認知症のタコを観察する鬱病の私 前編

 タコはとても短命な生き物の一つだ。

 

 一般的なタコの多くはたった一年でその寿命を終えてしまう。そんな訳で、タコの老化は私たちが想像する以上に早く進んでいく。

 人間として例えるなら、体も成熟してやっと子作りできる様になった18歳から老化が始まり、徐々に食欲の低下や体の衰弱が進んでいく。子供が生まれる頃にはご飯も食べられなくなり、髪は白髪だらけ、そうして子供達が生まれた直後命を落としてしまうようなイメージだ。

 もちろん、私はタコとして生を受けていたことはないのであくまで想像になってしまうが、実際、タコが成熟し、産卵できる様になったくらいから体内の消化器官は急速に衰えていくことなどは論文として発表されている。短命である大きな要因はタコの産卵方法であるが、今回はその産卵方法についてではなく、老化によってタコに現れる変化について、当時の私を振り返りながら綴っていきたい。

 

 生きている以上、老いから逃げることはできないという、生物としての宿命をタコもまた背負っている。


 つい先日まで元気だったのに、急に旅立ってしまう人。

 重い病気を患い、体は日に日に衰弱しているのに、結果として他の人よりの長生きだった人。

 今まで趣味に没頭していたのに、体が動かなくなり急速にボケてしまう人。


 みなさんも生活していれば、十人十色様々な老いを過ごす人を見かけるだろう。

 それと同じように、タコも個体ごとに異なる老後を過ごしているのだ。人の死に目の数十倍、下手したら数百倍タコの死に目を見てきた私がいうのだから間違いはない。

 

 老化によりタコの多くは、人間と同じように今まで暮らしてきた巣穴で静かにひっそりと息を引き取る。

 産卵を終え、体色も薄くなり動きも鈍くなったタコは、そのまま外出しようとはせずに静かに外の世界を眺めていることが多い。

 そして、時々巣穴の天井に残った卵の抜け殻を愛おしそうに腕でなぞる。タコは巣穴の天井に卵を無数に産みつけ、無事に孵化するように世話をするのだが、無事に子タコ達が孵化して旅立った後も頑丈に産みつけられた卵の抜け殻はまだ巣穴に残っている。もう世話をする必要もないことはわかっているだろうに、本当に多くの母ダコは抜け殻となった卵の房をたまに触っている。


 そうして、数日後の朝には静かに息を引き取っている。不思議なことに、日中命を終えたタコは本当に見たことがない。いつも、朝水槽を覗くと、巣穴として入れておいた蛸壺から腕が真っ白になった腕がだらんと飛び出しているのだ。

 夜のうちに何か決心してしまうのか、実際のところはよくわからないが、確かに老衰によって旅立つタコは夜にその一生を終えてしまう。どうやら、タコも睡眠中に夢を見ているそうなので、睡眠中いい夢を見ながら旅立っているのかもしれない。

 その時、彼らはどんな夢を見ているのだろう。子供達の成長を思い浮かべているのか、今までの思い出を振り返っているのか、美味しかった食事を思い浮かべているのか、何にしても、本当に夢を見ているのなら、我々人間と同じようなことを思い浮かべているのだろう。


 さて、これが、一般的な老衰によるタコの最後だが、皆が理想的な最後を迎えられる訳ではない。この章の主役は老化によって認知症のような行動を見せる様になってしまったあるタコであり、ここではそのタコを観察していた記録を随所そのまま使いながら、当時ブラック研究室に属していたことで心身が疲労していた私との奇妙な関係をご紹介していく。

 

 そのタコにはしっかりとした名前をつけていなかった。タコの養殖実験をするために大量に購入された母ダコのうちの1匹で、最初から私が管理していたタコではなかったからだ。

 本来は別施設で飼育されていく予定だったが、水槽容量の関係で途中から私が入り浸っていた野外施設へと何匹か移動させることになり、そのうちの一匹がそのタコとなる。

 その時、施設に移動してきたタコ達はすでに蛸壺にびっしり産卵していたため、あまり飼育の手間がかからないということもあったし、私はすでに他の実験に取り組んでいたので、それらの移動してきた母ダコにかける時間がなかった。

 私がいた施設に移動してきた母ダコたちは、それぞれ何かおかしい点があったのではなく、皆同じ様に蛸壺に引きこもって卵の世話をしていた。産卵した母ダコたちの行動はほぼ一緒で、餌を食べなくなり、ほとんど蛸壺から出ることもなくなりひたすらに卵の世話をする。そのため、脱走することもなくなるので飼育の難易度はかなり低くなる。その様なわけもあって、私は朝、生きているかの確認と、卵の状態のみを確認する日々を過ごしていた。


 異変に気がついたのは、ある日のお昼時のことだ。

 私はいつものように、タコ達の観察記録をし続けていたが、ふと聞き慣れない場所から水音がしたので急いでその原因を探すことになった。

 私がいた飼育施設というところは皆さんが理解しやすいと思って「施設」と呼んでいたが、その実はただのプレハブ日除けステーションで、水槽に雨水が入らない様に屋根はあるものの、予算不足からか学生軽視からか壁はついていなかった。

 ただ、さすがに夏場は日差しが厳しいだろう、ということで遮光ネットが本来壁のある位置に備え付けられていたが、今思うと、似たような構造の建物をいくつもウクライナ情勢を報じるニュース映像で見かけるので、飼育施設というか飼育陣地と呼ぶ方が正しいのではないだろうか。

 ともあれ、そのような「陣地」であったため、そこに置かれていた水槽設備の各所にも資金不足を原因とするボロが出ていて、どこか破損によって水漏れが発生し、それらが異音としてよく現れるのであった。それを放置してしまうと、後々大きな問題になるかもしれないため、それら異音や聞き慣れない場所からの水音には早急に対応しなければならない。

 

 原因はすぐに特定できた。

 産卵を終えた母ダコ達を収用していた水槽の排水溝に1匹の母ダコが抱きついていたのである。そのため、排水が上手くいかず、水が溢れてボダボタと水音がしていたのだ。

 産卵を終え、本来は蛸壺の中に篭りきりである母ダコが日中に堂々と蛸壺から離れている姿はかなり珍しいことだった。私はすぐに排水溝から母ダコを剥がし、元いた蛸壺に戻そうとしたが、上手くいかない。

 「あれ、どこに戻ればいいんだっけ」と混乱したような様子で、とにかく近場の蛸壺に入ろうとするが、そこには自分の卵を育てている別の母ダコが入っているので入り口付近で「出ていけ」と拒絶されてしまう。

 また隣の蛸壺でも同じように侵入を試みるが、また追い出される。なんとか目の前に自分の卵が入っている蛸壺を置き、そこに誘導することで、無事その母ダコは本来の居場所に戻ることができた。

 

 「こんなこともあるんだなぁ」と、不思議に思いながらもまた同じようなことがあると面倒だと思い、排水溝の加工と、万が一、また同様に動き回るタコが現れ、そのタコが脱走して死んでしまわないように脱走防止の蓋を作るのであった。

 結果として、その手間は非常に重要なものとなるのだが、その時の私は特にそんなこと思わずに黙々とタコ達のために時間を使っていた。


 さて、ここで当時の私の状態について軽く触れておこう。実はこの時、私はいわゆる「鬱病」と言われるような状態で、体重はどんどん減っていくし、毎日体は重くて疲れやすいのに夜は寝れない、と非常に厄介な日々を過ごしていた。

 最初は、ただ研究が好きだったし、そのために高い学費の大学にきているのだから少しも時間を無駄にはしたくない、という一心だったので本当に体が動かなくなるまではこの生活を続けようと思っていた。

 しかし、徐々に身体的な負荷が精神面にまで影響を及ぼす様になり、「なんでこんなことをしているのだろう」「こんなことをして何になるのだろう」という疑問を持つ様になってしまった。

 そして、実験が上手くいかず死んでいくタコ達を目にし続けたことや、当時先輩だった博士課程学生からのいじめや嫌がらせを受け続けていたこともあり、大好きだった実験に対しての意義を見出すことができなくなったという苦悩と自信の喪失からか、意味もなく「死」について考えてしまうことが多くなっていた。あまり、重いことを書いてもしょうがないが、簡単にいうとかなり辛い状態だったのだ。


 そんな状態の私であるが、今まで積み上げきたものを無駄にしたくない、という強烈な渇望によってなんとか体を起こし、タコ達との生活を続けることができた。そして、タコ達の観察実験を続けながら、たまに問題があった母ダコたちの水槽も眺めるようになるのであった。

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