第2話 不倫の悲劇例とカフェ「リバーオーバー」

 祐介の息子祐也は、ラブホテルの駐車場の前で、いきなりカッターナイフを取り出した。

「じじい。この女と早く縁を切れよ。さもないと、おかんは死ぬぞ」

 その言葉に祐介はひるんだ。ということは、やはり祐介は佳子おばさんよりも、正妻を選んだということである。

「口うるさく気のきかない疲れる女房とは、半年以内に別れる」という言葉は、真っ赤な嘘でしかなかったのか。

 祐也が追い打ちをかけるように言った。

「じじい、先約はどうした? この女に乗り換えたのか」

 佳子おばさんは、頭がクラクラとした。

 思考回路が途切れてしまいそうである。


 祐介は息子祐也をいさめた。

「おい、カッターナイフなら問題ないが、刃渡りの長いナイフなら銃刀法違反になるぞ。早く引っ込めろ」

 息子を気遣う父親の説教でしかなかった。

 そういえば、家庭というのは生活に必要不可欠な家具であるが、その一方愛人というのは、その家具の片隅にチョコンと乗っているアクセサリーでしかない。

 昔、直木賞作家の故山口洋子氏のセリフを思い出した。

 山口洋子氏は、銀座のクラブを経営していて、自らも恋の赤い血を体験したのだから、十分な説得力がある。

 やはり、私のことは遊びでしかなかったんだ。

 私はめまいがしそうな上半身を、理性でかろうじて支えていた。

「ここが女の潮時」私から祐介に別れを告げた。

 このことは、徐々にフェイドアウトしていくに違いない祐介に対しての、私の最後のプライドでもあった。


 そうしないと、腐れ縁のように長引く不倫となってしまう。

 長引く不倫の末、産まれた双子の子供が、下の世話ができないほどの重度の知的障害であったが、健気にも養育している女性曰く

「私は好きになったものは、仕方がないのです」

 多分、男の甘言に騙され、周りの反対を押し切った結果のことであろう。


 イブが蛇にやつした悪魔の甘言にひっかかって、禁断の木の実を食べたように、男の甘言は女を狂わせることもある。

 内田おばさんは、長引く不倫から人生を狂わせる前に自ら身を引いたのだった。

 ラッキーな幕切れだろう。

 

 しかし内田おばさんの身体には、不倫の後遺症なのだろうか。 

 リウマチという罰が残った。ときどき意味もないのに、痛むのだった。

 祐介を愛したことは後悔はしていなのであるが、やはり後遺症は困る。


 まあ、元アウトロー、現牧師である僕の父親は、アウトロー時代は浮気三昧だったという。

 そのたびに、母親はなんと赤ん坊であった僕を抱いて、相手の女性の家に怒鳴り込んでいったという。

「この子、よく見てみい。誰かに似てないか?

 そうだ、この子は私の亭主の子だ。男を見る目、肥やしなさいよ」

 やはり妻という名には勝てやせぬ。

 僕の父親は、アウトロー時代でも母親にだけは、高価なプレゼントをしていたという。やはり一目置く存在だったのだ。


 話をもとに戻そう。

 僕の中学時代の同級生の尚香は、現在父親のカフェ「リバーオーバー」経営の手伝いをしながら、カウンセラーをしている。

「リバーオーバー」という店名の意味は、いろんな人生の川を越えて向こう岸に行きなさいという意味である。

 川のなかでとどまっているだけでは、いずれは沈没してしまう。

 なんとか、向こう岸に進みなさいという叱咤激励の意味である。

 カウンセラーといっても、相手の抱えている問題を解決することはできない。

 ただ話を聞くだけである。

 

 カフェは珈琲一杯五百円であり、決して安くはない。

 父親がカウンターで調理をし、ウエイトレスである尚香がテーブルの向かいに座って、テーブルの砂時計が落ちる三分間だけ、話を聞くというスタンスをとっている。

 今も昔も、犯罪のトップは麻薬と犯罪であるが、この頃はホスト問題も増加してきている。

 僕の父は、元アウトローという経歴を生かし、なんとかその問題を解決しようとしているが、この問題を抱えている人が徐々に増加の一方を辿っているので、昔のように各々一人ずつに、時間を割くことはできない。

 僕は尚香を指名することにした。


「僕のこと、覚えてる? ほら中学二年のときの同級生だった清川裕貴」

 尚香は、一瞬とまどったような顔をしたが、あっと声をあげた。

「ああ、清川君。私今でも覚えてるわ。遠足のとき、清川君特製のお握りをくれたよね。私、あのときの味が忘れられずに、この店のメニューに出してるのよ」

 僕はびっくりした。十年近くたった今でも、覚えててくれてるなんて。

「あのお握りの具の材料、あててみましょうか?

 田づくりと納豆を混ぜた具を、海苔でくるんだお握りね。

 私、納豆嫌いだったのが、それが原因で食べられるようになり、今は肌もつやつやで、お通じもよくなったわ」

「ビンゴ。よくわかったね。田づくりを入れると、味がアップするんだ」

 僕は感心したと同時に、尚香は調理場から小さな皿をもってきた。

 みると、なんと一口大に切ったバナナの皮に砂糖をまぶして炒めたものである。

 僕は思わず、なあにこれと言いかけたのを喉元で止めた。

「これはバナナの皮なんだけどね、抜け毛を防ぐ効果があるの。また便秘にも効果的なのよ。ときどきスポーツ選手も食べてるのよ」

 抜け毛というと、この頃僕の親世代が悩んでいることである。

「えっ、本当? 早速ためしてみようかな」と僕は一口食べた。

 美味しくもなければ、そう不味くもない。

 でも、抜け毛に効果的なら早速試してみようか。

「いいこと教えてくれたね。早速チャレンジしてみるね。

 でも尚香ちゃんは、アイディアレディーだね」

 尚香は、うつむきながら言った。

「実は私、中学二年のとき家庭に問題があって、破産寸前で食べるものもピンチの状態だったのよね。だから今でも清川君からもらったお握りの味が忘れられないの」

 僕は母の過去を白状することにした。

「知ってるかな。僕の父は元アウトロー牧師で、母親は元アウトローの妻。

 そのときつくったメニューなんだ。

 アウトローの妻というのは、苦労だらけ。僕は実は、五歳まで養護施設で預けられてたが、そのとき帰り際にもらったのが、このお握りだったんだよ」

 尚香は、僕の苦労話を別世界の話を聞くように目を丸くして聞いていた。

 尚香は、きっと幸せな家庭で育ってきた証拠であろう。


「しかし僕はラッキーな例だよ。なんといっても親父は牧師に転身したんだから。

 実は僕も親父のような牧師になれたらなんて思ってるんだよ。

 できたら僕は、家庭を壊す最大の原因となっている不倫を失くしていきたいと思ってるんだ」

 急に尚香の顔が曇り始めたと同時に、ひそひそ話で僕に打ち明けた。

「実は私も不倫しかけたことがあったの。

 相手は、学生時代バイトしていた有名飲食店の店長だったわ」

 なんだか余りにもよくあるパターン。

 だいたい飲食店の店長は長時間労働で、家より職場にいる時間の方が長い。

 売上ノルマに追われ、客からの苦情に悩まされ、この頃は客の方が本部に苦情を言いにいくカスタマーハラスメントも増加してきている。

 その腹いせは、身近でいつも顔を合わすバイトに矛先が向けられる。


 だいたい不倫相手というのは、秘書や部下の女性などいつも顔を合わし、自分に従ってくれる女性がターゲットである。

 意外と水商売の女性は、金がかかるのでそのターゲットには向かない。

 また男性は年収が一千万円越えた時点から、愛人をつくるケースが多い。

 年収一千万円だと男性の一割が愛人をつくり、二千万円だと二割の割合で愛人をつくるという。

 

 ある関西の大御所芸人西川きよ〇氏は、東京で活躍して全国区になると、やはり東京に愛人をつくったそうである。

 ところが糟糠の妻ヘレン氏は、なんと東京妻の自宅に乗り込んでいったという。

 当然、妻にはバレないと思っていたきよ〇氏は驚いた。

「あなたがたとえきよ〇と結婚しても、私はきよ〇とは別れません。

 今度は私がきよ〇の愛人になります」

 その言葉に、きよ〇の東京妻は身を引いたという。


 不倫で幸せになる人は一人もいない。

 しかしなぜか、悪の根源の如く扱われるのは、不倫をしている女性だという。

 本来ならば、不倫というのは男性の方から、おとなし目の女性に誘い水をかけることから始まるのであるが、なぜかそれを受け入れた女性が悪の根源と見なされることが多い。

 独身男性と妻帯者の違いは、羞恥心とときめきがあるかないかとの違いである。

 独身男性は好意を抱いている女性がいても、なかなかそれをストレートにはいえない。むしろ、照れくささからその逆の態度をとってしまうケースさえある。

 しかし妻帯者は、女性慣れしているから心にもない甘い言葉で女性を誘惑する。

 おとなし目の女性は、自分からポジティブにアタックすることがためらわれるので、ついつい男性の誘惑にひっかかってしまう。

 


 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

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