それを救いとするのかな」
尚香が口を開いた。
「私も中学二年のとき、騙されたことはあるわ。といっても、相手は不登校で中年男と腕を組んで喫茶店に行ってたような、家庭に恵まれない女子だったけどね」
よくあるパターンである。
だいたいワル男は、そういった孤独な未成年者を鵜の目鷹の目で狙っている。
尚香が話を続けた。
「私が中学二年のとき、彼女ー美枝子とは別のクラスだったが、部長であるクラスメートに誘われて女子ソフトボール部に入部したのといっても、ただの人数合わせだったけどね。
でも私と彼女は、体力向上といった意味で、クラブには休まずに参加していたけどね。美枝子は、なんとソフトボールのルールさえ知らず、ヒットを撃ったら一塁であるファーストまで走るということさえ知らなかったのよね。
これには、部長も処置無しと呆れていたわ」
まさに処置無し状態の無知状態であるが、多分美枝子氏は教育など受けてきてなかったのではないだろうか。
僕は思わず尚香に尋ねた。
「美枝子という子は、あまり成績よくなかったし、委員などしたことすらなかったんじゃないか?」
「もちろんよ。美枝子は私と隣のクラスだったが、なぜか交換日記をしようと言い出し、最初は私もそれに乗ったわ。書いてあることの内容は、たわいもないことだったけどね。
ある日、美枝子の方から食べ歩きをしようと誘われ、二千円貸したの」
中学二年にとって、二千円とは大金である。
「でも一週間待っても返ってこなかったの。だから私はついこのことを他の子にも言ったの。たいていの子は、美枝子は嘘つきであり、信用しない方がいいと言ったわ」
次の日、美枝子は交換日記で
「あの二千円は絶対返す。だからこのこと、誰にも言わないで。
もしこの噂が広まったら、私、首をくくって死んでやる。そうしたら、化けてでてやる」
なんといううまい脅し話だろう。多分、バックには大人がついていたのだろう。
もしかして二千円の借金も、その大人が考え出したに違いない。
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