第8話

 チハルは目を見開いた。


「はぁ!? なんでよ! ここにあの子達を置いておく理由なんてないでしょ!?」


「だって、せっかく楽しんでるのに、帰らせるなんてもったいないじゃない?」


 アビーはわざとらしい溜息をついた。


 さっきまで『大して面白くなかった』とか『ちっとも盛り上がらない』とか言ってたくせに。

 これは明らかに、エディとサラを連れ帰りたいチハルに対する、嫌がらせだろう。


「見てよ。あの子達だってあんなに楽しそうにしてる。帰りたいなんて思っていないはずよ」


 アビーはそう言って、床に座るエディとサラの方を見た。


 二人は相変わらず、不思議なボードゲームに没頭している。


 エディがこまを動かすと、盤上ばんじょうから色とりどりのちょう達が現れ、二人の頭上を舞った。

 二人はキラキラ光る蝶を見上げて、キャッキャと喜んでいる。


 こちらを気にしていないというより、わたし達のことなど見えていないようだ。

 文字通り、夢の中にいるような様子だった。


 アビーはこちらに向き直ると、肩をすくめた。


「──別に、ずっと魔法界に置いておくつもりじゃないわ。面倒ごとになるのは御免だもの。日付が変わる前には、ちゃんと人間界に帰すわよ。記憶を消したうえでね」


 面倒ごとになるのは御免って、子供を誘拐しておいて何言ってんだか。

 わたしはムッとして、アビーに訴えかけた。


「あんたねえ、そういう問題じゃないでしょ! 人間界ではあの子達の親が心配して、大騒ぎになってるかもしれないのよ! 二人の記憶を消したからって、問題にならないわけじゃないの! 今すぐ帰さないと駄目!」


 だが、アビーは聞く耳を持たない。

 彼女はどうでもよさそうにそっぽを向くと、近くに立っていた女の子の手からグラスを奪い取った。

 そして当然のように、グラスの中身をグッと飲んだ。


 女の子は驚いた顔をしていたが、アビーに文句は言えないらしく、逃げるようにその場を離れていった。


「いいじゃない、一晩くらい。そのあと人間界でどんな騒ぎになろうと、知ったこっちゃないわ」


 アビーは中身を飲み干すと、グラスをポイッと放り投げた。


 当然、グラスは重力に従って落下していく。だがアビーがグラスに人差し指を向けると、グラスは空中でふわっと浮かび上がった。


(う、浮いた!? あれも魔法!?)


 グラスは糸で吊られたように空中を移動し、テーブルの上に音もなく着地した。

 

 驚くことに、グラスを放り投げてからテーブルに着地させるまでの間、アビーは一度もグラスに目を向けなかった。


「……」


 その様子を見ていたチハルは、ほんの一瞬だけ、羨望せんぼうの眼差しをアビーに向けた。

 アビーはその視線に鋭く気がつき、軽薄そうな笑みを浮かべた。


「ねえ、チハル。あんただって、ほんとはパーティーを楽しんでいきたいんでしょ?」


「は、はぁ!? 何言ってんの!?」


「だって魔法学校にいた時、わたしと友達になりたがってたじゃない。銅像を壊した時だって、わたしが『銅像を浮かすことができたら友達になってあげる』って言ったから、ムキになって浮かせようとしたんでしょ?」


「そ、それは……!」


 チハルは顔を真っ赤にした。


「当然よね。人気者で優等生のわたしと友達になれば、あんたもみんなから好かれるようになるもの」


「うっ……あの時のわたしは、まだ未熟だったの! 今はもう、あんたと友達になりたいなんて思ってないから!」


「嘘ね」


 アビーはズバリ言い切った。


「目を見れば分かるもの。あんたはまだ、わたしに憧れてる。わたしみたいに、みんなから好かれたいって思ってるんだわ」


「ううっ……」


 チハルは目に見えて狼狽うろたえている。アビーの言っていることは、全くの的外れというわけでもないのだろう。


「そうねえ……」


 アビーは悪巧みする狡猾こうかつなキツネのように、意地悪く表情をゆがめた。


「子供を連れ帰るのを諦めるって言うなら、あんたをパーティーに参加させてあげる。友達って認めて、仲間に入れてあげるわ」


「! な、何言ってんの! そんなこと許されるわけないじゃん!」


「いいじゃない。どっちにしろ、日付が変わる前にはあの二人を人間界に帰すんだから。帰るのが早くなるか遅くなるかっていうだけでしょ? あんたの師匠には『子供を助けようとしたけどアビーにはかなわなかった』って言えばいいのよ。わたしがあんたより優れてることなんて、みんな知ってるんだから。ここで遊んでいってもバレたりしないわ」


 アビーは甘い声でチハルをそそのかした。


「むぅ……」


 チハルは眉根を寄せて、視線を彷徨さまよわせている。


 アビーが詭弁きべんろうして惑わそうとしているのは明白なのに、チハルは心を動かされそうになっているのだ。


(ちょっとチハル、本気でこいつと友達になりたいわけ? 仕事を放り出して、アキトに嘘ついてでも?)


 わたしには納得できなかった。


 そりゃあ、人気者と友達になりたいとか、みんなに好かれたいとかっていう気持ちはすごく分かる。

 わたしだって、高校生活でいろいろと悩むことはあるし。


(チハル……)


 さっきの『攻撃系の魔法しか使えない』云々うんぬんの話は、わたしにはよく分からない。

 でも、チハルがたくさん苦労をしてきたということは伝わってきた。


(……)


 今日会ったばかりだけど、わたしはチハルを『飄々ひょうひょうとした明るい子』だと思っていた。

 だけど、チハルの心の中には寂しさもあるのだろう。


 アキトのもとで修行することに満足しているとしても、同年代の子達と一緒にワイワイ楽しくやりたいと思う時が、チハルにだってあるのかもしれない。


 アビーに敵対心を抱きつつも、自分とは正反対の彼女にかれているのかもしれない。


 だから、彼女の言葉に心を動かされそうになっているのかも。


 その気持ちは、分からなくもない。



(でもさあ、チハル。本当にそれでいいわけ?)


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