夜に啜る

シンカー・ワン

そばを喰らう

 以前『夜食』をテーマにしたエッセイコンテストが別の投稿サイトで催されまして、このエッセイは参加作品に多少の加筆と改稿を施したものです。

 

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 『夜食に関するエッセイ』

 飯テロやレシピとか、ようは夜中に読んで腹が鳴りそうなネタを披露しろってことね。

 さて困った。

 私にはそういう美味しそうなネタがない。

 夜食をしない訳では無いが、わざわざ作るようなことはしない。

 そんな手間かける暇があったら、さっさと食欲を満たしたいからだ。


 てな訳で、夜食に口にするものと言えば、菓子パンやせいぜいカップ麺くらいだ。

 と言っても、カップ麺はコストパフォーマンスが悪いので買うことは無くなりましたが。

 食べた後出る空き容器の後始末も何気に手間だったりするしね。

 だいたい、中にアレコレと調理とか洗い物が出るようなこと、したくは無いでしょ? 少なくとも私はそう。

 あ、シンクに放置しといて、朝に洗えばいい?

 夜だろうと朝だろうと、どっちにしても面倒じゃないか。面倒は嫌なのよ。


 そんなコッタで、私に書けるのはせいぜい夜食に関した思い出話くらいだ。

 はい、スタート。


 私が生まれ住んでいたのは、漁港のそばに建てられた市営アパート。

 真上から見るとカタカナの "ロ" の字をした鉄筋コンクリート四階建て。ひとつの階におよそ三十世帯、全体で百二十世帯ほどが住んでいた。

 住人のほとんどが漁業関係者で、うちもそのひとつ。

 子供もそれなりに居るので、紙芝居とか夏にはわらび餅、冬には焼き芋屋なんかがよくやって来ていた。

 私が小学校高学年の冬の夜、ここいらでは聞いたことのない、珍しい音が響く。

 パララ~ララ、パララララ、ラ~♪ 冬の夜のシンとした空気をつんざくような高い音。

 である。

 テレビとかで知ってはいたが、実際の音を聴いたのは初めてだった。

 軽トラを屋台にした移動ラーメン屋が、週に一回くらいの割合でやって来ていたんですよ。

 屋台軽トラがやって来るようになって何度目かの夜、気になってしかたなかった私は親にねだってその屋台のラーメンを食べた。

 ここいらではあまり口にしたことのない味。

 近所のラーメン屋は鶏がらスープに炒り子だしのところと鶏がら醤油プラス豚の背油。その屋台のラーメンは鶏がら白濁系。

 なにより違っていたのは、モヤシ。鶏がらスープで湯がいたモヤシ。

 それがトッピングにどさっと載せてあった。……今思えば麺の量の少なさをモヤシでごまかしている形だったなあれは。

 とは言え、うちの近所のお店でトッピングにモヤシを使うところはなく、新鮮だったのは確か。

 ただ、美味かったかどうかまでは覚えていない。記憶にないってことは普通、もしくは今イチだったのだろう。

 なにしろ地元・尾道は、ラーメン屋で今イチな味のところを見つけるのが難しいような土地柄なので。

 値段が高かったのはよく覚えてる。

 近所のお店が一杯二百円、二百五十円の時代に四百円もしたから。

 今となれば、屋台の移動にかかる燃料代とかも加味された値段設定で、別にふんだくってた訳では無いとわかるが。

 現在は一杯五百円以下でラーメン食べられれば超ラッキーだよな。

 実はこの屋台のこと、すっかり忘れていたんだけど、数年前とあるラーメン屋の前を通りかかった時嗅いだ匂い、鶏がらスープでモヤシを湯がいた匂いが記憶を呼び覚ましてくれました。

 モヤシたっぷり系ラーメンを食べたのは、あの夜の屋台が初めてでしたからねぇ。

 初めてってのは忘れ難いものです。と、食べたことを忘れておきながら抜け抜けと言ってみたり。

 しかし、匂いとか味が記憶のトリガーになるって本当なんですねぇ。

 この屋台のラーメン屋は次の年の冬にも来たが、それ以後やって来ることはなかった。

 商売にならなかったんでしょうね。


 次。これは果たして夜食と言えるかはわからない。

 ただ、日付も変わろうとしている時間帯に食べるから、夜食と言ってもいいんじゃないかな?


 十二月三十一日、午後十一時台が終わりに近づいたころ、台所に立つ。

 ここ数年、おなじみになった行動。

 片手雪平鍋に適量の水を入れて火にかける。冷蔵庫を開け、中から必要なものを取り出し調理台に並べる。

 茹で麺、刻みネギ、かまぼこ、味付け油揚げ、たまご。棚からはとろろこぶ。

 湯を沸かしている間にかまぼこを適当な厚さに切り、小皿にとる。

 沸いた湯に市販のうどんスープを溶かし、適度に醤油やうま味調味料、あるいは麺つゆを入れ、味を調えてから麺を放り込む。

 麺がほぐれてひと煮立ちしたら、火を止めて、かまぼこ他の具材を投入。

 一味唐辛子を軽く降りかけて出来上がり。

 鍋ごと居間にもっていき、オン・ザ・鍋敷き。箸を手に取り「いただきます」

 テレビを見ながら啜りだす。食べている間に日付けが変わり、年が明ける。

 年越しそば。

 二千十年代になってからの、私の新年の迎え方。

 もう何年も実家に戻れていない。

 実家の味も忘れかけている。

 大鍋にたっぷりと取った昆布と鰹節の出汁にを加え麺つゆを作る。詳しい割合は知らない。

 味付き油揚げも自前。母の生前は牛肉の煮付けもあったなぁ。

 古い、ジャー機能のない炊飯器の内窯に水を入れ、コンロにかけて湯を沸かす。あの内窯も私が子供の頃から家にあった。何十年使っているんだか。

 厚手のアルミ製の内窯は湯が沸かしやすく、底も深いので麺を湯がくのに重宝している。お正月には餅を煮るのに使ってた。

 大鍋から片手鍋に麺つゆを移し、温め直す。

 麺をに入れて軽く湯がき、麺が入ったままのでどんぶりの内側を撫でて温めてから、麺をあける。

 つゆをかけて、味付け油揚げ・煮付け肉・かまぼこもしくは鳴門巻き・刻みネギにとろろこぶで彩る。

 唐辛子は、尾道商店街の名物ばあちゃんお手製の柚子入り七味。

 おばあちゃんはもう亡くなられたけど、七味は継承されてまだ売られてる。

 年末には必ず作るおでん――父は関東炊きと呼ぶ――の鍋から、適当に何かをつまんでどんぶりに足す。

 だいたいは、煮詰まって小さくなった三角切りのかまぼこや鳴門巻き、同じく煮詰まって真っ黒になってる卵、そして忘れちゃいけない牛スジ。たまに、厚揚げとかも載せたり。

 かまぼこや鳴門巻き、厚揚げとかが被るじゃないかと思われるだろう。

 こまけぇことはいいんだよ、食べる側が満足すれば。

 テレビを見ながら、それを啜り、食らう。

 つゆにおでんの味が合わさって、増す旨味よ。

 テレビの番組は「ゆく年くる年」だったり、クイズ番組だったり。

 今世紀に入ってからはジャニーズの年越しライブや、「笑ってはいけない」になったなぁ。

 実家に帰れていないここ数年は「笑ってはいけない」を見終えたらCSスカパー!で何か見てるのがデフォルトだな。

 実家に帰って、家の味のそばを啜りたいと思う。

 正直、母の味は忘れてしまっている、今は姉が作るものが我が家の味だ。

 そんな姉の味も忘れかけている。

 父がまだ健在なうちに、家族三人そろって年を越し、そばを喰らいたい。

 食が細くなりすぎて、ほとんど食べなくなったという父がそばを食べるとは限らないが、それでも一緒に食卓を囲いたいと思う。

 細やかな願いだ。

 ……初稿から時が経ち、現在は大晦日と正月三が日くらいは実家に戻れるようになった。

 姉の作るそばを食べることもできてる。

 ただ、父と一緒に食卓を囲む願いは叶わなかった。


 もうひとつ。

 夜、というよりは明け方近くの話になりますが、そばに関しての強烈な思い出を。

 私の家が漁師なのは前出したが、魚を卸す市場、そこの食堂で食べたそばは忘れられない。

 小学生の時分、手伝うと称して夜の漁についていったことが何度もあった。

 手伝いは方便で、私の目的は市場でそばを食べることだった。

 子供ですから頑張ったところで日付が変わる頃までは起きていられず、夜中には船の寝床でグースカがお決まりのパターン。

 夜通しの漁を終え、夜明け近い時刻に魚市場に。

 その日の成果を水揚げし報酬を得たころに、私は親に起こされ連れられて目的の場所へと赴く。

 駅の立ち食い蕎麦屋のような手狭な食堂。

 うちの親のような漁師や市場関係者、業者の人などが仕事あがりの食事をとりに押し掛け、店はいつも満杯だったイメージしかない。

 そこで頼むのは決まって肉そば。

 客層が肉体労働者メインだからか、汁の味付けは濃く辛め。トッピングの肉の甘辛さと昆布の食感は今も忘れられない。

 市場のそば食べたさで、夏休みは良く漁に同行したものだった。

 年を重ねるにつれ、漁についていくことは減っていった。海よりも陸での楽しみを多く知ってしまったから仕方ないね。

 家業を継がせたがっていた父親は露骨に不服そうにしてましたが。

 駅の近くにあった魚市場が街のはずれに移転したのは私が中学生のころだったか。

 何年かぶりに市場のそばを食べてみたくなり、新しい市場に行ったことがある。

 新市場は以前よりも広く明るくきれいになってて、前の市場との違いに呆気にとられましたよ。

 立ち食い蕎麦屋のようだった食堂も、広く立派な建物になってました。

 建物と同じように味も変わっていました。濃さを感じない落ち着いた味に。

 小学生の時に食べたではなくなっていた。

 ……いや、もしかしたら味付けは変わっていなくて、私の記憶が変わったように思わせていたのかも知れません。

 それから、市場へ赴くことは無くなりました。

 今でもたまに、あのそばの濃い汁の味を、昆布の歯応えを思い出す時があります。

 記憶に刻み込まれた味は美化されて、再現できない幻の味に。

 ま、思い出なんてそんなもんですよね。

 それでも、もう一度あのそばを味わえるものなら味わいたいと思う自分がいます。

 

 以上三杯、私が夜の食事に関して語れるのはこれくらいです。

 ご静聴感謝。

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