第33話 消えた素顔

 ...あのドラマ以降、俺は彼女の出たいくつかの作品を振り返っては何度も観返し、自分の演技の参考になる所を発見した。絶妙な笑顔の作り方、困惑した人のリアルな仕草、泣いている時の感情表現...そのどれもが自分の演技を素晴らしいものにする重要なものだった。そうして彼女の演技を観始めてから、俺の演技は更に複雑になり、とても良くなっていくのを日に日に感じるようになった。

 それと同時に、俺は彼女の持っていた『人を認める心』を真似て思うようにした。すると、今までしていた傲慢で怠惰な態度を撮影時にしなくなり、共演者やスタッフ、監督などとも仲良くなれるようになった。その時に俺は気付いた。自分には、彼女が必要なんだ...と。


 そして、俺の役者人生は二年の年月が経った。そうして俺は再び、彩理と映画で共演する事になった。その時は、俺と彼女は既に同じ有名事務所に入っていて、俺はもとい、彼女は世間から絶大な注目を浴びていた。そして映画の撮影が終わった後の帰りの道の途中で、俺はついに、彼女に告白をする決意をした。


「あ、彩理さん。」

「ん?なぁに?」彼女はカバンをぶらぶらとさせて夜の道を歩いていた。俺は加速する胸の鼓動を抑えきれないまま、彼女に思いの丈を言った。

「お...俺...この二年間で、あなたの事をずっと追いかけてました。あのドラマの時、どうしようもなかった俺はあなたに、役者としての全てを教えてもらいました。今でも参考にするべき所がありすぎて、まだ俺は一人前の役者とは言えません。だ...だから、これからはあなたを、誰よりも近くで見てていいですか?あなたの人生を、もっと幸せにします!一生迷惑はかけません!...いや、もしかしたらかけるかもしれませんが...それでも、こんな俺で良ければ、付き合ってくれませんか!?お、お願いします!!」そう言って俺は震える手を伸ばし、恥ずかしさで頭を下げた。その告白に、彼女は長い黒髪を靡かせつつ驚いたように振り返った。数秒の溜めの後、彼女はフフッと微笑み、俺の手を握って囁くように言った。

「こんな拙い私で良ければ、是非。」

「っ!!あ...ありがとう!一生愛します、大好きです!!」...こうして俺と彼女は、プライベートで秘密裏に交際を始めた。まるで純情なラブドラマのワンシーンのような、そんな甘酸っぱい出来事だった。


 だがドラマには続きがある...幸せの絶頂だったある日、このドラマに悲劇は起きた。その日、俺は彼女をドライブデートに誘おうと思っていた。プレゼント用の銀の鏡のネックレスを持ち、流行りの服を整え、いざ彼女を誘おうと電話したのだが何故か出なかった。何度かけても応答がなく、不思議に思った俺はC地区の住宅地にある彼女の自宅まで行ってみることにした。


 そうして30分程かけて、俺はC地区にある住宅地に行き、彼女の家にたどり着いた。外から見た感じ、彼女の車が止まっていて、まだ家の中にいるようだった。俺は更に不思議に思い、いっそ本人に直接尋ねてみようと考えた。俺は車から降り、彼女の家の玄関に立った。

「すいませーん、レ、レオンです。彩理さん、連絡しても出ないから少し心配になって...どうしたんですか?大丈夫ですか?」インターホンを押して何度か語りかけるが、特に返事がない。

「(もしかしたら、飼っている犬の散歩にでも行っているのかな?)」そう思い、俺はしかたなく帰ろうとした。その時、家の中から微かに、でも確実に彼女の声が聞こえた。

「...め、来ちゃだめ...!」その声に、俺はすぐに反応した。

「っ!!あ、彩理さん!?大丈夫ですか、今助けに行きますから!」そう言って玄関のドアノブを握って思い切り引いた。扉は、ガチャっと開いたのだ。

「(えっ...開いてる?)」その時、扉が開いたのと同時に何かピンのような物が抜ける音と感覚がした。


 次の瞬間、目の前が白い光に包まれた。彼女の家が、突如大爆発を起こしたのだ。爆風でドアと一緒に飛ばされた俺は、そのまま向かいの家の塀まで飛ばされた。

「がはっ!!っ...い、痛てぇ...(っ!?か...体が...動、かねぇ...)」飛ばされた時に後頭部を強く打ったせいか、体全体が痺れ、指先から足先まで全く動かせなかった。その間にも、彼女の家は俺の眼前で黒く焼けてボロボロになっていく。

「ぐっ...あ...彩理...さ...」まだ中にいる彼女を助けに行こうと這いずるが、目の前はグラグラと揺れながら段々と暗くなり、伸ばす手足の感覚もジワジワと無くなっていった。そのまま俺の意識は、プツリと途切れた...


 ...次に目が覚めたのは、C地区にある警察病院のベッドの上だった。頭には包帯をまかれ、左腕はギブスでキツく固定されていた。事務所のマネージャーの人と医者の人がやってきて、今までの出来事を言ってくれた。

「あなたは事件の爆発に巻き込まれ、そのまま頭を強く打ち、5日間ほど意識を失っていました。そのせいで、一種の軽い記憶喪失になっている可能性があります。何か、あの日の出来事で覚えていることはありますか?なんでも良いので、喋って下さい。」そう医者の人に言われ、俺はすぐに包帯で巻かれた頭で考えた。

「確か俺は...このネックレスのプレゼントをあげるために家に行って...あれ、誰の家だっけ?う〜ん...」

「...どうやら、人物の名前が消えるタイプの記憶喪失のようですね。何か...その人との思い出の品のような物があれば、不意に思い出すかもしれません...ただ、すいませんが確証は持てませんね。」

「レ、レオン...本当に覚えてないのか...?穂乃田彩理だよ。君の恋人だった人だ。同じ事務所で同い年の...あ、そうだ!君の能力で、覚えている顔を作り出してみよう。覚えている顔を思い出して、顔を作るんだ。」

「ほのだ...あかり...?う〜ん...」そうして頭の中の引き出しを必死に開け始める。

 

 生き物の記憶というのは、思い出す本人の主観が大きく反映されている。ある物の認識が他の人と違っていたり、そもそも物が違ったりすることさえある。そのため、記憶というのは写真や映像よりも不確定で曖昧であり、信用が置けないのだ。俺も必死に今まで見た覚えのある女性の顔を思い出した。だが、今までずっと彼女の映画やドラマでの『演技』の表情しか見ていなかった俺は、彼女の『素』の顔をそこまで覚えていなかったのだ。いくら考えても、過去に自分の見ていた『演技』の顔しか浮かばない。ここ最近に見たはずの『素』の顔も、『演技』でかすれて思い出せなかったのだ。


「あ...あれ?これじゃない...どれだ...?」俺は霞がかかった記憶を頼りに、ただひたすら顔を作りだした。その光景を見た医者は、マネージャーに言った。

「これは...まだショックを受けきれていないかもしれません。もしお仕事に支障がなければ、長期間の休養を取ってみてはいいでしょうか?今は一人でそっとしておいたほうが良いです。」

「そうですか...分かりました...だ、大丈夫だぞレオン。何か困ったら、いつでも俺に連絡してきていいからな。」

「...これでもない...この顔でもない...違う...」そのまま俺は、医者もマネージャーも居なくなって一人になった後もずっと顔を作り続けた。そして日が暮れ、夜になるまで彼女の顔を考え続けた。しかし、結局彼女の顔を作ることは出来なかった。形のない、無限大の記憶から正解を自分で考えるのは、到底俺が出来ることではなかった。


 「くっそ...くっそくっそ!!何でだよ...何で俺は...大事な人の顔を覚えてないんだよ...!こんなに...こんなにその人の事を愛していたというのに...」俺は持っていたネックレスを見て涙を流し、自分の包帯で巻かれた頭を叩いた。確かにいたはずの愛人の顔を思い出せないという屈辱と、自分のせいでその人が死んだという罪悪感は、唯一残った、銀に輝く鏡のネックレスを見るたびに押し寄せてきた。そうしてうなだれていると、突然病室のドアがスーッと静かに開いた。見るとそこには、今までに見たことがない男が二人立っていた。


「っ!だ...誰だ...?(事務所の関係者...いや、警察か...?)」

「初めまして、レオン・パーソンさんですか?どうも、私は革命軍をやってる、スケイルズといいます。」すると、スケイルズという男は隣にいたアホ毛が特徴の男に言って、持っていたパソコンを俺に向けさせた。そこには見覚えのある顔があった。

「突然で悪いんですが、この人に見覚えはありますか?」

「は...はい。確か、同じ事務所だった荻田蓮さんでしたっけ?それがどうしたんですか?」その男は、過去に自分が出た作品のオーディションでよく見ていたため覚えていた。すると、スケイルズは驚愕の事実を口にした。


「この荻田蓮が、あなたを殺すために彼女の家を爆破した犯人です。あなた、少し前までかなりの量のドラマと映画に出ましたよね?荻田は映画やドラマの役のオーディションでここ最近ずっと落ちていました。それに加え、こいつは子役から役者の道を歩んでいて、今もなお下積み生活です。いきなりの素人から有名になってチヤホヤされているあなたに、かなりの恨みつらみがあったんでしょうね?」

「は...?俺を、殺すため...?嘘...だろ...」その言葉に、俺の頭は酷く混乱した。その後もスケイルズと言う男は淡々と事の真実を述べた。


 ...犯人の荻田は俺が家に着く前に玄関から勝手に侵入し、中に居た彩理さんを気絶させた後で手足をロープで縛った。犬を殺した後、家中にガソリンを撒き、最後に玄関のドアに爆弾を設置して窓から逃げたらしい。つまり、あの時に聞いた女性の声は、気絶して意識が薄い中でも、俺を助けるためのものだったのだ。

 

「はぁ...はぁ...な、何だよ、それ...。お、俺が...俺の、せいで...あの人は...うっ、オェェ゙...!」

この事実を聞くまで、犯人は彼女に恨みがあって爆殺したと勝手に思い込んでいた。だが、自分を殺すために彼女が利用されて死んだと知った瞬間、胸が急にキツく締め付けられたような感覚になって息苦しくなった。過呼吸になってえづく俺を見ても、スケイルズは淡々と言った。


 「今、あなたは役者界の宝石とも言われた穂乃田彩理さんを殺したという事で、世間から『爆弾魔』とか『役者界のラスプーチン』なんて言われて大バッシングを受けてる。実際に警察も、状況から見て、あなたを第一容疑者にしてる。本当は記憶と最愛の彼女を失った一番の被害者なのに、だ。...お気持ちは分かります。こんなおかしい理不尽が許されて良い訳がない。そこで1つ、俺らからの提案なんですけど...いいですか?」俺は涙を拭い、息を整えて尋ねた。

「ハァハァ、フゥ〜...フゥ〜...な、何ですか?その提案って?」

「俺等と一緒に、この世界と戦いません?この理不尽な世界を、一緒に変えましょうよ。」俺はそれを言われた時、俺の理性の歯車は完全に崩壊した。

「(この世は『狂った喜劇』だ。皆がそれぞれ役を持っており、それぞれに劇を盛り上げる役割があるんだ。それなら、俺はその喜劇の中で悪者ヴィランを演じるんだ。これが、千両役者の彼女を殺した凡人の俺が出来る、一番相応しい懺悔の方法なんだ...)」俺の心は、もう随分と前からぐちゃぐちゃだった事に気がついた。

 

 自分の顔を、かすれて歪んだ記憶の中の彩理の顔に変えて、俺はスケイルズに言った。

「いいですよ...正直、世界とかはどうでもいい。俺はただ、この愛した人への手向け

に、俺の罪滅びしをやるだけだ。世界と戦う戦闘力はないが、彼女からもらったこの演技力で人を欺く実力はある。...ついて行くよ、あんた達に。」持っていた銀のネックレスを首に付け、月明かりで輝く病室の白いベッドから、俺はこつ然と姿を消した...

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