第6話

「正直言うとさ、アビーのことは……ちょっと苦手なんだよね、わたし」


「……そうなんだ」


「だからこそ、アキトはわたしに行かせたんだろうけど……ねっ!」


 チハルはぷうっとほおをふくらませ、地面に散らばる落ち葉を軽く蹴っ飛ばした。


 そっか。

 アキトがチハルに『お前にとっても良い修行になるはずだ』と言っていたのは、そういうことだったんだ。


「あ~あ、ちょっと嫌だけど……ここまで来たら行くしかないよね。それに! ジェシカの事も認めてもらわなくちゃだし!」


 チハルは夜空のお月様を見上げ、両手の拳を高く掲げた。


「頑張ろうね、ジェシカ!」


「お、お~!」


 わたしは、具体的にわたしが何をどう頑張ればいいのかよく分かっていなかったが、とりあえず一緒に拳を掲げておいた。



──────────────



 再び丘を登り出したわたしとチハルは、やがて丘のてっぺんに到着した。


 陰鬱いんうつとしたアビーの屋敷が、無言でわたし達を出迎える。


 背の高い、ひょろりとしたつくりの屋敷だ。

 継ぎ足されたように空へと突き出た真っ黒い尖塔せんとうが、威圧的にこちらを見下ろしている。

 屋敷の足元には霧が漂っており、その不気味さを増大させていた。


 わたしは気を引き締め、ポシェットのひもがきちんと肩にかかっていることを確認した。


 何かの拍子で落としてしまわないように……というのも、カフェを出る時にこのポシェットをうっかり置いていきそうになったからだ。



『おい、これは君のだろう? 忘れてるぞ』


 扉を開けて丘へ出発する直前、アキトがわたしにポシェットを渡してくれた。

 どうやら、ソファの上に置きっぱなしだったらしい。


 あのカフェに忘れるならまだしも、こんな怪しげな場所では絶対に落としたくない。注意しなければ……。



「──ジェシカ、準備はいい?」


 チハルが、緊張した様子でいてきた。


「わたしに準備できることなんてないけど……ま、いつでも突入できるわよ」


「……よ~し!」


 チハルは深呼吸をすると、大股で玄関扉へと近づいていった。


 重々しい巨大な玄関扉は、上部がアーチ型になっている。

 もちろんインターホンなどという無粋ぶすいな物はついておらず、その代わりに、猫の形をした真鍮しんちゅうのドアノッカーが取り付けられていた。


 どうやって屋敷に入るつもりなんだろうと様子を伺っていると、チハルは普通にドアノッカーのリングを掴み、ドンドンと扉を叩いた。


 一歩下がり、扉が開かれるのを待つチハル。

 無視されるんじゃないかと思ったけど、意外にも扉はあっさり開かれた。



「どうも~って、あれ? だれぇ?」



 扉を開けて顔を出したのは、わたしと同年代くらいの見た目をした、青い髪の女の子だった。

 フリルのたくさんついた、青いワンピースを着ている。

 青い色が好きなのか、履いているブーツの色も青だった。ついでに爪も青く塗られている。


 その子はチハルの顔を見て、小首を傾げた。


「ん~どっかで会ったっけ? 思い出せな~い……まっ、いいや! 今日は誰でもウェルカムらしいからさぁ、参加するならお入り~」


 青い髪の子はそう言うと、扉を開けたまま屋敷の中へと戻っていった。

 入るなら入れば、ということだろう。


「今のがアビー?」


 わたしはチハルに小声で尋ねた。


「ううん、違うよ。あの子はオードリー。魔法学校の生徒だよ。わたしと会ったことあるんだけど……忘れてるみたいだねえ。それはともかく、開けてもらえたんだし、中に入ろう」


 そういうわけで、わたし達は屋敷の中に足を踏み入れた。


 玄関の先は天井の高い大広間になっていた。

 壁中にバラのつるっていて、綺麗な黒バラを咲かせている。


 壁のあちこちにバラが咲いている様子は、ドキリとするくらい圧巻だ。


 わたしは思わず壁に近づき、黒いバラの花をまじまじと見つめた。気のせいか、バラの花弁がやけに分厚くて、しかもわずかにうごめいているように見える。


 不思議──と思った次の瞬間、花弁が人の唇のように開き、わたしに向かって


「わあっ!?」


 わたしは慌てて飛び退いた。


 その『バラの花』は花弁を上下に動かし、歯をカチカチ鳴らしている。

 歯茎らしきものまで見せており、まるでわたしに食いつこうとしているようだ。


「ジェシカ、危ないから近づかないほうがいいよ!」


「そ、そうみたいね」


 わたしは改めて、ここが『魔法界』なのだと実感した。


 気を取り直し、大広間を慎重に観察する。


 天井から大きなシャンデリアが吊り下げられているが、広間はなんだか薄暗くて、ダークな雰囲気だ。

 そして、玄関入ってすぐとは思えないほどひろ~いこの部屋は、浮かれた様子の人々で溢れかえっていた。


 笑い声を上げながらお喋りしている人、丸テーブルでお菓子を頬張っている人、豪華なソファに座ってグラスから怪しげな液体を飲んでいる人、謎のゲームに興じている人、それから奥の方には、ペアになってクルクル踊っている人達までいた。

 十代と思しき子が多いが、中には大人も混じっている。


 わたし達が入ってきたことに気づいていないのか、それとも興味がないだけなのか。どっちか分からないけど、とにかく誰一人としてわたしとチハルに関心を向けていなかった。

 

 なんていうか、なかなかに大盛況の様子だ。


 この中のどこかに、人間界から連れてこられたという子供がいるはず。

 早く見つけて保護しなければ。


(ん?)


 大広間の一角に、床の上でボードゲームを楽しんでいるグループがいた。


 ちょうど、プレイヤーの一人がこまを動かすところだ。

 駒が止まると、盤上ばんじょうからキラキラ光る結晶が飛び出し、駒を動かした人の頭上から粉雪のように降り注いだ。


(何あれ!? 立体ホログラム……じゃないよね)


 まあ、どうせ魔法のボードゲームか何かなんだろう。

 わたしの目を引いたのはゲームそのものではなくて、それをプレイしている人物の方だ。


 ボードゲームを囲んで座っている人達の中に、幼い男の子と女の子の姿がある。


 わたしはその二人ともに、見覚えがあったのだ。



 エディとサラ。

 わたしの家の、近所に住んでいる兄妹だ。確か兄のエディは九歳で、妹のサラは七歳だったはず。



 わたしは急いでチハルに声をかけた。目立たないよう、小声で。


「チハル、あそこで遊んでいる男の子と女の子……あの二人、人間界の子供よ。わたしの家の近くに住んでる子達なの」


「え、どこ!?」


 チハルは、わたしが指差した方をじっと見つめた。そして大きく頷いた。


「……ほんとだ。魔法使いじゃないね。人間だ」


「あ、見て分かるんだ?」


「うん、よく見れば分かるよ。人間は魔法使いと違ってオーラをまとっていないからね」


 いや、オーラってなんやねん──気になるところだけど、今はそれどころじゃない。


 人間界から誘拐されたのが近所に住んでる子供でした~っていうことにもびっくりだけど、エディとサラが普通に楽しんでいることにもびっくりだ。


『無理やり連れてこられて、参加させられている』ってぐらいだから、なんかこう……煮えたぎる大鍋の上に吊るされたりしてるのかと思ったけど、魔法使い達と一緒になって楽しそうに遊んでるじゃん。


 でも、楽しそうに見えるからOKってわけじゃないよね。


 幼い子供が姿を消して、エディとサラの家族はすっごく心配しているはずだ。警察沙汰になっているかもしれない。

 やっぱり、早く連れ帰らないと。


「どうしよっか、チハル。とにかくあの二人に近づいて話を──」


 その時、わたしの言葉をさえぎるように、やたらと高飛車な声が聞こえてきた。



「ねえちょっと、がここで一体何をしているわけ?」


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