タコの人間観察
今まで多くの苦楽をタコと共に過ごしてきた人間は大抵このようなことを口にするであろう、
「タコって俺たち(私たち)をよく見るよね。」と。
あろうと予防線を張るように書いたのは、私が今まで自分以外のタコを研究対象とする人物と深く関わってこなかったからだ。
学会もちょろっと聞きにいく程度が何回かあっただけだし、もちろん発表なんかもしたことがない。これは、ただ単純にタコとの時間を優先し外界の情報を欲していなかったということもあったが、学生時代ブラック研究室にいた大嫌いな博士学生のおかげで研究者嫌いという持病を患ってしまったことも起因している。
(このブラック研究室の黒歴史も後に楽しく記述していこうと思う)
しかし、いくらかかわりが少ないと言えども、数人と多少の交流をしたことはあり、そこでタコはよく人間を見ているという話題になったので満更嘘というわけでもないはずだ。
私はタコ以外にもイカや魚各種はもちろん、犬や鳥、爬虫類など様々な生き物を飼育させてもらってきたが、飼育してこちらが逆に観察されていると感じる生物はタコだけだ。
「観察ー事象の現象を自然の状態のまま客観的に見ること」という意味だけあって、ただ単にこちらを見ているだけでは感じない視線を感じる。
魚や爬虫類はもちろん、私たち人間を認識してはいる。しかし、それは餌をくれる何かといった程度の認識で、食欲を満たす満たさない程度の関係でしかないことが多い。
犬や猫はより高度に私たちを認識し、家族やパートナーといった一種の関係性を築くことができる。
例えば、飼い主である人間が体調を崩した時には心配そうに近くに寄り添い、また今まで見たことがない人間や生き物が家に侵入しようとするとそれに対して威嚇するなどだ。これは観察の結果ということもできるが、私の考えは少し違う。
これは群れで過ごすことで快適に生存していくという生存戦略を遺伝子に刷り込まれている生物だからできることであり、これらの高度な関係性というもは餌をやるやらないや、寝床を提供するしない、など一種の利害関係の上で成り立つことが多いものであると思うからだ。
タコが我々人間に向ける認識というものは少し違う。私が思うにただ単純な興味から私たち人間を見つめていることが多い。
タコを新たに捕まえてきた水槽に入れてしばらくは新たな世界のことなどいざ知らずといった具合に蛸壺や、貝などの間に引き篭もる。
次第に、慣れてきてこの場所には敵は居なそうだと、わかると次第にタコは顔を伸ばして水槽外の世界に目を向け始める。
そして、あの大きな化け物は一体なんだろう、ここは何処なのだろう、この透明な壁はなんだろう。
蛸壺から腕を伸ばし始め、次第に全身を恐る恐る出しながら、水槽の壁面にへばりつく。
キョロキョロと(本当にそんな動きをする)顔を動かしながらこの新しい世界を知ろうとし、その中でこの新しい世界に生きる大きな化け物に興味が湧いてくる、最初は水槽に近づくと真っ先に蛸壺などの住処に逃げたり、餌をつかまえても化け物がこちらを見ているからと必死に住処に持っていって食事をするが、そんなことはものの数日の話だ。
すぐに化け物は自分に危害を与えないと理解し、よく水槽の際までやってきこちらを見つめるようになる。これは腹が減っている減っていないは関係ないことが多い。なぜなら、慣れてくると水槽に捕まり、観察がしやすいところで飯を食い始めるし、腹が減ると水槽中に入れてある活き餌(カニ)を勝手に食べ始めるので、直接人間から餌をもらう必要がないからだ。
ここで、タコが人間を観察していると特に感じたエピソードを紹介する。
それは、自宅でタコを飼っていた水槽内のビデオカメラを沈め、私が部屋にいるいない関係なしに、タコの一日を動画に収めていた時だ。
私は自宅で動画を見たり、ゲームをしたり、用事がある時に外出したり、普段となんら変わりない生活をしていて、その時飼っていたタコ(名前はカイだったと思う)に対しても普段となんら変わりない時間を過ごさせていた。
こんな撮影をしてみたわけといったら、ただ当時最新の防水アクションカムを購入したから試しに使ってみたかった。というごく単純なものだったのだが、そうして撮影された動画はなかなかに興味深いものだった。
まず、さすが新しカメラ、画質が全然違うと感動したことを覚えているが、それ以上にタコの周辺に私がいるいないで、彼の行動が大きく違っていることに気づいた私は、感嘆するのであった。
まず私がタコの近くにいる時、つまり私がよく彼らを観察している時なわけだが、不思議とタコは住処の外に出ていることが多い、それも四面ある水槽の壁のうち、私に面した方を向いていることがとても多い。
これはいうまでもなく、タコが私の方向を見ているということに他ならない。しかも、面白いことに、私がタコを観察していない時、洗い物をしているときや、ゲームをしていている時タコは真剣そうな眼差しで、こちらを観察しているのだ。あるときは壁面にくっつき、なるべく水槽内の高い位置から、あるときは水槽にしておいた砂を掘り起こしてまで低い位置から、様々な場所で未知の生物である私(人間)を見つめていた。
では、私が外出するとタコはどのような生活を送るのだろう。答えは清々しいほどに簡単で、私がいない間の多くの時間を住処である蛸壺内で過ごしているのだ。たまに、蛸壺周辺の石や砂、カニを食べた後の殻などを邪魔だと言わんばかりにどけて掃除をしている場面や、ウロウロと散歩をするように水槽内を徘徊していることもあったが、当時カイと名付けたそのタコは私が部屋にいないときはどこか退屈そうに自分の住処に引きこもっていることが多かったのだ。
さて、私のささやかな体験を一つ書かせていただいたが、如何だったろうか。
タコが、人間を観察している。とまでは感じなくとも、タコは人間を少なからず意識して生活していることは理解していただけたのではないだろうか。
このとき、カイは私を恐怖の対象としてみていたのではないか、だからいつ襲われてもいいように近くにいる化け物(私)がいるときは常に視界内に入れておいただけじゃないのか。
と思う方もいるかもしれないが、そうであるなら、自然彼の居場所は蛸壺の中ということになる。
殻も持たない彼らタコの防御力はかなり弱い。なので、自然界での彼らは生活の大半を安全な巣穴などといった住処で過ごす。大型の魚類などが近くに現れたときは、真っ先に近くの巣穴や、石の間などに逃げるので、少なくとも無防備に水槽の壁面にくっつき私を眺めていたカイは少なくとも、私に対して危険な意識を持っていなかったのであろう。
では、なぜ危険意識を持っていないながらも、一日の多く時間を私に向けていたのか。それはひとえに興味を持っていたからだと私は思わずにはいられない。もちろん、この体験以外にもいわゆる、そう感じた、といった表現でしか例えようのない視線や表情を多く経験してきたが、それを文章として表現することは私には困難であったので、現段階では諦めることにする。
ヒトとタコ、この二種の生物の間には、犬や猫、カラスなどといった高等と言われる生物達とは比べられないほどの距離がある。
脊椎動物と無脊椎動物、哺乳類と頭足類、霊長目と八腕目、生まれた経緯も、生きる場所も、生き方も全く違う生き物だ。
しかし、共に暮らしてみると意外な共通点というものがあるらしい。
それは、互いに向けられる興味、それの源である知性だ。
学業の成績が著しく悪い私に知性という上等なものがあるのか甚だ疑問ではあるが、少なくとも保育園に入園したときから私はタコに対して興味を持っていて、その欲を満たすためにたくさんのタコと共に暮らしてきた。
そして、興味の犠牲となったタコは、おそらく初めて接触するであろう人間という生き物に対して、私と同様の興味を抱き、私のように自分と全く違う生物である人間を観察してくれている(と私は思う)。
その観察から、彼らタコはどのようなことを思い浮かべているのだろう。共に暮らすようになったタコの全ては、あるとき不意に私に対して腕を伸ばす。まるで握手をするように差し出されたその小さな腕に、私も2本しかないうちの一本を差し出す。
そうすると、タコは攻撃するわけでもなく、ただ私の指や腕を撫でるように、優しく触れるように、何かを感じ取っているように、腕を絡めていく。そのとき私はいつも思う、もしかすると、生き物同士の距離というものは、生物学的に示されているそれよりも遥かに近いかもしれない。
同族同士ですら分かり合えない、我々人間が、タコという全く異種の生物に対してそんなことを思うのは全くの傲慢であるとも思う。タコたちは、私のような人間に腕を差し出しているとき、どのようなことを思考し、思い浮かべているのだろう。
もしかしたら、私と全く同じことを思い浮かべているのかも。
その答えを私はいつか見つけたい。
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