第13話

 差し出した両手の上に、満月のエンブレムが降りてくる。

 次の瞬間エンブレムは光に包まれ、わたしの手の中に、吸い込まれるように消えていった。


「え!? ええっ!?」


 わたしは目を見開き、両手を何度も開いたり閉じたりした。

 だけど、いくら手のひらを凝視しても、エンブレムはもう見えなかった。


「ジェシカの手に溶け込んでいったみたい……」


 いつの間にかチハルとアキトがそばに来ており、わたしの手元を覗き込んでいた。


「……良かったな、ジェシカ」


 そう言って、アキトがわたしに微笑みかけた。


「え? 何が?」


「君は『月』に認められた。信頼を勝ち取ったんだよ」


「なななっ!?!? そ、そうなんですか!?」


 いきなり言われても実感が湧かない。

 戸惑うわたしの手のひらを、アキトが指差した。


「今、月からエンブレムを受け取っただろう。それが証拠だ。エンブレムは消えたわけじゃない。君に受け止められ、信頼のあかしとしてちゃんと残っている。目に見えなくてもな」


 今のエンブレムが!?

 それじゃあ、今ので『信頼を得た』ってことになるの!?


「でも……アキトさん、月が審判を下すのは夜の終わりだって言ってたじゃないですか」


 夜の終わりまでは、まだ時間があるはずだ。


「ああ、そのはずなんだがな……判断するのは月だ。早まることだってあるんだろう」


「な、なんか結構アバウトなんですね……」


「早まったのはきっと、ジェシカがいっぱい頑張ったからだよ! 月がジェシカの頑張りを見てたから、夜が終わるより先にジェシカを認めてくれたんだよ! 絶対にそう!」


 チハルは興奮した様子で、ぴょんぴょん飛び跳ねている。


「いやいや、わたし別に、そんな頑張ったりしてないでしょ」


 大変な目に遭ったのは間違いない。でも、月が認めてくれるぐらいにわたしが『頑張った』のかとかれると……正直、よく分からない。


「頑張ってたよ! ジェシカは、わたしにガツンと言ってくれたし……アビーを助けるために、勇気を出してグレイに立ち向かったじゃん! すごいよ!」


「そ、そうかな……」


「ほう、ジェシカがアビーを助けたのか」


「そうだよ! アビーがピンチだった時に、ジェシカがアビーをかばったの! そうしたら、ジェシカのポシェットがビームを発射したんだよ!」


 アキトに説明するチハルは、ニコニコと誇らしげだった。

 悪い気はしないけど、ちょっと照れ臭い。


「……ジェシカ、どうしてアビーを助けようと思ったんだ?」


「え?」


 アキトはわたしの目をまっすぐ見つめ、問いかけた。


「アビーは『いい奴』とは言えない。おそらく、君の目にもそう映っただろう。それに、君はポシェットの仕掛けを知らなかった。にもかかわらず、君は自分の身を危険にさらし、会ったばかりのアビーをグレイから庇った。それは、どうしてだ?」


 わたしの心を見通してしまいそうな、アキトの目。

 なんだか試されているように思えて、わたしは緊張しながらも、正直に答えた。


「……だって、見てられなかったから。あのままだと危ないと思って、じっとしていられなかったんです。それに、今は超嫌な奴だけど、アビーだって変わるかもしれない。いつかアビーとチハルが、友達になれるかもしれない。だから、助けなきゃって……そう思ったんです」


「ジェシカ……」


 チハルが、驚いた顔でわたしを見つめた。


「……なるほどな。君はアビーを信じたわけだ」


 アキトの口から思いもよらぬワードが飛び出し、わたしは首を傾げた。


「? ……ことになるんですか?」


「ああ、君はアビーが変わると信じたんだ。その気持ちだって、立派な信頼の形だよ」


 アキトは一人で、納得したような表情を浮かべている。


「人を信頼できない奴は、信頼を得ることもできない。分かった気がするよ、月が君を認めた理由が」


「……わたしには、よく分かりません。だって、そこまで深く考えてたわけじゃないし……」


 わたしは、感じたことをそのまま口に出した。

 呆れられるかと思ったけど、アキトはわたしを馬鹿にしたりはしなかった。


「今はそれでいいさ。とにかく、君は信頼にあたいすると認められた。これで、君の記憶を消す必要は無くなったわけだ」


「! そっか……!」


 アキトに言われてようやく、喜びと安心が込み上げてきた。


「忘れないでいいってことですよね! 良かった……!」


「やったね! おめでとう、ジェシカ!!」


 チハルがわたしの両手を取り、ぶんぶんと上下に振った。


「うん、ありがとう……!」


 わたしとチハルは笑い合ったが、わたし達の笑顔は同時にふっと消えてしまった。



『魔法使いの手伝い』は無事終了。わたしは信頼を勝ち取り、記憶を持ったまま帰れることになった。

 だけど……それは同時に、魔法界にとどまる理由がもうないということを意味しているのだ。



(そっか、もう帰らなくちゃいけないんだ……)


 わたしとチハルは、黙って見つめ合った。

 チハルの瞳は寂しげに揺れている。きっと、わたしも同じ目をしているはずだ。


 そんなわたし達を見て、アキトが穏やかな声で言った。


「……日付が変わるまで、まだ時間はある。二人でゆっくり過ごせばいいだろう」


「え、いいの? アキト」


 チハルは目を輝かせた。


「ああ、俺はあの子達を人間界に送ってから、またここに戻ってくる。俺が迎えにくるまで、二人でゆっくりしていろ」


「アキト……! ありがとう!」


 アキトはベンチに近づき、ウトウトしているエディとサラに声をかけた。


「二人とも、聞いてくれ」


「? な~に?」


 ベンチから下りたエディとサラは、不思議そうにアキトを見つめた。

 アキトは片膝をついて身をかがめ、二人に視線を合わせた。


「二人は……ここがどこだと思う?」


 アキトに尋ねられ、エディが嬉しそうに答えた。


「夢の中! 僕たち、二人いっしょに同じ夢を見てるんだ!」


 エディの隣でサラも、楽しげに笑顔を輝かせた。


「こわい妖精ようせいが出てきてびっくりもしたけど……不思議で楽しい夢!」


 その答えを聞き、アキトは静かに頷いた。


「……そう、ここは夢の世界だ。でも目が覚めた時、君達はこの夢のことを忘れているだろう」


 わたしはハッとした。


 そっか……エディとサラは、魔法界での記憶を消されないといけないんだ。

 なんだか、二人に対してちょっと後ろめたい感じがした。


「ええっ、忘れちゃうの!?」


 エディとサラは顔を見合わせ、残念そうに項垂うなだれた。

 すると、アキトが優しく言った。


「悲しく思う必要はない。これから先、楽しい夢はいくらだって見られる。その中には、ずっと忘れない夢もあるはずだ」


 二人はちょっと考え込んでから、同時に顔を上げた。そして、にっこりと笑った。


「わかった! それなら、忘れちゃってもいいや。また夢を見ればいいんだもん。ね、サラ?」


「うん、いいよ! 次に見る夢が楽しみ!」


 そう言って、サラはしっかりとエディの手を握った。

 手を繋ぐ二人を見て、アキトが微笑んだ。


「いい子だ。それじゃあ、おうちに帰ろう」


 そうして二人はアキトとリーゼルに連れられ、一緒に丘を降りていった。


(……人間界に帰ったら、二人といっぱい遊ぼう)


 遠くなっていくエディとサラの姿を見つめながら、わたしはそう決意した。



「……行っちゃったね」


「うん」


 二人を見送った後、残されたわたし達はそろって夜空を見上げた。


 アキトがくれた、人間界に帰るまでの時間。

 それは、決して長くはなかった。


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